腰や膝、肩が痛むのは身体の使い方が間違っているかで、どう解決するべきかを書いていく
「なんでそんなに走りまくってるのに、膝を壊さないんですか?」
このあいだ参加した飲み会で問われた質問なのだが、これは真理を突いた質問だなぁと思ったので、真面目にちょっと文章化してみようかと思う。
僕はもともと慢性腰痛を持っていた。腰痛とは20歳ぐらいからの付き合いで、その後18年近くは悩まされ続けた。
その後、色々な腰痛改善方法を模索し、現代医療は言うまでもなく、痛みのゲートウェイ理論やらの生理学的な知見や、骨格の歪み由来だと主張するものなど、本当に様々な意見に一通り目を通したが、結論からいえば、そのどれもが腰痛を治すのには役立たなかった。
腰痛に関して、最も誠実に回答しているのが、高野秀行さんの腰痛探検家だと思う。結論からいえば、この本は「腰痛は治らないので、気にならなくなるようにするしかない」という、微妙な論調に落ち着くのだが。
なぜ腰痛が治らないのか?結論からいえば、それは腰痛は原因ではなく、結果でしかないからだ。
身体を動かす過程で発生するエネルギーが腰の部分で渋滞した”結果”が腰痛や膝痛であり、その発生原因は個々人の身体の動かし方のクセや筋骨格系の特定の歪みがその原因である。
だから物凄く簡単に結論をいえば、身体の動かし方を修正したり、筋骨格系の歪みをある程度修正さえできれば…腰痛や膝痛、肩こりといった慢性痛は”治る”事になる。
と、ここまで書いておいてなんなのだが、これを自然状態で達成するのは不可能に近い。
例えば、あなたが物凄く嫌いな奴の事を考えて欲しい。その人に
「お前の性格とかモノの言い方が悪いから、こっちは迷惑してるんだ。みんなの為に変えろ!」
と言ったとして、果たしてその人は変わるだろうか?
同じことが肉体に置いてもいえる。
「身体の動かし方がヘタで、筋骨格系が歪んでるから、結果的に身体が痛むんだ。変えろ」
と己の肉体に命じたとして、そんな簡単に変わるのなら苦労しない。
というか、性格にしろモノの言い方にしろ肉体操作にしろ、何らかの理由があってそういう”動き”に結果として落ち着いているのが”結果”であり、残念ながら原因に”変われ”と命じた所で、正直な事をいえばどうにもならない。
僕が高野秀行さんの腰痛探検家を”誠実だな”と感じるのは、腰痛をある種の「諦め」として捉えているからに他ならない。
自分自身の性格を簡単には変えられないのと同じで、自分自身の肉体も簡単には変えられない。
たとえ超絶なカウンセラーにセラピーを施されたとしても、たとえ神の手と呼ばれる整体師の手に己の肉体を委ねようが、残念ながら自分自身というのは強固なホメオスタシスに導かれて、自分自身に自然矯正されていく。
無意識の力というのは、誠に凄いものなのだ。まあ、24時間自分の肉体に影響を与え続けるのだから、そりゃ強いに決まっているのだが。
と、ここまで色々書いておいてなんなのだが、じゃあ手立てが全く無いかと言われると、僕が自分自身が治ったと言っているだけあって、そんな事はない。
ナマイキな新卒が社会で揉まれる過程で落ち着いた物腰の紳士へと成長するのは、己のキャラクターを修正したのではなく、己のキャラクターの扱い方を、色々な痛みを覚えつつ適切な形で発露する手法を学んだからだろう。
その人自身は端から見たら別人のように思われるかもしれないが、実際には表現方法が多少変わった程度のことでしか無く、おそらく根本部分の性格のようなものは同じであるはずである。
肉体も同じである。決して簡単ではないが、少なくとも僕は非常にロジカルな形で、どういう風に自分自身の身体を発達させればよいのかのメソッドのようなものが言語化できるようになってきた。
まだ達成はしていないが、恐らくなのだが数年以内にこの成果はフルマラソンでタイム3時間切りといった形で示せるように思う。
身体の上手な使い方を身につけることは、痛みから自分自身を救うのみならず、疲労や原因不明の体調不良といったものから距離を取れる、非常に優秀なメソッドであると自分は感じている。
これを手に入れるのは正直大変だし、ぶっちゃけた事をいえばダイエットや英会話と同じで、多くの人は絶対に真面目に取り組むよりもゴマカシ・ゴマカシで逃げ続けるだけの人生を選ぶ方がコスパはいいと思う。
しかし自分自身のたどり着いた手法を、文字として書き残さないのも不誠実というものだろう。
というわけで今回はかなり丁寧に理屈を書いていこうかと思う。
腰が曲がるのは、筋力が衰えるから、だけではない
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