[note42]試行錯誤の振り返り
公共において「民主主義」をどう扱ったか?①
公民科において、「民主主義(Democracy)」は核となる分野であるが、同時に扱うのが難しいテーマであると感じている。ごく一般的な説明としては以下のように伝えることが多い(受験生を念頭に置いたシンプルな定義)。
民主主義には1つの目的と3つの手段がある。
(目的)全ての人が個人として尊重され、自由や権利が保障されること
(手段)①国民または権力を信託された代表者によって政治が運営される
②憲法を頂点とした法体系により社会が運営される
③権力は分散され、相互に抑制と均衡の関係を保つ
この中で王権神授説や社会契約説、自然法思想、自然権思想などを解説するというのが流れになる。ただし、今回は少し視野を広げてみようと以下のような取り組みをしてみた。
民主主義を様々な角度から考える
かつてイギリスの首相を務めたチャーチルが「民主主義は最悪の政治体制である。これまでの歴史に見られたあらゆる政治体制を除いて…」という言葉を残している。これはしばしば、授業の問いとして引用する。
民主主義は欠陥が多く、その言葉が私たちの権利を守るわけでもないし、放置すれば劣化する危険性を秘めている。民主主義という言葉があまりに独り歩きすることで、当たり前に存在する安定した制度であると理解すると誤った歴史を歩むことを人間の歴史は証明している。
日本国憲法でも「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という言葉で表現していることからも分かるように、「努力」が必要であるわけだ。
さて、今の社会は民主的だろうか!?生徒達はどう考えているのだろうか?
はじめに、「民主主義」のイメージを思いつくままに挙げ、それをテキストマイニングにかけてみた。
民主主義ではない社会!?
何を民主的と定義するかは様々だろう。そこで、生徒を4~5人のグループを作り、ランダムで指定した国を調べ、その国の民主的と言える要素、民主的とは言えない要素を抽出しながら、最終的に「この国は民主的と言えるのか?」を理由を添えて、発表してもらった。今回はPadletのマップを利用した。3クラスで行ったワークの結果を見ると、世界地図には想像以上に赤アイコンが多い。それだけ、民主的とは言えないと捉えている国が多いのかもしれない(ランダムで選択したため、偶然性もあるが)
生徒はチームで自分の知識やiPadを使ったリサーチで外務省のページやその国について説明している記事などから「民主的要素」「民主的とは言えない要素」を分類する。そして、Padletのマップに最終的に民主的か非民主的かを判断して青と赤の色分けをしたアイコンを立てる。説明を聞くと、確かに様々な理由が登場する。例えば、あるチームは香港でデモが行われていることが民主主義の象徴と捉えている。また、あるチームは識字率が高いことを民主主義の必要条件と考えていた。政党数に注目したチームもあったし、君主制と共和制という政治体制から判断を探っていたチームもあった。すべては紹介できないが、民主主義というもののイメージは多種多様で興味深い。
ここで生徒達に考えて欲しかったのは「民主主義とは何なのか?」という自分なりの問いである。そして、最終的には様々な条件が人々の自由や権利の尊重に繋がっていくことに気付いていって欲しい。
民主主義は無力か?
この後、国際的な民主主義指数を紹介しつつ、経済成長と民主主義体制が必ずしも一致しない傾向を示している現代社会の状況を説明した。そして、最後の問いが「民主主義は無力か?」である。ここでは熊本大学の苫野先生の講演で紹介されていたピンカーの著書『暴力の人類史』を引用させていただいた。現代社会を生きる我々が、奴隷制や娯楽としての罪人同士の殺し合い、魔女裁判などを見て、おぞましいと感じる感覚こそが民主主義の根幹にある自由や権利に対する意識である。ヘーゲルが「自由の相互承認」と述べ、J・S・ミルが「他者危害排除の原則」を唱えたように、民主主義は自らの権利主張だけで成り立つものではない。権利や自由が相互に認められてこそ成り立つものである。しかし、人が欲望を通して物事を見る時、他者の権利や自由を侵害してきた。だからこそ、民主主義には対話と合意が不可欠であり、公共空間における私達も日々、努力を重ねる必要がある。前述した憲法の規定も、そうしたことを端的に表していると言える。
「不可欠だが、私たちが努力を欠かすと崩壊する存在」
これが民主主義の正体ではないかと考える。この後の授業では18歳参政権を念頭に15歳の生徒達が政治に対して何を求め、どのような社会を望むのかを考えていくことにしている。果たして、生徒達には民主主義に多様性、存在意義がどこまで伝わったか…これもまた大きな課題である。