社会科授業づくりの第一は資料なのか
とある社会科民間研修に参加した
先日,社会科の先生方が参加される民間研修会に参加させてもらう機会がありました。
休みの日にプライベートの時間も授業づくりのために学び合われる熱心な先生方です。
私としては純粋な社会科の学習会に参加するのは久しぶりでしたので,ドキドキしながら参加しましたが,次第に,ああそうだったなあと,じわりじわりと社会科教師の身体感覚や,社会科教師の集いに漂う独特の空気感を思い出しました。
自分が中学社会科教師だったのは今から20年も前ですが,昔と今も変わらないなあという印象を受けました。
同時に違和感を覚えました。
その違和感を忘れないようここに書いておきます。
勉強会に参加される先生方が熱心に情報交換をされているのですが,その情報のやりとりは,あることを教えるのに「どのような資料を扱うか」に終始しています。
そこには,どのような学習方法で教えるかはほとんどないですし,そして,子どもたちがどのように考えたとか,どのような認識を獲得したか,どのように行動したか,など学習者の学びについては語られませんでした。
初めて参加した会ですので,もしかしたらたまたまその回が資料に特化した回なのかもしれません。
しかし,そうであれ,学びの主体者,つまり子どもたちについて言及されないまま話が進むことに引っかかり,気になりながら参加を続け,モヤモヤを抱えたまま終わります。
社会科の目標は
これは小学校学習指導要領の社会科の目標です。
「公民としての資質・能力を次の通り育成する」の主語は,教師です。そして,その客体は,学習者である子どもたちです。
さらに,(1)「身に付ける」(2)「養う」(3)の「養う」のは,学習者である子どもたちです。
つまり,目標を達成したかどうかは,子どもたちの姿でしか評価できないのです。
何を第一にするのか
これを見ると,その教材や指導方法の効果,良し悪しは子どもの姿を通して語られるべきです。しかし,実際の研修の場では,子どもたちの姿を感じられない,大人の理屈や感覚でその教材や方法の良し悪しが語られることが少なくありません。
とはいえ,私自身の授業づくりや授業実践を思い出しても関心ごとは「何を何で教えるか」でした。
子どもたちがわかりやすい(だろう)資料,子どもたちが興味を引く(だろう)資料をいかに集めるかが興味関心ごとでしたし,それが教師の腕前だと思っていました。
もちろん社会科では資料が大切であるのは言うまでもありません。
しかし授業は学習者のためにあるものであり,学習者がどう学んだのかということが最も大切なことなのではないでしょうか。
平野朝久さんの「はじめに子どもありき」を授業づくりの第一にしたいものだと改めて思いました。
(これは,2021年4月にscrap boxに書いた記事に修正を加えたものです。)