表面的な会話が上手くなって勝手に寂しくなる新生活。
新生活が始まってから2回目の金曜日です。
皆さん今日もお疲れ様です。
私も足に疲労を溜めながら、なんとか金曜の夜を迎えることが出来ました。今はもう帰宅しており、布団の中からnoteにお邪魔しています。
新しく出会った同僚とも、少しずつ話が出来るようになってきました。時には話が盛り上がり、一緒に大笑いする事もあります。
早くも明るく話せるようになって、本当に恵まれているなぁと感じます。
ただ、その中でちょっぴり不満なことがあるのです。
「会話が、空っぽだなぁ」
当たり障りの無い話、同調しかない相槌、乾いた笑顔と笑い声。それらがふとした瞬間に、空っぽに思えるのです。
しかし言っても出会ったばかりの間柄なので、最初から深い話は出来ません。相手の過去、価値観、本心なんてこれっぽっちも知らないので、無理もない話です。
初対面の人間が親しくなるためには、まず共通しやすい世間話から始めないといけません。そうでなければぎごちない会話になるか、片方がずっと演説しているだけかになってしまいます。
好きな物が一致すれば深く語れるかもしれませんが、同志と会える幸運はそうそうありません。
そのため最初はどうしても、浅く表面的な会話になるのです。
昔はとんでもなく話し下手な私でしたが、今は最低限のコミュニケーション能力を持ってる……はずです。
学生時代に比べたら随分とマシになった気がします。これだけでもう成長ですよ。話し下手ですけど。
なので今では『雑談』が出来ております。
出会って2週間経ってない人と笑いながら喋れている自分を見ていると、やっと普通の人間になれた心地です。
ですが、それで物足りなく感じるのです。
その場その場を保とうとするだけの話題は、時間が経てば忘れてしまう。相槌は脳を通さずとも行える。
私はもっと、じっくり考えられる話をしたい。
……と思っているのかもしれません。
今が十分幸せだというのに、欲張りなことを思ってしまいます。
それに、このような会話がずっと続くのだろうかと予測してしまう時があるのです。
これから先も、表面上の会話に時間を費やすのか。仕事からの帰り道はずっとこうなのか。
書いてて思いましたが、なんだか私って偉そうですね。
これから少しずつでも同僚のことは知っていくでしょうし、関係がこのままずっと変わらない訳がないのに。何を不安がっているのでしょうか。
仮に同僚とはずっとこのままだったとしても、昔からの友人とまた話せば良いじゃないですか。
友人とであれば、お望みの『深い会話』が可能なのですから。