【サルタビコとアメノウズメ】道案内の神様と芸能の神様のその後の話(同時上映:ナマコの口はなぜ裂けた?)【日本神話】
どーも、たかしーのです。
今回は、日本の神話に登場する『サルタビコ』と『アメノウズメ』について、書いていきたいと思います!
そもそもサルタビコとは?
「天孫降臨」神話に登場した道案内の神様
サルタビコ(猿田毘古神/サルタヒコとも言う)は、『古事記』や『日本書紀』に書かれた「天孫降臨」神話に登場する国つ神(地上界の神様)です。
この話の中で、サルタビコは、アマテラスの孫であるニニギが葦原中国(地上界)へと降りようとしたときに、高天原と葦原中国、その両方を照らす不思議な神様として登場します。
↓「天孫降臨」神話の内容はこちらをどうぞ
こうした行動をとったのは、天孫であるニニギが天降り(あまくだり)すると聞いたので、先回りをして、道案内をするためであったことから、サルタビコは、今でも猿田彦神社(三重県伊勢市)にて、道案内の神として祀られています。
サルタビコは天狗の起源?
『古事記』では、サルタビコの容姿について記載がないのですが、『日本書紀』では、下記のような記述がされています。
七咫(約120センチ)もの長い鼻
八咫鏡のように丸く、ホウズキのように真っ赤に照り輝く目
七尺(約200センチ)もの高い背丈
このような容姿から、サルタビコは今日われわれがよく抱く天狗のイメージによく似ており、天狗の起源ではないか?とも言われています。
ですが、実は違います。
元々「天狗」は、古代中国から来た言葉であり、凶事を知らせる流れ星を意味する言葉として、使われていました。また、流れ星といっても、下記のような火球のことを指していて、この様子が”天を駆け降りる犬(狗)の姿”に見えたことから、「天狗(てんこう)」と呼んでいたそうです。
実は、『日本書紀』でも「天狗」といった言葉が登場しているのですが、サルタビコ、またはサルタビコの容姿を指す言葉ではなく、古代中国と同じ流れ星・火球を指す言葉として、用いられています。
しかしながら、日本では、この「天狗」=流れ星・火球といったイメージは定着せず、平安時代以降、「天狗」=山の神・妖怪といったイメージで日本人は捉えるようになりました。
こうして出来上がった天狗は、現代に向かうにつれて、あとからサルタビコのような赤ら顔に長い鼻といった容姿とリンクした、と考えられています。
現在でも、御霊神社(神奈川県鎌倉市)で行われているお祭り・面掛行列(めんかけぎょうれつ)では、”天狗のお面をかぶった”サルタビコ役の者が、諸神の先導役として練り歩く姿を見ることができます。
そもそもアメノウズメとは?
「天岩戸」「天孫降臨」神話に登場した芸能の神様
アメノウズメ(天宇受賣命)は、『古事記』や『日本書紀』に書かれた「天岩戸」「天孫降臨」神話に登場する天つ神(天上界の神様)です。
アメノウズメが初登場したのは、スサノオの乱暴狼藉により、アマテラスが天岩戸に隠れて出てこなくなったときのことです。
アマテラスを外に出そうと、桶を逆さまにして置いた即席の舞台にあがり、皆の前で狂ったかのように踊ったのが、アメノウズメでした。
この踊りがあまりに激しかったため、乳はもろだしになるわ、着物ははだけまくるわで、天つ神の大笑いを誘ったのも、この女神でした。
※そのため、この話はネトフリじゃないと映像化が難しいですw
このおかげもあって、隠れていたアマテラスの興味を引き、無事外へと出すことができたのが「天岩戸」神話のオチでした。
↓「天岩戸」神話の内容はこちらをどうぞ
そして、「天孫降臨」神話では、アマテラスの命により、高天原と葦原中国、その両方を照らす神様が何者かを尋ねる場面で、再び登場しました。
なお、この描写から、すでにアメノウズメはアマテラスから信頼が厚かった神様であったと考えられています。
実はこの場面。『古事記』では描かれていませんでしたが、『日本書紀』では「天岩戸」神話と同じく乳もろだしで、サルタビコの正体を尋ねていたと描かれています。
※そのため、この話もネトフリじゃないと映像化が難しいですw
神話の重要な場面で、こうしたエピソードを残したアメノウズメは、今でも芸能の神様として祀られています。
※天つ神の笑いを誘ったところから、お笑い芸人の神様とも。
代表的な神社は、サルタビコを祀る猿田彦神社の境内にある佐瑠女(さるめ)神社です。
なぜ、猿田彦神社の境内にあるのか?なぜ、佐瑠女(さるめ)神社という名前なのか?については、後ほど。
アメノウズメは神楽の起源!
