『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読む会3
先月開催した『久保田万太郎俳句集』を読む会3の記録をアップしておきます。今回も前回と同じく4名で続き(「流寓抄以後」)を読む予定でしたが、直前にAさんが体調を崩されたため3名で開催しました。
ただ、Aさんは事前に選と一部の句についてのコメントを届けてくださっています。さっそく見てみましょう。カッコ内の数字は岩波文庫に記されている句の通し番号、☆は2名の共選句、★は3名の共選句です。
ねこ舌にうどんのあつし日短か (757)
何おもふ梅のしろさになにおもふ (771)
煮大根を煮かへす孤独地獄なれ (800)★
春がすみ團十郎といふ名かな (857)
十三夜孤りの月の澄みにけり (871)
何か言へばすぐに涙の日短き (880)
たましひの抜けしとはこれ、寒さかな (882)
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり (889)☆
花冷えの燗あつうせよ熱うせよ (897)
世に生くるかぎりの苦ぞも蝶生る (900)★
「日短か」の句は、東京生まれの万太郎ならば蕎麦を食べそうなところを饂飩を食べていたり、自分を猫舌だと言ってみたりするなど、どこか万太郎らしくないユーモラスな詠み方の句です。また、「日短か」を四音のまま下五に置くこと自体はべつに珍しくありませんが、880番の句で「日短き」とわざわざ五音に整えているのと比べると、この下五の処理にも万太郎なりの意図があったのかもしれません。
「梅」の句には「二月二十日、耕一、三回忌」という前書があります。Aさんはこの句を見ると、耕一が四歳のときに万太郎が詠んだ<さびしさは木をつむあそびつもる雪>(35)が想起され、すでにこの時点で不幸が予見されていたかのようだとのことです。
「煮大根」の句は、3人の選が入りました。誰か(おそらく三隅一子)が食べごろに似てくれた煮大根を、しばらく時間が経って自分で煮返している万太郎の姿を想像すると哀れさを感じます。ただ、谷岡は下五をなぜか已然形で止めていることと「孤独地獄」という言葉の強さに引っ掛かりを覚えて、いただけませんでした。日本文学の専門家のBさんによれば、芥川龍之介に「孤独地獄」という作品があり、そこに由来する措辞ではないかとのことです。晩年の万太郎は、早世した中学の後輩、芥川の抱えていた「孤独地獄」を共有していたようにも見えます。
「春がすみ」の句は、1962年4月の十一代目市川團十郎襲名に際して詠まれた句です。配した季語の「春がすみ」から、助六を演じる團十郎の華やかな姿が目に浮かんでくるようです。
「十三夜」の句からは、万太郎が脚色した樋口一葉の『十三夜』の一場面が脳裏に浮かびます。演劇ファンのAさんらしい選句です。
「日短き」と「寒さ」の句はいずれも「一子の死をめぐりて(十句)」と前書のある句からの選です。抒情的な句の多い万太郎ですが、この十句はとくに万太郎の思いがストレートに出ています。それでいて俳句としての品格を失っていないのは、万太郎の技量の高さゆえでしょうか。
「湯豆腐」の句は、言わずと知れた万太郎の代表句です。だから選から外せないというAさんとCさん、きっと他の誰かが選ぶだろうから自分はあえて外したBさんと谷岡に分かれました。Aさんは「いのちのはてのうすあかり」という平仮名表記のやわらかさにあらためて注目します。文学座で万太郎の謦咳に接した女優の本山可久子さんが、自分は「ひと文字ひと文字言うつもり」で台詞を口にしていると発言していたことを、Aさんはこの字配りから思い出したそうです。
「花冷え」の句からも、一子を亡くした寂しさが窺えます。谷岡はまったく場違いではありますが、星野立子の<秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ>を想起しました。
