心が痛い。
胸が痛い。
心が痛い。
体が重たい。
心が重たい。
なぜ痛い?
なぜ重たい?
何かに切られたから?
何かを抱えているから?
その『何か』が分からないまま、
自分の不調に振り回されていく。
不調に振り回されていると、
上手く立っていられなくなる。
目が回って、フラフラになって、
世界が正しく見えなくなる。
歪んだ視界の中で、
慣れない事をすれば失敗する。
いや、慣れている事でも失敗する。
慣れている事で失敗する方が、
動揺は大きくなる。
動揺が大きいほど、動けなくなる。
その場で寝転んでしまい、何も出来なくなる。
そして、また心が重くなる。
また『何か』が積み上がっていく。
『何か』を見つめる時間が無い。
ずっと雑用が頭を支配する。
心が重たい中で、雑用をこなす。
雑用に、真剣じゃなれなくなっていく。
この雑用に、
『文章を書く事』が入っていないだろうか?
『文章を書く事』さえも、
雑用だと認識してしまってはいないだろうか?
文章と向き合う事に、
雑な思考が入っていないだろうか。
かつて大好きだった、文章の執筆。
いつから億劫になったのだろう。
いつから重りになったのだろう。
それは、心が抱えている『何か』を見つめたら
分かるかもしれない。
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