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禅や古代仏教は宗教ではなく自分学である

2024年の新年を迎えて、私の仏教観/禅宗観を示したいと思います。

まず、「宗教」とは明治時代の翻訳であり、キリスト教や仏教などを一まとめにしたものだということを理解しましょう。すると、キリスト教のように「神」に依存するという教えと、自分の中にある「本性・仏性」に従うという仏教の教えが混在していることがわかります。他に頼る、自らに頼るという、大きな違いが、宗教間には混在しているのです。

そこで改めて、仏教(古代仏教、禅)は他者依存ではないということを強調したいのです。自分の奥底にある純粋で清浄なる心(本性・仏性・仏心)に気づき、その心に従う訳ですから、自分自身(自己)に従うと言うことになります。だから、仏教は「自分学」だ、と私は位置付けているのです。

本性・仏性とは、生まれた時からすでに与えられている本質のことです。そうであれば、仏教における本質とは何を指しているのでしょうか。私は、次の二つが最も大事だと思っています。

無常 世の中のものごとは常に変化しており、相互に影響を与えている。
 無常がわかれば、不変なる自我も無いこと(無我)がわかる。
 だから、思い通りになるようなことは無い。
 一切のものは不生不滅である(無生法忍と言う、別名でと言う)。

縁起 ものごとは、原因となるものがあって、結果が導かれる。
 さらに周りの状況や環境の変化(それを縁と言う)とともに結果が変わる。
 因と縁によってものごとが変わっていく(因縁果)。

私たちは、つい次のように思いがちです。
 不変の自我があるなどと考え、固執してしまう。
 あるいは、望んでも自分の思い通りになると思ってしまう。
これらは、度が過ぎると苦しみに変わっていきます。
ちなみに、「Aとなる」「Aとならない」などと思い込むことを、分別するとか、二元思考などと言います。どちらかに偏って固執するわけです。しかし、思い通りにならないがために、苦しんでしまうのです。

仏教や禅では、二元思考を嫌います。すなわち、分別を嫌うのです。大切なのは、世の中のものごとを分別せずに、無常であるが故に「あるがままに受け止める」ということです。ああだこうだと分別するがために、思い通りにならないと苦しむようになっていくのです。

あるがままに受け止めることができれば、苦しむことはなくなってくるではありませんか。そのような状態になることを学び、精進していくのを「自分学」と呼んでいるのです。

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