評価する人、される人
熱すぎる記事を読んで芽生えた思いを書きます。熱すぎる記事とは、ヴィッセル神戸に所属する菊池流帆選手のものです。菊池選手のnoteはどれも熱い言葉に溢れていて、読む度に気持ちを高まります。
今日更新された☝の記事にも胸にズバッと刺さるような言葉がありました。
絶対に有言実行する
他人の無理や否定なんて吹き飛ばしてやる。俺はだれかを評価する人間には絶対にならない。人を評価した瞬間に自分の成長は止まる。俺は常に評価される側の人間だ。結果で魅せる側の人間だ。
熱い、熱すぎる言葉です。
僕は練習でも試合でも「周りからどう思われるか、評価されるのか」を気にしてプレーしてしまうことがあります。
もちろん監督やコーチに評価される選手になる必要があるので、周りの評価を意識した方が良いこともありますが、僕は他の選手からどう思われるかまで気にしてしまいます。意識しすぎているのです。
なぜ意識しすぎてしまうのか
自分が他の選手を勝手に評価しているから
答えはこれに尽きます。
僕はあくまで選手です。試合のメンバーを決める権限なんてありません。なのに勝手に評価してしまっています。
自分が評価しているから、自分も評価されていると考えてしまうのです。
もしかしたら実際に他の選手から評価されているかもしれないけど、他人の気持ちなんて見えないし、コントロールできません。
自分の許容範囲外のことに意識を傾けるべきではない、そんなことはわかっているつもりでも実際には全くできていませんでした。
「わかる」と「できる」は全くの別物なのです。
そんなとき、菊池選手の言葉に出会いました。
僕は知らず知らずのうちに評価する側の人間になっていました。それが成長していない理由でした。
「あいつ、〇〇はいいけど○○はあんまりだな~」なんて評価していた自分をとても恥じています。
僕は選手として活動しています。まだ評価する人間ではありません。評価される人間として結果で魅せなければいけません。評価する側の人間とは距離を取ろうと思います。
絶対、評価する側の人間にはなりません。
読んでいただきありがとうございました。