『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (145) 相鴨報告
末子さんの肉声は中先生の小宮豊隆宛書簡の中にわずかに響いています。昭和12年1月7日付の手紙を例にとると、兄は釣りに出かけて留守、末子さんも親類のところに遊びにいって留守であることが告げられて、続いて近況が綴られています。いろいろなことが語られたところに「相鴨が帰ってきたらしいから、ここでやめてあとをあけておく」と結ばれました。合鴨というのは末子さんのことで、末子さんに寄せる中先生の心情がこの呼び名に託されています。あけておいた手紙の末尾に末子さんが次のように添え書きしました。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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