「蝶」の句は、上五中七の重さと蝶の軽さの対比が鮮やかです。かつて<詠みし句のそれぞれ蝶に化しにけり>(555)と詠んだ万太郎のことですから、ままならぬ世の苦しみから佳句を授かったという意味にも解釈できるかもしれません。
続いてBさんの選です。
道づれの一人はぐれしとんぼかな (754)
初日記いのちかなしとしるしけり (765)
煮大根を煮かへす孤独地獄なれ (800)★
句碑ばかりおろかに群るゝ寒さかな (817)
偽書花屋日記読む火をうづめけり (822)
元日の句の龍之介なつかしき (853)☆
高浪にのまれてさめし昼寝かな (867)☆
鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな (892)
世に生くるかぎりの苦ぞも蝶生る (900)★
遮莫焦げすぎし目刺かな (902)
Bさんの選のうち、「煮大根」と「蝶」の句についてはすでに述べました。
「とんぼ」の句には「亡き藤間万三哉をなげく」という前書があります。藤間万三哉が亡くなったのは春(4月3日)ですから、没後しばらく経って詠まれたのでしょう。風まかせに飛ぶ蜻蛉に故人のイメージを重ねたのでしょうか。
「初日記」の句では、めでたい新年の季語に陰鬱な措辞を取り合せているのが目を引きます。「かなし」や「あはれ」など感情を直截に表出する言葉を用いながら嫌味にならない万太郎の句作法については、2022年春の俳人協会の講義動画で森田純一郎氏が言及されていました。
「寒さ」の句は、大津の義仲寺で詠まれた三句(岩波文庫版には二句所収)のうちの一句です。万太郎は前書に「芭蕉ゆかりのこの寺も、いまは街道筋となり、はなはだふぜいに乏し」と記しています。中七の「おろかに群るゝ」にその気持ちが出ているようです。
「火を埋む」の句にある『花屋日記』とは、芭蕉終焉の様子を門弟たちの日記や手紙の再構成という体裁で描いた書物です。実は偽書なのですが、正岡子規や芥川龍之介は大いに感動したと言われています。「火をうづめけり」とありますから、万太郎もこの偽書を読むと胸に昂ぶるものを感じたのでしょう。
「元日」の句で言及されている「龍之介の句」とはもちろん、よく歳時記の例句となっている<元日や手を洗ひをる夕ごころ>です。「孤独地獄」のところにも書きましたが、晩年の万太郎が芥川を身近に感じているのは興味深いです。
「昼寝」で作句するときに夢の内容を詠むのは、ひとつのパターンではありますが、この句では万太郎らしくない夢を見ているのが面白いです。
「鮟鱇」の句も、万太郎のよく知られた句でしょう。「煮大根」や「湯豆腐」など、万太郎はじっくり煮込む食べ物の句に秀作が多い気がします。「目刺」の句は、「遮莫(さもあらばあれ)」という大胆な打ち出しが目を引きます。七音も使っていますが、たいした内容はありません。このように短い詩形を大らかに使うのが、万太郎の詠み方の特徴のひとつだと思います。ちなみに、この句が岩波文庫の俳句集に収録されている最後の句ですが、久保田万太郎の俳句の絶筆は<長岡のモダン茶店の五月かな>という句です。1963年5月6日、梅原龍三郎邸に出かける前、万太郎は中村汀女が主宰する「風花」の記念句会に出席しています。そのとき隣の席にいたのが、映画監督でもあり俳人でもある五所平之助で、彼の妻が伊豆の長岡に茶店を開くと聞いて短冊にしたためた句です。
続いてCさんの選です。
沖に立つしら波みゆる枯野かな (762)
クリスマス海のたけりの夜もすがら (763)
はんぺんの肌かぐはしき小春かな (795)
煮大根を煮かへす孤独地獄なれ (800)★
冬の虹湖の底へと退りけり (815)
まゆ玉やつもるうき世の塵かるく (828)☆
なまじよき日当りえたる寒さかな (884)
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり (889)☆
雪の傘たゝむ音してまた一人 (891)☆
世に生くるかぎりの苦ぞも蝶生る (900)★
Cさんの選のうち、「煮大根」「湯豆腐」「蝶」の句についてはすでに述べました。
