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贅沢とは、自由とは
おはようございます!
久しぶりに散歩しました。
格闘技を3日連続は疲れるので休みとし、
仕事は懸案だったGoogleの再設定を
済ませることができたので、
なんとなく散歩でも行ってみるかと
寒い中歩き始めました。
いつもなら、
ランニングをしようと家を出るのですが、
昨日はそれもせずに、ぶらりです。
いったことのない方向に行こうと歩き始め、
何も考えずに時を過ごすと
神社がありました。
第六神社とかいう名前で、
無粋な名前だなあと思いながら
神社のゆかりを読んだりしました。
普通の神社でした。
それから道伝いに歩いて
行き止まりが多い所なので
遠回りして帰ってくると、
狭い入口の神社がありました。
こんなところに神社があったのかと
通り過ぎようとしましたが、
なんとなく戻って本殿までのぞきました。
ただそれだけの30分なのですが、
とても豊かな気持ちになりました。
*
最近は、やるべきTO DOで
スケジューラーがいっぱいになり、
週末に持ち越し、
それでも間に合わずに
リストが積みあがるばかりです。
趣味の運動もルーティン化し、
整体もルーティン化し、
ラジオ英会話も習慣に落とし込んでいます。
たった30分の散歩が
これほど豊かに感じられたのは、
そうした目的からはなれて、
意味もなくふらつくことができたから
なのでしょう。
*
話は変わりますが、
1989年のベルリンの壁が壊れた時に、
壁の上でつるはしをもって
レンガを壊している勇ましい映像が
あります。
その時、テレビインタビューをみました。
「我々は西側に移民したいわけでも
亡命したいわけでもない。
ただ、道の向こうに行って
お茶を飲んで帰ってきたいだけなんだ」
そんな些細なことでも、
やってはいけないと言われると、
閉塞感を感じるものなのかと思いました。
校則と同じです。
*
ただの散歩が大げさな話に
なってしまいました。
今日もよろしくお願いします。
安島