谷岡健彦

Tottenham Hotspurのサポーターです。現代イギリス演劇の研究もしています。

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最近の記事

劇団フライングステージの『新・こころ』について

 来月(2024年3月)、劇団フライングステージが、夏目漱石の『こころ』をふまえた『こころ、心、ココロ』という作品を上演すると聞いた。「日本のゲイシーンをめぐる100年と少しの物語」という副題がついていて、第一部「名も無き時代」と第二部「名付けること、名付けられること」から成る二部構成の劇である。東京ではE.M.フォースターの『ハワーズ・エンド』を下敷きにした前後編6時間半の『インヘリタンス』が上演されたばかりだが、フライングステージのこの新作も、上演時間がどれくらいになるか

    • 渡辺義治さんの演劇活動について

       デジタル版の朝日新聞に渡辺義治さんの演劇活動についての記事が掲載されました。自分は渡辺さんの2006年の作品『地獄のDECEMBERー哀しみの南京』のことを『シアターアーツ』の2009年夏号の演劇時評で取り上げたことがあります。もう入手がむずかしい雑誌かと思いますので、該当部分を下に再掲いたします。 (以下、転載)  IMAGINE21という劇団を主宰する渡辺義治もまた、自分が「日本兵であった父の子ども」であることを背負い、その事実と向き合い続けている演劇人である。渡辺

      • 『芥川龍之介俳句集』(岩波文庫)を読む会2

         岩波文庫の『芥川龍之介俳句集』を読む会の記録です。5月7日に開催したのですが、まとめが遅くなりました。前回、1918年の句まで読みましたので、今回は1919年から1922年までの421句を取り上げました。各人が自分の気に入った句を10句選び、その選評を述べるというかたちで進めています。参加者は前回と同じです。  まずはAさんの選です。句の後ろの括弧内の数字は、文庫に記されている句の通し番号を示します。☆は他の参加者と選が重なった句です。 世の中は箱に入れたり傀儡師 (44

        • 別役実『ホクロ・ソーセージ』を読む:笑うほかない喜劇

           3月になると、2020年3月3日に亡くなった別役実のことを思い出す。生前と変わることなく作品がコンスタントに舞台にかかっているから、別役の不在をあまり意識することがないのだが、もう3年が経過したのである。そこで、あらためて追悼の意味もかねて、没後に発見された幻の第1作『ホクロ・ソーセーヂ』を読み直してみたい。  この戯曲は、2021年に早稲田大学演劇博物館で開催された別役実展の図録に採録されている。梅山いつきの解題によれば、別役が本作を執筆したのは1958年から60年にかけ

          『芥川龍之介俳句集』(岩波文庫)を読む会1

           昨年、岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』を読む会(1、2、3)を開催したのに続き、今年は『芥川龍之介俳句集』(正式な書名は『芥川竜之介俳句集』ですが、自分はこの表記にちょっと違和感があるので「龍之介」と書くことにします)を読む会を開くことにしました。参加者は久保田万太郎を読む会と同じ顔ぶれです。1月8日に開催した第1回の様子を遅くなりましたがまとめておきます。今回は1901年(明治34年)から1918年(大正7年)までの441句から、各自が気に入った10句を選び、選評を述べる

          『芥川龍之介俳句集』(岩波文庫)を読む会1

          別役実とハロルド・ピンター

           別役実がサミュエル・ベケットの強い影響下に劇作を始めたことは、日本の演劇界ではよく知られている。また、イギリスの現代演劇を少し学んだ者には、ハロルド・ピンターがベケットの影響を受けていたことは常識だ。では、別役へのピンターの影響はどうだったのだろうか。  結論から言うと、ピンターは1970年代後半からの別役の作劇術に大きな影響を及ぼしている。ピンターを参照することがなかったならば、別役は彼自身が言うところの「ベケット離れ」を果たしえなかったかもしれない。しかし、別役の全著作

          別役実とハロルド・ピンター

          『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会3

           先月開催した『久保田万太郎俳句集』を読む会3の記録をアップしておきます。今回も前回と同じく4名で続き(「流寓抄以後」)を読む予定でしたが、直前にAさんが体調を崩されたため3名で開催しました。  ただ、Aさんは事前に選と一部の句についてのコメントを届けてくださっています。さっそく見てみましょう。カッコ内の数字は岩波文庫に記されている句の通し番号、☆は2名の共選句、★は3名の共選句です。 ねこ舌にうどんのあつし日短か (757) 何おもふ梅のしろさになにおもふ (771) 煮

          『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会3

          『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会2

           今日(5月6日)は久保田万太郎の命日ということで、先日開催した『久保田万太郎俳句集』を読む会2の記録をアップしたいと思います。会を開いたのは3月だったのですが、年度末の雑事に追われて、記録をまとめるのが遅くなってしまいました……。前回は『草の丈』の部を読みましたので、今回取り上げたのは『流寓抄』の部です。参加者は前回のおふたりのほかに、自分の旧友の日本文学研究者が加わってくれました。  さっそくAさんの選から見てみましょう。カッコ内の数字は、岩波文庫に記されている句の通し番

