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楽観的テキトウ主義ノススメ

 突然ですが、家の中が散らかっていても気持ちよく過ごすことができる人、洗濯物を畳まずに保管できる人、テスト前で勉強が不十分でもぐっすり眠れる人、本当に羨ましいです。

 僕は、寝る前に無性に片付けをしたくなったり、洗濯物を前の日に畳んだのに畳み直したり、テスト前などはやり残したことがありそうという不安で夜はなかなか寝付けなかったりします。
 部活の準備をするときには、その数時間後には着るのに、ウェアを綺麗に畳んでからカバンに詰めないと気が済みません。

 もう少しテキトウ(適当)になれたらいいのにな

 いつも思います。

 でもこればっかりは、幼い頃からずっとなので変えられる気がしません。まず☝こういう思考に至っている時点で適当主義からは程遠いのかもしれません。

 最近、考え方を変えようとするのはやめました。

 最近読んだ本には、共通して「人が持っている特徴は、長所でもあり、短所でもある。物は言いようだ」ということが書かれていました。

 完璧主義は、求すぎてしまうという点で見れば短所かもしれません。
 完璧主義は、妥協なく追及できると言い換えれば長所に聞こえます。

 分類というのは、人間が植物を理解するために、勝手に作っているだけのものに過ぎない。
 図鑑の説明というのは、私たちが勝手に決めている「制約」であったり、「固定観念」だったりするかもしれない。
 業界や業種など、私たちは勝手に区別をして分類している。「…らしくない」「…べきである」などと、その分類にレッテルを貼って、分かったつもりになっている。そして、勝手に自分たちで枠を決めたり、勝手にあるべき像を描いているのだ。
 しかし、そんなものに縛られる必要はない。私たちはもっと自由に発想していいのだ。
 「誰かが決めた『べき』を捨てよ」
(『雑草という生き方』より)

  考え方に対する固定観念を取っ払った捉え方

 なかなか難しいことだと思います。物は言いよう、物は捉えよう、どんな特徴も角度次第では長所になる。この考えで人に接することができたらなんだか優しくなれそうな気がします。

 「楽観的テキトウ主義ノススメ」というタイトルとは違う着地点の文章になってしまいましたが、好きなアーティストcreepy nutsさんの楽曲「合法的トビ方ノススメ」を参考にタイトルを付けました。

 読んでいただきありがとうございました。

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