あるがままにあれば、恐れることは無い(950)
ありのままとは「本質的にある通り、偽りのない姿」のことであり、あるがままとは「作為のない自然にまかせた姿」のことです。いわば、本性に従っている内側の状態がありのままであり、あれこれ考えずに眼の前に起こっていることを受け入れるのがあるがまま、とも言えます。あるがままは、禅で言う「何ものにもとらわれず、自分のこころに素直」という意味の平常心(びょうじょうしん)と同じです。
あるがままにあるときには、なにごとも素直に受け止めるわけですから、「ああ、そうなんだ」というように感じるだけです。だから、何も恐れることはなくなるわけです。危険だと感じたら逃げればいいのです。驚きを感じたら、ただ「驚いた」と言えばいいのです。ある人がバンジージャンプをしたときに「本当に怖かった」と言って引きずっていたそうですが、禅僧がバンジージャンプをしたら「ああ、落ちていると感じた」と言っただけだそうです。それが、あるがままに受け止めるということです。
世の中のものごとは、誰かがコントロールするということでは無く、あるがままに起こっています。だから、悲しい出来事に対しては悲しいままに、嬉しい出来事に対しては嬉しいままに、恐ろしい出来事に対しては恐ろしいままに感じればいいのです。そして、その感じたことに対して瞬間的に状況判断して対応すればいいのです。前述のバンジージャンプの例では、「ああ、落ちている」と感じるだけでいいのです。どうせ、死にはしないのですから。
多くの人が、「死は怖い」と思っていまるようです。でも、死は多くの場合に自分ではコントロールできないのです。今日死ぬのではなく、明後日に死のうなどとコントロールできないのです。そうと分かれば、確かに「死は怖い」としても、それにこだわりすぎる必要はないのです。「死ぬときには死ぬのだ」と割り切ってしまえばいいではありませんか。
死が怖いというのを究極的な恐れだとすると、その他のことは大したことはありません。ものごとはあるがままにあるのだと達観できれば、あるときに瞬間的に「怖い」と感じても、「そうだ怖いね」と肯定した後には、引きずらずこだわらずにあればいいのです。
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