『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会2

 今日(5月6日)は久保田万太郎の命日ということで、先日開催した『久保田万太郎俳句集』を読む会2の記録をアップしたいと思います。会を開いたのは3月だったのですが、年度末の雑事に追われて、記録をまとめるのが遅くなってしまいました……。前回は『草の丈』の部を読みましたので、今回取り上げたのは『流寓抄』の部です。参加者は前回のおふたりのほかに、自分の旧友の日本文学研究者が加わってくれました。
 さっそくAさんの選から見てみましょう。カッコ内の数字は、岩波文庫に記されている句の通し番号です。☆は他の人の選と重なった句を表わします。

度外れの遅参のマスクはづしけり (319)
鶯に人は落ちめが大事かな (345)☆
鳴く蟲のたゞしく置ける間なりけり (366)☆
遠ざかりゆく下駄の音十三夜 (402)
ゆく年や草の底ゆく水の音 (414)☆
人柄と藝と一つの袷かな (462)
生豆腐いのちの冬をおもへとや (485)☆
春風やまことに六世歌右衛門 (522)
たかだかとあはれは三の酉の月 (544)
いろは假名四十七文字寒さかな (752)

  「マスク」の句は、「度外れ」が「遅参」にも「マスク」にもかかるように感じられるのが面白いとのこと。万太郎の短編小説『三の酉』に登場する男性を彷彿させもします。
 「鶯」の句はCさんも選んでいます。ふたりとも助詞の「に」に着目しました。「鶯」と「人の落ち目」を取り合せた句ですから、ふつう「鶯や」と切るところでしょう。そこを切らずに一句一章で詠むのが万太郎らしいのかもしれません。宝井其角の<鶯の身をさかさまに初音かな>が下敷きになっているのでは、との声もありました。
  「蟲」の句は谷岡も採りました。中七の「たゞしく」が、この句の眼目でしょう。
 「十三夜」の句を読むと、前書を見るまでもなく、万太郎が脚色した樋口一葉の『十三夜』の一場面が目に浮かびます。
 「ゆく年」の句には「文学座、十周年を迎ふ」という前書があります。Bさんもこの句を選んでいました。「草の底ゆく」という中七の措辞に、結成直後に中心俳優の友田恭助を戦争で喪ったこの劇団の紆余曲折が感じられるとのことでした。
 「袷」の句は、講談師の神田伯龍への追悼句です。言葉遊びの交じった少々軽い詠み方ですが、粋な藝人の死を悼むにはかえってふさわしいのかもしれません。
 「生豆腐」の句はCさんも選びました。この句があってこそ、最晩年の名句<湯豆腐やいのちのはてのうすあかり>が生まれたのでしょう。
 「春風」の句は、1951年に中村芝翫が歌右衛門を襲名したときに詠まれた3句のうちのひとつです。季語の「春風」と歌右衛門の優美さが響き合うようです。
 「三の酉」の句は、小説『三の酉』の末尾に置かれた句です。小説全体がまるで、この句の前書のように感じられます。なお『三の酉』は、2013年に新派の演出家、大場正昭の脚色で舞台化されました。
 「寒さ」の句には、「『假名手本忠臣蔵』開口」という前書が付いています。忠臣蔵の各段の内容をあっさりと俳句に詠みとめる万太郎の手際のよさが光ります。
 続いてBさんの選です。

短夜のあけゆく水の匂かな (353)☆
滑川海よりつゞく無月かな (360)
停車場にけふ用のなき蜻蛉かな (364)
芒の穂うつすと水の澄みにけり (404)
ゆく年や草の底ゆく水の音 (414)☆
ひまはりのたかだか咲ける憎さかな (475)
聖蹟の丘たゝなはる五月かな (533)
牡蠣船にもちこむわかればなしかな (589)
この道はたゞ勝てばよき秋の風 (624)
椿落つ妬心の闇のふかき底 (700)

  谷岡も「短夜」の句を選びました。たんに夏の朝の情景を詠んだ句としても清々しい佳句ですが、前書にあるように、万太郎の戯曲『短夜』の幕切れと重ね合わせて鑑賞すると、味わいがいっそう深まります。
 「無月」の句は鎌倉の叙景句です。滑川の流れと、その先の材木座海岸の波、そこへ降り続いている雨といった具合に、水のイメージで句がまとめられています。
 「蜻蛉」の句も鎌倉で詠まれた句です。万太郎には<東京に出なくていい日鷦鷯>という句もありますが、彼にとって「東京に出なくていい」、「停車場に用のなき」日は、ひと息つける日だったのでしょうか。それとも無聊をかこつ日だったのでしょうか。
 「水澄む」の句は(岩波文庫版の季語索引では掲句は「水澄む」の項に分類されています)、堂々たる季重なりの句です。<したゝかに水をうちたる夕ざくら>のように別の季節の季語を重ねることもある万太郎ですから、同じ秋の季語が重なることなど意に介さなかったのでしょう。ゆったりとした詠みぶりの句です。
 「ゆく年」の句については、すでにふれました。
 「ひまはり」の句は、下五の「憎さ」という主観の突拍子もない表出に驚かされます。しかも、付されている前書が意味深長です。「老いらくの恋とよ」。
 「五月」の句はイェルサレムで詠まれた句です。「聖五月」という季語があるように、キリスト教と五月は結びつきやすいですが、そこに「たゝなはる」という万葉調の言葉を配したのが巧みです。
 「牡蠣船」と言えば、まだ大阪の土佐堀川で営業を続けている「かき広」を思い浮かべますが、万太郎のころは東京にも牡蠣船があったのでしょうか。後藤夜半の<牡蠣船へ下りる客追ひ廓者>に似た艶っぽい情景が目に浮かびます。
 「秋の風」の句には、「秋場所十日目」という前書があります。相撲の世界を「たゞ勝てばよき」と言うことで、美しく負ける人たちを描いた万太郎の小説や戯曲の世界が逆に浮かび上がってきます。
 「椿」の句は、前書によれば、歌舞伎座で『源氏物語』の演出をしていたときの作のようです。だとすれば、「妬心」は六条御息所のものでしょうか。
 続いて、今回から参加のCさんの選です。

