気持ちの安定する場所~ヨガのポーズからの学び
今日はヨガの先生に言われました。
「たかぽんさん、最近ヘッドスタンドが安定してきましたね」
うれしい♪
私は瞬時に考えました。つい2ヶ月ぐらい前まで、必死に毎日ヨガやストレッチをして自主練をしていました。疲れていても、何があっても強迫観念のように朝晩やらないと気が済みませんでした。負けたくないって気持ちと、これをしていないと健康に悪いんだー!絶対続けるんだ!みたいな感じでした。しかしある時から、またぎっくり腰を再発してから、
「あ〜、これはやっぱり酷使による筋肉の硬さで、自分の筋肉のしなやかさがなくなってるのかもしれない」ということに気づきました。
そしてあんなにこだわっていた朝のルーティーンのヨガをやめたんです。また夜のルーティーンの一日の疲れをとるストレッチもスッパリと辞めました。
すると今辞めて二ヶ月ぐらいですが何の問題もありません。その気負った思いが緩んで、まあいっかみたいな風に心も身体もなったんです。
するとどうでしょう。今まで、なんか不安定だった、ヘッドスタンドも安定してきました。やはり執着しすぎるとダメみたいです。
こうしなければならない!とか、こうならなければならない!
と思ってるうちはすごく強い執着があります。
私はヨガのポーズも綺麗に取ることに執着していました。ちゃんとできることに執着していました。また、同時に日々の生活でもきちんとしなければっていう気持ちに執着していました。だから疲れがとれず、しんどかったんだと思います。
ちゃんとしていなくてもいいです。
ヨガのポーズもちゃんとできなくてもいいんです。
それは、他人と比べることだったり、自分のちっぽけなプライドにしがみつくことだたりします。
本質はなんでしょうか。。
人間はひとりひとり違うし、ヨガ歴も、身体の柔軟性も違う。どんなに、カッコ悪くても他人とくらべることはないです。それよりも、もっと自分の内側へフォーカスしていく。今どこが伸びていて、どこの筋肉に効いているか、身体のバランスはどうか、呼吸はちゃんとできているか、ポーズは自分にとって心地よいか?
今は自分の気持ちが心地よい方を選択するようにしています。疲れる前に休息をとったり。
一番思うのは、今まではどうしてあんなにひとりでせかせかしていたんだろう?ということです。
今まではなぜか急いでいました。ご飯の作るのを急いでいましたし、朝起きて支度してから行くまでも急いでいました。あれもこれもしたいことがいっぱいですごく急いでいたんです。急いでいると気持ちまでイライラするし、余裕っていうものがなかったんです。
でも、そんなにせかせかしてもしなくても、あんまり変わらないんですね。むしろせかせかしない方が周りにも良い影響を与えるということを今実感しています。
今日、ヨガの先生が、ヨガはわざと自分のバランスを崩す方にポーズを持っていくと言われていました。例えば片足で立ってみたり、両足を開いて不安定な感じでポーズをとったりします。だから、気持ちも身体もぐらつきます。それを味わい、やり切ったあとに、感じるものがあります。集中力は否応なしに高まります。
だから最後のしかばねのポーズ(休息のポーズ)で安定感の上にくつろぎを感じることが大切だと言われていました。しっかり、力が抜けた状態を目指します。
くつろぎは、自分の絶対的な安定感の上に生まれると言われていました。確かに自分の土台がぐらついていたら、その上に立っているものはただの張りぼてで、とってつけただけで、すぐに崩れ落ちてしまいます。
今日は内省、内観が深まりました。
ヨガありがとう。ナマステ👳🙏
お読みくださりありがとうございます。
ヨガのお友達からユーカリをいただきました。
いい匂い。
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