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遠近法(その2)——ルネサンスの女。

 前回は、ローラン・ビネの新作『遠近法』について触れました。
 処女作の『HHhH』はフランス本国ではゴンクール新人賞を受賞し、日本では本屋大賞の翻訳小説部門で一等賞を頂戴し、第二作目の『言語の七番目の機能』では事故死のはずのロラン・バルトをスパイによる謀殺に仕立て上げて物議を醸し、第三作目の『文明交錯』では西洋中心の歴史地図を反転させるという大胆な試みに挑戦し、第四作目は、なんとイタリア・ルネサンスを背景にした「書簡体ミステリ」という新たなジャンルを切り拓く。
 なんとまぁ、よくこんなにも新しいアイディアが次から次へと湧いてくるものだと感服しますが、日本の読者にとってルネサンスという時代は、綺羅星のごとく燦然と輝く美術作品に関心は向いても、それを生み出した血みどろの歴史的背景についてはやや遠いと感じるかもしれません。
 ましてや、盛期ルネサンスのあとの、マニエリスムと呼ばれるマニアックな画風の画家たちが中心となる後期ルネサンス——ほぼ十六世紀の前半——となると、やや腰が引けるという読者も多いだろうと思います。
 そこで、そういう読者のための「私的」ルネサンス・ガイドのようなものでもやってみようか、という気になりました。
「私的」と銘打ったのは、言うまでもなく、私がイタリアの専門家でもなければ、美術史を専攻したわけでもないからです。あくまでも、個人的にイタリアびいきだというにすぎません。
 言い訳が長いのは白けますから、とにかく始めましょう。
 最初に挙げるべきはこれ以外にない、という本があります。
 塩野七生著『ルネサンスの女たち』です。
 お持ちの方、読んだという方、多いと思います。
 手元にある黄ばみ、赤ちゃけ、シミだらけの文庫本(中公文庫)の奥付けには、昭和四十八年十一月初版、昭和四十九年六月三版と記されている。奥付けの日付と購入月日が一致するとはかぎらないけれど、大学に入学して一年か二年経過したころであることはまちがいないようです。
 著者の塩野七生氏についても、彼女のいわば処女作についても、解説は不要でしょう。そもそも、私自身がその任に堪えない。なので、若き日に読んで、度肝を抜かれたところをずばり引用します。盛期ルネッサンスクワトロチェントの女傑中の女傑、カテリーナ・スフォルツァの世に知れた武勇伝の一節。

 次の日、陰謀者たちは、〔籠城する〕カテリーナの子供のうち上の男の子二人を城塞の前に引き連れてきた。子供を使って、彼女を変心させようとしたのである。
 剣を突きつけられた子供たちは、泣きながら母親を呼んだ。
 そのとき城塞の上にカテリーナが姿を現わした。裸足で髪も結わずに流したままの姿で。オルシは、城塞を出なければこの子供たちを殺す、といった。それに答えた彼女の言葉こそ、マキアヴェッリ以下、あらゆる歴史家に語り継がれた有名な文句である。やおらスカートのすそをばあっとまくったカテリーナは叫んだ。
 「何たる馬鹿者よ。私はこれであと何人だって子供ぐらいつくれるのを知らないのか!」
 これには、誰一人、しばらくの間は口もきけなかった。

『ルネサンスの女たち』第三章 カテリーナ・スフォルツァ

 まるで練達の講談師の話芸に引き寄せられるがごとき、心躍る名場面だ。
 われわれ日本人は、平家物語の、あるいは戦国時代の武将たちの合戦の場面に今も固唾を呑み、喝采し、うなり、溜飲を下げる。あるいは海を渡った中国大陸で繰り広げられる三国志の名場面の数々についても同様だろう。
 何が言いたいか。
 ルネサンスも同じだと言いたいのだ。
 気取っておめかしし、借りてきた猫みたいにおとなしく鑑賞するものじゃないのだ。
 と、鼻息が荒くなったところで、続きは次回ということで。

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