【一年目最後の記録】雨の日の盆踊りは忘れられない
夏は突然に、雨が降り出す。
それは、先祖供養の、かつてから今もずっと、大衆が解放される特別な日にも、振り始める。
盆踊りは、旧暦から新暦までお盆の期間に集中して、至る地域で踊られる。
七夕の日に大雨になると、離れ離れになって会えない織姫と彦星が悲しみの、そして一日だけ出会えた喜びの涙で、天が濡れた証だと言われたり。
梅雨時期も重なり、夕刻からパラパラと降ってきたり、突然雲の影がやってきて、激しく地を打ちつけたり。
雨は、人々を鎮ませ、大地を循環させ、空気を涼しげに澄ませる。
雨の匂い、空気の厚みと手応え、空の色、空気の色。
一年前、大人になってからの盆踊りに出会ったばかりの頃、少し遠出をして東京下町の少し奥、お寺の境内である地元の盆踊りへ行った。
そこは、同じ小学校に通う小学生の子どもたちが中央に輪になって踊る、どこか懐かしさや地域らしさのある雰囲気。
外から来た人もちらほら、外国人観光客も少しばかり。
明るい日差しも見える日だったが、空はぼやけた白で、頬にほのかに水分を感じる。
その地域の名前が入った音頭を踊った。
定番の曲も踊り、時間が過ぎてゆき、次第に空間が暗くなっていく。
キャッチーな音に誘われるように、人も集まって活気に満ちてくる。
盆踊りコンテストという、緊張感ある催しの最中に、とうとう雨が降り出した。
そのまま雨粒が大きくなって、趣ある寺院の木や砂利道、石像、そして櫓やテント、集う人々を水浸しにしていく。
収まるどころか段々と酷くなっていくので、耐えきれず大人の審査員たちが、我先にと仮設テントへ避難していく。
周りを囲んでいた観客たちも、境内の数少ないありとあらゆる軒先を探して雨宿り。
アナウンスで、「雨が強まりましたので、一旦盆踊りは休憩いたします。」と放送され、
雨にも負けず、最後まで踊っていた子供たちも、最後に大人たちの元へ避難。
突然、ピカリと光った。
8秒後に大きな地鳴りのような音。
あああ、雷だ、、
お守り売り場のような長屋の端に、7人ほどの婦人子どもと避難していた私は、ひとり絶望していた。
雷恐怖症に辛い時間が始まるのかと。
盆踊りのためならどこへでも駆けつけるくらい情熱があるけれど、恐怖という心理的に一番強い抵抗にこれから勝たなければいけないと。
雨は変わらず、大きな形で大量に地面に叩きつけるし、光も鋭く、耳を塞いでも聞こえる轟音が時折響く。
子どもは結構冷静で静かにしているから、私が叫ぶ訳にもいかず、目を閉じて耳を塞いでただ耐えて時間を待つのみ。
10分ほど続いたのだろうか?
とうとう雷の音が聞こえなくなった。
そして、緊張が少し緩んだからか、お手洗いへ行きたいことに気づいた。
まだ、雨は降り続いていたが、同じ場所に雨宿りしていた人たちが、偶然そこに立て掛けてあった透明の傘を、使ってくださいと差し出してくれた。
お手洗い場所を知っているかと伺うと親切に教えてくれ、とても怖かったが、スムーズに全速力で移動ができた。
会場へ戻る頃には、雨は弱まってきていたが、まだ盆踊りの再開できる収まりでもなく、入り口の門の10人ほど家族連れがいる所で、少し休んだ。
そして、続くようにあんなに降っていた土砂降り雨も細く短く、そしてどこかに消えていった。
ちょっとだけ空気の色が明るくなった。
終わった。
「盆踊りコンテストは途中ですが、最終選考者の番号を読み上げます。番号を言われた人は、櫓に登って下さい。」
色んな軒下にいた人々が散り散りになっていく。
今日の盆踊りは終わり。
雨の日の盆踊りは、幻想的で強いエネルギーが天から降ってくる。こわいけれど、忘れない特別な日。
帰りの電車の駅のホームで、ずぶ濡れになった赤い菖蒲の浴衣から足元を覗くと、5本指の靴下が酷い泥汚れだった。
履き物を少し拭い、靴下は脱いで、やや肌寒い冷房の効いた電車で、足元の風をひんやり感じながら帰った。
明日は晴れるかな。
明日はどこに踊りにいこうかな。