「枯野」の句は、「熱海にて文藝春秋社忘年会の砌、志あるものうちよりて句座をひらく」と前書のある七句(岩波文庫版には四句所収)のうちの一句です。おそらく目にした情景をそのまま詠んだのでしょうが、その結果、枯野に海という新鮮な取合せが生まれました。
「クリスマス」の句も同じく熱海の忘年会の折に詠まれた句です。こちらも意外性のある取合せの句に仕上がっていますが、中七から下五にかけての調べのよさも魅力的です。
「小春」の句には「伝馬町雑唱」という前書が付いています。当時の大伝馬町、小伝馬町はもうすっかりオフィス街になっていたと思いますが、万太郎の目には古き佳き下町情緒が見えていたのでしょう。庶民的な「はんぺん」を「肌かぐはしき」と詠んでいます。
「冬の虹」の句は、長唄三味線方の山田抄太郎と琵琶湖めぐりをしたときの句です。虹が湖底へ沈んでゆくと捉えたのも面白いですが、それを「退る(しさる)」と表現したのが出色です。
「まゆ玉」の句は、中七下五の俗謡風の調子のよさが目を引きます。前書によれば、万太郎は毎年、正月には「まゆ玉」の句を詠むのを習慣としていたようです。
「寒さ」の句は「一子の死をめぐりて」の前書のある句のうちの一句です。「なまじよき日当りえたる」という上五中七は、たんなる情景の描写ではなく、周囲からは文壇や演劇界の成功者として見られている自分の境遇をも指しているのだろうとの指摘がありました。恵まれていると他人に思われているがゆえに深まる孤独もあるのでしょう。
「雪」の句の寂寥感も痛切です。一子の死後は来客も減ったのでしょう。自宅に近づいてくる足音と傘をたたむ音はするのですが、その人はよその家に入ってゆくようです。「また一人」の時間が続きます。
最後に谷岡の選です。
熱燗のいつ身につきし手酌かな (758)
一生を悔いてせんなき端居かな (783)
ほのぼのと酔つて来りぬ木の葉髪 (798)
時雨傘さしかけられしだけの縁 (814)
すつぽんもふぐもきらひで年の暮 (825)
まゆ玉やつもるうき世の塵かるく (828)☆
粉ぐすりのうぐひすいろの二月かな (832)
元日の句の龍之介なつかしき (853)☆
高浪にのまれてさめし昼寝かな (867)☆
雪の傘たゝむ音してまた一人 (891)☆
自分の選のうち、「まゆ玉」「元日」「昼寝」「雪」の句についてはすでに述べました。
「熱燗」の句のように、万太郎の晩年の句には孤独感の表出や自嘲が目につきます。しかし、読んでいて嫌な感じがしないのはどこかユーモアがあるからでしょう。この句では「いつ身につきし」という中七のとぼけた調子がそうです。
「端居」の句にも強い自己否定の感情が詠まれています。ただ、夏の夕暮れの明るい空気を感じさせる「端居」という季語のおかげで重くなりすぎていないようです。季語を「夜長」などにしてみると、救いのない句になってしまいます。
「木の葉髪」の句は、『銀座百点』の忘年句会で詠まれた句です。自画像でしょうか、あるいは同席者の姿でしょうか。いずれにせよ、温かい句座の様子が伝わってきます。
「時雨傘」の句には、「たまたま逢ひし人の、名をだに知らず」という前書があります。初冬の京都での情景でしょうか。老いらくの恋の物語が始まりそうな華やいだ雰囲気を感じます。
「年の暮」の句からは、いい歳をして食べ物の好き嫌いの多い万太郎のわがままさが伝わってきます。「せっかくのお志には候へど……」と殊勝な前書をつけてはいますが。
「二月」の句は、処方された薬の色が鶯色になったことに春の訪れを感じている万太郎の「若々しさ」に惹かれました。喪失感や寂寥感を詠んだ句が多いなか、一服の清涼剤のように感じられたのだと思います。
3回にわたって『久保田万太郎俳句集』を読みました。俳句のような短詩は他人の解釈を聞きながら読むと面白さが倍増することをあらためて実感しました。万太郎に続いて、岩波文庫から出ている『芥川龍之介俳句集』を読んでみようかと思っています。
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