『銀の匙』の泉を求めて
-中勘助先生の評伝のための基礎作業 (144) 母の死を看取る
中島さんが赤坂の中家に到着したのは母が亡くなる二週間ほど前とのことですから9月の末のころと思われます。中家には女中さんのほかに看護婦さんも常駐していたようで、皆で交代して母を見守りつづけていました。ある晩、重態のままどうにか一夜が明けて朝になり、茶の間から病室に向い、障子をあけると中島さんが坐っていました。中先生は「おお」というようなことを言って何か挨拶をしました。中島さんは少し前に母のために温かそうなちゃんちゃんこを自分で編んで送ってくれましたので、そのお礼を言おうと思い