一人称決まらなくてnote書けない問題。
どうも、ヤマザキです。
noteをはじめるときに、一番頭を悩ませたこと。
それは、一人称をなににするかです。
いや、日本語って一人称多すぎやしませんか?
私、僕、俺、自分、わし、拙者、小生、某、吾輩…ちょっと考えただけでも相当出てきます。
というか、一人称に限らず、二人称、三人称もめちゃくちゃ多いです。英語だったら、I, YOU, WE. 以上終了です。(潔い!)
これまでも何度かnoteを書こうとしたことはあるんですけど、膨大な一人称の中から一つを選ぼうとしたとき、だいたい指が止まるんですよね。
で、結論からいうと、自分のことをヤマザキと三人称的に呼ぶことで決着したんですが、ここに至るまで相当悩みました。
ヤマザキは、ふだん話す相手やシチュエーションによって一人称を変えます。
変えようと思って変えてるわけではなく、自然とそうなります。
家族や友人など親しい間柄のなかでは、俺が多いです。自分としては、これが一番自然体です。
目上のひと、奥さん方の親族、比較的距離感の近い取引先などに対してなど、遠過ぎず近過ぎずな距離感のひとには、僕。
一般的なビジネスシーンや、畏まったシチュエーション、距離感のある人や面識のない人との会話では、私になります。
一貫して、俺で通せるひととか少しうらやましいです。表裏がないのか、メンタル強めなのか知りませんが、自分には無理だなと思います。ヤマザキがやったら逆に、無理してる感出ちゃうというか。(へたれ)
まぁ、けっこうふつうな話だと思うんですけど、こうやって書くと相手によって態度を変えるイヤなやつみたいですね。(性格悪そう)
ただ、どちらかというと一人称って、その時々で保っておきたいちょうど良い距離感を担保するものなのかなとヤマザキは捉えています。(言い訳)
で、そんなヤマザキが書くnoteの一人称はなににすべきなのか。めっちゃ悩みました。
自然体でいられる俺にしたとして、必ずしも親しい人ばかりが目にするわけではありません。見ず知らずの人に、Afro&Co.のヤマザキは一人称が誰に対しても俺の強気な役員だと思われると、それはそれでなんかちょっと自分じゃない気がします。
一方で僕にしたとき、近しい人に自分のことを僕と呼ぶ自分を見られていると微妙に気恥ずかしいというか、仮に自分の両親に見られたら茶化されそうだなとか…まぁ気にしすぎかもしれないんですけど。(絶対気にしすぎ)
じゃあ、私かというと、これはもうなんか真面目なこと書かなきゃいけない感じでちゃうし、内容とかけ離れすぎて毎日書くなんてできそうにありません。
他にも、小生とか拙者とか自分とかいろいろ考えたんですが、どれもピンとこず…
この「一人称どうすんだ問題」でつまずくひと、意外と多いんじゃないかと思ってるんですけど、どうですかね、みなさん。(いや知るかよ)
こんだけ選択肢あるくせになんでちょうどいい感じのないんだよ!!(だから知るかよ)とかイライラしながら今一度考えました。
このnoteはいったい誰に向けて書いていて、その人とはどんな距離感なのか。
結論、このnoteは自分に書いてました。
このnoteは、ヤマザキが継続してアウトプットするためのものです。少なくとも現状は、それだけのためのものです。
もちろん、最低限誰かに読まれていることを意識して書いてはいますが、誰のためのnoteかと問われれば、間違いなく自分のためです。
ヤマザキのヤマザキによるヤマザキのためのnoteです。(リンカーン)
そして、自分に書くということは、己を客観視することでもあります。
そう考えたとき、自然と一人称が名前になりました。(スッキリ!)
結果的に、見知らぬ人が読んだときに、少なくとも自分の名前を覚えてもらいやすいというメリットもあって、気に入ってます。
しばらくは、ヤマザキはヤマザキのことをヤマザキと書き続けます。(何回書くねん)いつか、一人称が変わったときがあったら、もしかしたらこのnoteに新たな目的ができたのかもしれません。
では、また!
今日のサムネ画像:久しぶりにランチミーティングをしました。バインミーサンドめっちゃ好きなんですけど、最近じわじわキテる気がするんですよね。