私が古代史を研究する理由(葬儀の風習から)
多種多様な価値観が混ざり合っています。
古代史を研究することで、今の自分と今の世界をもっと客観的に見ることができるようになります。どの思想や風習が、いつのどこから来た価値観なのか、ハッキリとわかるようになります。もちろん、観光に役立ちます笑。
私のいう古代史とは主に紀元前から700年あたりを指しています。
殯りという風習から
そのむかし、殯宮(もがりのみや)というものを建設していました。遺体を安置して殯りの儀式を行う仮設の建物のこと。死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を棺おけに入れて、仮に安置し、別れを惜しみつつも、死者の霊魂を慰め、死者の復活を願いました。
なぜするのかというと
死んでから、墓を作って死者を埋葬するまでがめちゃくちゃ長いからです。現代の簡素なお墓と違い、当時は大きなお墓(古墳)を作っていました。王族ともなれば立派なお墓を建設する必要があり、時間がとてもかかります。王族であること、古墳を作るのに時間がかかることです。
なにをするのかというと
遺体を納棺して仮安置し、別れを惜しみつつ儀礼です。儀礼とは、死者をよみがえらせる再生の儀礼と、遺体に付着し災いをもたら凶霊魂を沈める儀礼です。儀礼のとき、故人を偲びつつ、死者の国王に対してどのように仕えてきたかを回顧する誄(しのびごと)というものが捧げられます。
むかしは日本にも殉死の風習があった
ちなみに、殉死の風習が日本でかつてありました。誰かを道連れにすることです。あの偉いお方が死んだのだからあなたも一緒に死になさいと。殉死を200年代の垂仁天皇の時代に禁止をして、600年代まで続いていました。薄葬令でとどめさしたとなるでしょう。もう今となっては忘却の彼方です。え?あったの? 風習というものは、古いものが現れては消え、新しいものが現れては消えを繰り返しています。
古墳の終わり
646年に薄葬令が出されました。中国の故事に習ったもので、民衆の犠牲を軽減するため、身分に応じて作れる墓の種類を制限しました。人や馬の、殉死と殉葬を禁止し、天皇の墓建設にかける時間を7日以内に制限することになりました。徐々に風習が変わり、60年経って、707年文武天皇のための八角墓に葬られたのを最後に、古墳の建設は終了しました。古墳もそうですよね。一時期だけしか現れていないですよね。一時期だけの流行
火葬の浸透
仏教と火葬の浸透とともに、土葬の風習は姿を消しました。つい最近まで、昭和の中旬までは、集落を離れたところにある「火屋ひや」と呼ばれる焼き場で火葬していました。ちなみに、日本での初めての火葬は、703年の持統天皇だとされています。薪をたくさん使うため費用が高額になりました。風習を入れ替えることは時間がかかります。庶民まで浸透するのにかなり時間がかかったことでしょう。
汚れの価値観は土葬の時代が由来
土葬であれば遺体が腐敗するのをじかに感じます。ましてや、王族豪族のように、土葬までに何百日もかかれば当然遺体は腐っていきます。夏場であれば数日で遺体は腐ってきます。冬であればまだマシですが。すぐに埋めるのであれば遺体が腐敗する様を見なくてすむでしょうが、そうもいきません。さらに昔から長く続く風習の前に太刀打ちできません。他にも、イザナキのみことが汚れたといって禊ぎをしていました。まさしく土葬の時代の記憶です。
焼くにしても臭いが強烈
経験したのことないですが、そうらしい。田舎で田んぼを焼く時もかなりの匂いがします。それが人が燃えているとなれば少しちがった匂いだったのでしょう。土葬時代に出来上がった価値観が、火葬時代に変わったとしてもすぐに抜けることはありません。年長者から、若い世代に、無批判に伝えられます。文化というものはそういうもの。
仏教に汚れの概念はない
昔の仏教にも今の仏教にもの中に汚れを清める儀式などはありません。葬儀でもそういう場はないそうです。仏教のように、阿弥陀仏や弥勒菩薩などに救われるともなれば、汚れが表に登場する必要すらないですもんね。「再び良くない世界に生き返らなくて、いやあ本当によかったです」となるわけです。そこに汚れなんて介在する余地はありません。こういうわけで、日本の民間伝承(神道など)と仏教では、価値観が対立しています。
もう汚れの概念を忘れかけている
現代は、家庭ではなく、葬儀ホールで儀礼が行われ、焼き場で火葬されるのでもはや汚れも意識する必要もなくなりました。全部が、とっても清潔です。2020年になって若年層には、腐敗臭といった実体験がありません。実感が湧かない。本でみたことがある程度。もうすでに忘れられてきているのです。
汚れの価値観も、絶対的な思想ではなくて、あくまで土葬時代にできた一時期の思想に過ぎないのだから。
例えば、神社に行ってお祓いといってもなんとなくわかるけど、ピンとはこないわけです。ただ単なる厳かな儀式にしか見えないと。
現代は多種多様な価値観で何を信じたらいいのか分からなくなった
仏教もたくさんの種類の仏教があるし、キリスト教もたくさんの種類があるし、神道の神様はたくさんいるし、経済合理主義といった方面の思想、諸々の哲学、スピリチュアリズム、等々、多種多様です。さらに、日本国内、地域が違えば、価値観が大幅に変わります。マナーも地域ごとにまるで違います。風習も全国統一のものはないのです。どれが正しいのやら。
ただ一つだけ言えることがあります。
古代史を勉強していると気づくこと
自分の知っている常識はほんの一時期のことにすぎない。
異なる時代、異なる地域でできあがった風習や価値観が混ざって混沌としたのが現代だ。あるものはあるものは平安時代、あるものは江戸時代、あるものは唐から、あるものはインドから、あるものは西洋から。常識というものは、特定の時代、特定の地域のものに過ぎずない。少し経てばすぐ変わる、単なる砂上の楼閣にすぎないのだ。
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