人情のほろびしおでん煮えにけり (337)
鶯に人は落ちめが大事かな (345)☆
ゆく年やむざと剝ぎたる烏賊の皮 (375)
燈籠の消ぬべきいのち流しけり (396)
悴みてよめる句に季のなかりけり (417)
生豆腐いのちの冬をおもへとや (485)☆
おぼろとは菜の花月夜これならむ (498)
鳥曇よしなきことにかゝづらひ (527)
何がうそでなにがほんとの露まろぶ (641)
割りばしをわるしづこゝろきうりもみ (669)

  万太郎はあの「湯豆腐」の句をはじめとして鍋物を詠むのが巧みですが、この「おでん」の句もそうです。「人情のほろびし」という慨嘆を受けるのに、「おでん」以外の料理はなかなかないように思います。「――語る」という思わせぶりな前書がついています。
 「鶯」と「生豆腐」の句はすでにふれました。
 「ゆく年」の句には「銀座」という前書があります。中七の措辞は、万太郎にしては、やけに生々しい気がします。
 「燈籠」を身近な死者に見立てて詠んだ句はいくつもありますが、万太郎のこの句の「消(け)ぬべきいのち」は、万太郎自身の命を指しているように感じられ、彼の厭世意識が窺えます。岩波の『俳句集』には<燈籠のよるべなき身のながれけり>という句(712)も収録されています。
 「悴む」の句は、俳句についての俳句です。「巡業中、松本要次郎の急逝にあひたる高橋潤に」という前書がありますから、急いで詠んだ追悼句なのでしょう。故人の仲間が出した追悼句には無季の句もあった、それぐらい思いもよらない突然の死だったということが伝わってきます。
 「おぼろ」の句は、里見弴たちと湯の山温泉に出かけたときの作です。ふと口から漏れたつぶやきをそのまま定型に収めたような句の姿に、旅先での気持ちの弾みが感じられます。
 「鳥曇」の句もまた旅吟で、1951年に国際演劇会議出席のためにオスロへ出かけたときの作です。前書に「出発の日、目のまへに迫りて、しかもなお旅券下りず」とあり、万太郎の憮然とした表情が目に浮かびます。
 「露」の句には、万太郎が好んだフレーズが使われています。下五だけを変えた<なにがうそでなにがほんとの寒さかな>という句もありますが、この句集には収録されていません。
 「きうりもみ」の句が描くのは、穏やかな食事風景です。万太郎の句に出てくる食べ物は、つねに美味しそうです。
 最後に谷岡の選です。

ふゆしほの音の昨日を忘れよと (313)
日向ぼつこ日向がいやになりにけり (316)
波を追ふ波いそがしき二月かな (339)
短夜のあけゆく水の匂かな (353)☆
鳴く蟲のたゞしく置ける間なりけり (366)☆
ほそみとはかるみとは蝶生れけり (387)
小説も下手炭をつぐことも下手 (413)
春眠をむさぼりて悔なかりけり (459)
雛あられ両手にうけてこぼしけり (520)
身の闇や盆提灯のきえしとき (706)

  「ふゆしほ」の句は、生まれたときから住み慣れた東京を離れ、鎌倉材木座に新居を構えた折に詠まれた句です。『流寓抄』の劈頭にふさわしい句だと思います。
 「日向ぼつこ」の句には、万太郎の大人気なさがストレートに出ていて笑えました。
 「二月」の句は、ひねったところのない叙景句です。季語の「二月」が効いています。
 「短夜」と「蟲」の句は、すでにふれました。
 「蝶」の句を、自分は万太郎の俳句観の表明として受け取りました。不要な言葉を削りに削って、蝶のように軽く美しい俳句を生む。この句集には、桂離宮で詠まれた<詠みし句のそれぞれ蝶に化しにけり>という句(555)が収録されているとの指摘もいただきました。
 「炭」の句は、『川』という小説を執筆していたときの作です。自作に厳しい目を向ける万太郎の作家としての矜持が窺えます。「炭をつぐ」のは、ほんとうに上手ではなさそうですが。
 「春眠」の句は、他愛のない春の日常を詠んだ句に見えますが、「妹、結婚、三十余年の肩の荷を下ろす」という前書を読むと、妹への兄の複雑な思いが目に入ってきます。
 「雛あられ」の句に、自分は万太郎の好々爺ぶりを見ました。
 「盆提灯」の句は、息子の耕一の新盆の際に詠まれた句です。後年、万太郎は<煮大根を煮かへす孤独地獄なれ>と詠んでいますが、この句の「身の闇」はその地獄へとつながるものでしょう。
 前回と同様、各人の選が思いのほか重ならないのが面白かったです。また、演劇好きが多いためか、万太郎の戯曲の一場面と重なる句が選ばれがちだったようです。
 次回は、「流寓抄以後」の部を読む予定です。

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