          『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会2

          『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会1

           11月のある週末、俳句の仲間を二人誘って、オンライン上で岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』を読む会を開きました。三人とも結社「銀漢」のメンバーです。「銀漢」の師系をたどれば、<秋晴の空気を写生せよと言ふ>と詠んだ客観写生派の沢木欣一にたどり着きます。抒情色の濃い万太郎の俳句とはあまり相性がよろしくないはずですが、この三人はそろって万太郎俳句のファンです。みな芝居好きで、俳句を始める前から演劇人としての久保田万太郎の作品になじんでいたためでしょう。また、「銀漢」の伊藤伊那男主宰

          『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会1

          東京乾電池『ヂアロオグ・プランタニエ』(2008年12月)

           先日、下北沢のアトリエ乾電池で上演された東京乾電池の『ヂアロオグ・プランタニエ』がとても面白かったので、この劇団が13年前に新宿ゴールデン街劇場で同作を上演したときに書いた拙文をアップしておく。『シアターアーツ』38号に寄せた劇評の一部に少し加筆したものだ。今回の柄本明の演出は、13年前の上演とは大きく異なっているが、意外なことに観劇後の印象はさほど変わらない。どちらも台詞がよく聞こえてくる中身の濃い舞台だった。 (以下、13年前の拙文)  東京乾電池が、岸田國士の初期

          東京乾電池『ヂアロオグ・プランタニエ』(2008年12月)

          別役実の描く二人組についてのノート

           別役実が亡くなって、この3月で1年になる。没後に刊行された『悲劇喜劇』や『ユリイカ』の追悼号所載の年譜を見ていると、登場するのが男二人だけの戯曲で劇作を始めた別役が、絶筆でも二人組の男を主人公に据えているのが興味深い。別役がベケットを、それも『ゴドーを待ちながら』を強く意識していたことはひろく知られている。ウラジミールとエストラゴンに相当する男二人が、彼の戯曲に頻繁に登場したとしても、べつに不思議はないだろう。ただ、よく読んでみると、こうした別役劇の男の二人組は、たんに『ゴ

          別役実の描く二人組についてのノート

          存在と不在:デイヴィッド・グレッグの『蜂』

           スコットランド国立劇場が5月末から、『生き抜くための場面集』(Scenes for Survival)と銘打って、サイトに短編動画を定期的にアップしている。すべて新型コロナウイルスの感染拡大により活動の場を失ってしまったスコットランドの演劇人が、きびしいロックダウン生活下で撮影した映像作品である。この原稿を執筆している時点では、およそ20編の動画が視聴可能だが、最終的には50編以上が公開されるそうだ。戯曲の執筆を生業としている劇作家ばかりではなく、推理作家のイアン・ランキン

          存在と不在:デイヴィッド・グレッグの『蜂』

          疫病を主題にした音楽劇:マーク・レイヴンヒル『十の災い』

           ここ数週間、政府の外出自粛要請に従って、1日に1回散歩に出かけるほかは蟄居を続けている。酒量が大幅に減った。家では週に1度、ビールの中瓶を1本空ける程度だ。自分は酒そのものよりも酒場に出かけるのが好きだったのだろう。また、いま国内外の多くの劇場が過去の秀作の動画を無料で配信しているが、ほとんど見ていない。パソコンのモニターの前では、どうも腰を落ち着けていられないのである。思っていた以上に、劇場で他の大勢の観客と時間と空間を共有するという行為が演劇の魅力の大きな部分を占めてい

          疫病を主題にした音楽劇:マーク・レイヴンヒル『十の災い』

          デイヴィッド・グレッグ脚色『鳥が鳴き止む時』について

           パレスチナの作家ラジャ・シャハデ(Raja Shehadeh)の When the Bulbul Stopped Singing が、『鳥が鳴き止む時-占領下のラッマラー』という邦題で近々舞台にかかることになった。作者シャハデも、彼の作品も日本ではよく知られているとは言いがたい。自分はアラブ文学や中東情勢の専門家ではないが、たまたま本作の初演をイギリスで目にしている。おぼろげな記憶を頼りに、作品の成立事情や舞台の印象を記しておけば、少しはみなさまの観劇の手助けになるかもしれ

          デイヴィッド・グレッグ脚色『鳥が鳴き止む時』について

          デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート5

           デイヴィッド・グレッグは、2001年にパレスチナを訪れている。現地の青少年を対象とした劇作ワークショップを開催するためだ。なかには演劇をこれまで一度も観たことがないという参加者も含まれていたため、グレッグは地元の関係者になにか作品を舞台にかけてくれるよう頼んだ。たしかに、まったく演劇について知識のない子どもに戯曲が書けるわけがない。グレッグの依頼は至極当然である。しかし、当時の情勢では実現が容易でない注文でもあった。イスラエル軍のパレスチナへの攻撃が強まり、すでに劇場にも砲

          デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート5

          デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート4

           デイヴィッド・グレッグは、2003年に『ノルウェー人だから』(Being Norwegian)という短編戯曲を発表している。もともとはラジオドラマとして書かれたのであろう。上演記録を見ると、10月にエディンバラのトラヴァース劇場で公開録音され、12月にBBCラジオで放送されている。舞台作品としての初演は、4年後の2007年のことである。グラスゴーのオーラン・モア劇場(Oran Mor)の「プレイ、パイ、パイント」という企画での上演だそうだから、観客はランチタイムにビールのパ

          デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート4