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「坂の途中の家」失われた30年で失ったもの

はじめに

角田光代著「坂の途中の家」Kindle版を読んだ。角田光代ファンなので、小説からエッセイまで全作品を読破している(はず)。はずというのは、再編されたものは含まないため。結論から言うと、暗く重たく息苦しい。読み進めにくい。咀嚼しづらい。だからと言って希望がないわけでもない。子どもを持たない私が本書を読んで感じたことをまとめる。

「坂の途中の家」あらすじ

30代の主婦山咲里沙子は、イヤイヤ期に差し掛かった娘の子育てに時折迷いながらも、毎日を過ごしている。そんな里沙子の元へ裁判員候補者に選ばれたという通知が届き、補充裁判員として幼児虐待死事件の審理に立ち会うことになる。里沙子は似た境遇にある被告人と自分自身を重ね合わせ、夫婦関係、子育て、親子関係へ思いを巡らせ混乱する。次第に被告人に肩入れしすぎているのではないか、裁判員としての資格がないのではないか、夫からもバカにされているのではないか、と猜疑心が大きくなっていく。

母親らしさの圧力

里沙子は、言うことを聞かず駄々をこねたり、わざと泣真似をする娘の文香を無視する。しばらくして無視したことを後悔して謝る。娘が癇癪を起こす度に里沙子は素早く感情を切り替えて母親らしく振舞わなければならない。
2、3歳にして、泣真似を覚え、母親をコントロールする娘。父親の前ではいい子ぶる娘。私だったら、大人げないが苛立ってしまうだろう。きっと手を上げたくなる気持ちをグッと堪えるのも、1度や2度ではないはずだ。

これは虐待だろうか。私は今、口をきかないことでこの子を痛めつけているのだろうか。まさか。手もあげていない、怒鳴ってもいない。虐待なんかであるはずがない。

だから、里沙子が文香に苛立つ時、私はもっと苛立った。里沙子が文香を夜道に置き去りにした時に、心のどこかで最悪の事態を願う自分がいた。3歳児にムキになって。情けない、親の資格がない、なんで産むんだ。誰から言われるわけでもない悪意のある言葉を反芻する。子育ての経験もない私ですら、無言の世間の圧力に圧し潰される。

この世に生まれてまだ三年すらたっていないちいさな人に、自分は何をムキになっているんだろうと思うと、冷静を通り越して今度は自己嫌悪になる。

私は子どもを持つことを想像できなかった。それは子どもが嫌いだからだと思っていたし、自分勝手な人間だから人生を犠牲にしてまで子どもを産み育てるなんて無理ゲーだと思っていた。昭和の躾を押し付けてしまうだろう自分が嫌だった。

子どもが嫌いなわけじゃない。子どもを持つことで背負わされる重荷に耐えられないんだ。子どもを通して、自分を、自分の人生を嫌いになりそうな気がした。どうあがいても母親になれる自信がなかった。それは今も変わらない。子どもを産む機会もないのに、産めなくなる年齢を超えてほっとした。

被告人の水穂は、間違いなく私だった。出廷する水穂の姿は、絶望と諦めと無力と、傷ついた自尊心の塊だった。

健診の際の保健師や義母から、その月齢にしては表情が乏しい、ほかの子どもと比べ発育が遅れていると心ない言葉で責められ、水穂は戸惑いとともに、外界の意見を聞くことに不安を覚えるようになる。同時に、ほかの母親と比べて自分が劣っているのではないかと思い込むようにもなった。そのことから、地域のサポートやベビーシッターなどにも、もしかして何か指摘されるのではないかと疑念を抱き、外部に協力を頼むことにどんどん消極的になっていった。

読み進めるうちに苦しさが増していくのは、主人公の里沙子と、被告人の水穂の苦しみが痛いほど伝わってくるからだ。ああ、やっぱり私は子どもを持たない選択をして、間違っていなかったと。

現在、約1週間に1人が虐待死をしているようだ。
児童相談所への虐待相談件数も、10年前と比較し約3倍に上る。
‘’増える児童虐待の背景にある貧困と孤立問題。防ぐ鍵は“新しい都市型のつながり” <参考:2024.1.11日本財団ジャーナル>

失われた30年と「孤独」

この記事を読んで、私自身が抱いていた子どもを持つ不安や恐怖を再認識した。それは「孤立」と「孤独」である。子どもを持つか、持たないかの選択する際、誰もが不安を覚えるのは、経済的負担でも親としての責任でもなく、「孤独」のなかで子育てを強いられることが容易に想像つくからだろう。仕事をセーブせざるを得なくなり、社会的なつながりが減り、突然母親らしく振舞うことを社会から強いられる。子育てに迷っても、なかなか相談できる人が周りにいない。夫は仕事に忙しく、話し合う時間がない。

「だれも相談ができる人がいないとなると、そうとうつらいと思います。精神的に追い詰められるのも無理はないと思います。」

失われた30年。
日本社会は確実に「孤独」と「孤立」を生みだした。
ひとりでも孤独、誰かといても孤独、家族がいても孤独。
個人主義とは対極にある、集団社会のなかの「孤独」だからたちが悪い。
余裕がないから他人に無関心を決めこむ。余裕がないから心ない言葉で誹謗中傷する。余裕がないから、問題回避する。

少子高齢化の日本では、子育てする人を最優先に守るべきだ。支援や政策のみならず、社会全体が子育てする人を応援し、手を差し伸べやすい環境づくりをしていかなければならない。子育て中の人が「孤独」や「孤立」を感じにくいよう、古い慣習や偏見をベースにした子育て論を唱える人には、周りも都度NOを突き付けていくべきだ。

失われた30年を経験した国は世界でも日本だけだ。
経済も、インフラも整った。もう発展しなくてよい。現状維持で、人々がより住みやすい社会に整えていくことに注力していくことが、いまの日本人の課題だと思う。

オレンジリボン運動







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