「天岩戸」神話で、アメノウズメがアマテラスの前で踊った踊りが、神楽(かぐら)の起源であるとされています。
神楽とは、神を祀るために神前で演じられる歌舞のことを言います。
今回は、そんな二柱の神様が登場するお話が、「天孫降臨」神話の続きで描かれているので、ご紹介いたします。
サルタビコとアメノウズメ
※今回も「古事記」をベースに書いていきます。
アメノウズメ、改名する
天孫降臨も終わり、高千穂に宮殿を建てて住むようになったアマテラスの孫ニニギは、ともに高天原(天上界)から天降りをしてやってきたアメノウズメに対して、このように命じました。
ニニギ「あーそういえば、ここまで道案内をしてくれたサルタビコに正体を名乗らせたんわ、キミのおかげやったなー。せや、キミがサルタビコを故郷の伊勢まで送ってはくれへんか?」
と、ニニギは、アメノウズメにサルタビコを伊勢までお送りするよう、命じました。
そして、続けて…
ニニギ「あ、そうそう。せっかくやし、サルタビコの名をもらって、そのままお仕えするのがよいな。よし、そうしよう!」
と、送ったついでに、改名して、サルタビコに仕えるようにも命じました。
このような命が下ったアメノウズメは、サルタビコ(猿田毘古神)からサル(猿)の字をもらい受け、「猿女君(サルメノキミ)」と改名することとなりました。一説には、このタイミングでサルタビコと結婚したのでは?とも言われています。
なお、この「猿女君」は、古代日本で朝廷の祭祀に巫女として携わっていた氏族のことを指しており、その祖神がアメノウズメであるとされています。
※このあとも改名はしましたが、「猿女君」一族と区別をするため、アメノウズメのままで書いていきます。
さらば、サルタビコ
さて、アメノウズメに送られ、伊勢へと帰ってきたサルタビコでしたが、なんとも不運な事故に巻き込まれてしまうのです。
ある日、サルタビコが伊勢の海で漁をしていた時のこと。
なんと、比良夫貝(ひらぶがい)という貝の化け物に手を挟まれ、溺れてしまったのです。一説には、そのまま溺れて死んでしまったとも、単に溺れただけともされていますが、いずれにせよ、この話からサルタビコは登場しなくなってしまいます。(サルタビコ、退場…)
ちなみに、サルタビコが海に溺れた際、実はこのタイミングで三柱の神様が誕生をしています。(なんでや)
サルタビコが海に沈んでいる時に現れた神:底度久御魂(ソコドクミタマ)
サルタビコが吐いた息の泡が昇る時に現れた神:都夫多都御魂(ツブタツミタマ)
サルタビコが吐いた泡が水面で弾ける時に現れた神:阿和佐久御魂(アワサクミタマ)
この謎のルートで誕生した神々ですが、三重県松阪市にある阿射加神社(あざかじんじゃ)にて、現在は鎮座しているそうです。
アナタもサイコパスでしたか…
そんなサルタビコが溺れたとも知らず、伊勢まで送り、高千穂まで帰って来たアメノウズメは、何を思ったか、大小の魚を集めて、ニニギにお仕えするかどうかを尋ねていました。
すると、魚たちは…
魚A「お仕えします!」
魚B「お仕えするでー!」
魚C「お仕えしますわ!」
と、多くの魚が仕えると答えました。
しかしながら、ナマコだけは…
ナマコ「…」
と黙りこくって、何も答えなかったので、たまらずサルメノキミは、
アメノウズメ「ナマコの口は、モノも言えない口だねぇ~(ニヤリ)」
と言って、持っていた小刀で、ナマコの口を裂いてしまったのです。
(いやあああああああああああああああああああ)
で、このようなことがあったので、今でもナマコの口は裂けているんだそうです。(絶対ウソだあああああああああああああああああああ)
また、アメノウズメがニニギに大小の魚を服従させた功績により、代々の天皇は、志摩国(現在の三重県東部)から新鮮な海産物が献上された際には、猿女君たちにも与えたそうです。
おわりに
今回は、日本の神話に登場する『サルタビコ』と『アメノウズメ』について、書いていきました。
なぜ、猿田彦神社の境内に、佐瑠女(さるめ)神社というアメノウズメを祀る神社があるのか?
これは、サルタビコとアメノウズメの関係(夫婦だった説)や、アメノウズメが「猿女君」に改名したということが理由になります。
また、別の神社にはなりますが、サルタビコを祀る椿大神社(三重県鈴鹿市)の境内に、椿岸神社という神社があり、ここでもアメノウズメが芸能の神様として祀られています。
ここでは、なんと手塚プロダクションのイラストによる御朱印帳が販売されており、黒の御朱印帳にはサルタビコが、ピンクの御朱印帳にはアメノウズメが手塚治虫さんタッチで描かれていますので、良かったらチェックしてみてください!
他にも、歴史上の人物や神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!
それでは!