最新の記事

気になる聖徳太子の出自

聖徳太子の年表まとめ

626蘇我馬子が亡くなった、桃原墓に葬った。蘇我蝦夷が大臣に就任 628推古天皇が崩御、田村皇子(のちの舒明天皇)と山背大兄皇子に遺言状を遺すも、 次期天皇問題について群臣で協議紛糾した。蘇我蝦夷ら境部臣摩理勢(蝦夷の叔父)を殺し、田村皇子を擁立、 629舒明天皇即位(田村皇子)

623鞍作鳥という職人さんが作った法隆寺金堂釈迦三尊像が完成した。新羅任那の使者は仏像、金塔、舎利、観頂幡を献上した。新羅との貢物に関する問題について吉士磐金を派遣した、さらに、蘇我馬子は境部臣雄摩侶を大将軍に任命して征新羅軍を派遣した。

620上宮太子は蘇我馬子と相談しいくつかの書物を完成させた、天皇記、国記、臣連伴造国造百八十部、公民等の本紀 621間人皇后(太子の母親)が亡くなった。新羅が朝貢した 622上宮太子は斑鳩宮で亡くなった。磯長陵に葬った。橘大娘女(太子の嫁さん)は太子をしのび天寿国繡帳を作った

615上宮太子は法華経の注釈書を完成させた。隋に派遣した犬上君御田鍬らが帰国した。慧慈(上宮太子の仏教の師匠)は高句麗に帰った 新羅は仏像を献上し蜂岡寺に納めた 618隋煬帝が殺されたた、高句麗の使者が隋の滅亡を伝えた。唐が李淵によって建国された

  • 真実の神功皇后

    8 本
  • 誰より圧倒的にわかりやすく十七条の憲法独自訳

    5 本
  • 浮かび上がる卑弥呼の真実

    5 本
  • 知りたかった倭の五王

    5 本
  • 鷹原王(学校では教えてくれない日本古代史の教養マガジン)

    54 本