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エッセイ化決定

あの、最初に言っておきますけど、俺のエッセイ集が出るとか、エッセイが書籍化されるとか、映画化決定とか、そういう話じゃないですからね!

え、そんなの言われなくてもわかってるって?

ズコー!

さて、毎日あほみたいにたくさんの人が、あほみたいに頑張って文章を書いて、素敵なエッセイを投稿しております。

言い方悪いな。

ごめんね。今から褒めちぎるから許してね。

で、よく考えて欲しいのですが、今日あった出来事、独り言や思ったこと、または過去の体験談や経験談などを文章にするって…

それはもの凄くスゴイことじゃないですか!

今日1日の出来事をわざわざ自分の言葉で文章にしてですよ?そこからさらに考えや意見を述べて、時には笑いあり、涙あり、感度ありのエッセイにまとめる。

こんなこと毎日できる?

ただの日記を書くだけでも、映画やアニメ、漫画の感想を書くだけでも意外と大変なんだよ?

書く習慣が無い人は、そんな難しい作業は面倒くさくてやらない。

だってやる必要がないもの。

そしてそんなことができるのは、人間だけ。

いくら猿や犬やイルカが頭が良くても、何も書けない。

100年経っても1000年経っても、動物はエッセイを書かない。書けない。書きたいとも思わない。

なのにアンタ達ときたら!何を毎日のように、忙しい合間を縫って書いてるの?

それはスゴいじゃない!スゴイことよ!

普通に過ごしてたら気付かない事、そのまま忘れていくような事も、書く習慣のある人は違う。

その部分を切り取って文章に変えるんです。

何気ない日常を、熱い思いを、心の葛藤を、悩みや苦しみを、幸せな気持ちを、悲しくて辛い想いを、希望と絶望を、笑いと感動を、そして自分の人生を!

全部エッセイにしてしまうんです。

エッセイ化してしまうんですよ!


すごいやん!それはもの凄い相殺活動、間違えた創作活動やん!

何の為に書いてるの?

何で書いてるの?

なぜ書こうと思ったの?

なぜ書きたくなるの?

なぜそんなに書けるの?

これを、あれを、それをなぜ文章にしようと思ったの?

書いてその先に、一体何があるの?

いつからそんなに、書くことが好きになったの?

どうして書くことが好きなの?

なんて質問してみたけど、わかる、わかるぜ!

やむにやまれぬ大和魂ってやつでしょ?


あれ?何か違う?

でもね、俺は自分の汚い部分、ズルい性格も、ゴミみたいな夢やクソッタレなつまらない日常も、希望も絶望も涙も全部エッセイにして、どんな困難でも立ち向かって行こうとしているんだぜ。

と思ったけど、いや別に立ち向かってなかったわ。

そんなに深い意味はなかったわ。あれ?

なんで今日は、こんなことをエッセイ化したんだろう。

うーん、自分でもわからない。

なんだか無性に書きたくなったんだ。

どうでもいいことでも、つまらない話でも、書くと落ち着くんだよね。

でもきっと、エッセイとはそういうものなんだよ。

あとがきエッセイ
そもそもエッセイとは何ぞや?それを知らないと始まらないぜ!というわけで説明しよう。エッセイとはネットで調べると「自分の意見や感想を自由な形式で書いたもの」とある。ふーん。なんて簡単なんだろう。と思うやーん?俺もそう思ったぜ。しかし、だがしかしである。自由というのはある意味不自由だ。自由に書けと言われても、実際にはどう書くのかわからない。書くコツ、書き方がわからない。今日の出来事を普通に書いただけでは、ただの日記になってしまうやん!じゃあエッセイとは何なんだ。どうやって書くんだ。あれ?どうしよう。ふりだしに戻ってしまった。仕方がねぇ。では俺のエッセイ論を述べさせて頂こう。エッセイはドラマであり物語である。日記のようだが、書き手が語っている。実際の出来事だがドラマのように演出があり、物語として進んでいく。もちろん書き手のナレーションも必要だ。それは静かに考えや思い、感想を語っていたり、状況の説明であったり、もしくは関西弁でツッコミをいれたりボケてみたり、そんな演出もいいだろう。そうやってただの日記が書き手の気持ち、息吹が吹き込まれることによってエッセイに進化するのだ。まぁ本当は、俺もよくわかってないのよね。でも、だから書く。書き続けるのさ。


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たかやん
ここだけの話ですが、現在タイムマシンを作っているので、その資金に使わせて頂きますね。サポートして頂けたら過去のあなたに大事な何かをお伝えしてくることをお約束します。私はとりあえず私が14歳の時の「ママチャリで崖から田んぼにダイブして顔面めり込み事件」を阻止したいと思います。