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冬の心(その6)——ピアノ三重奏曲、あるいは「郷愁」。

 私は一瞬めまいを感じた。すとんと底のない井戸に落ちていくような感覚をおぼえた。何もかもが垂直に落ちているようだった。体内が垂直に落ちる音の雨で満たされているようだった。それは流れてはいなかった。垂直に降っていた。星が降っているようでもあった。それはバスクの山で見上げる夜空かもしれなかった。指先が震えた。鳥肌が立った。カミーユの弓が私の肌をこすっているように思えた。目の前がすべて青くなった。部屋に、あるいは私の頭に、私の身体にあふれている音はすべて青かった。空の青、海の青、夜空の青、紺、藍、群青、すべての青のニュアンスが雨のように降っていた。もののかたちはすべて溶け、ただ青が満ちていた。カミーユの青い目のなかにいるようだった。陶酔というにはあまりに明晰だった。

 これはステファンが、カミーユ愛用のヴァイオリンを調整し直した直後に彼女が弾くピアノ三重奏曲の冒頭の描写です。ビデオを探し求めて——あるいは買い求めて——この場面を確認するのはむずかしいでしょうが、さまざまな音楽専門のプラットフォームがありますから、この曲をストリーミングして聴くのはそんなにむずかしいことではないでしょう。
 これを書いている今、わが家のオーディオで鳴っているのもこの曲です(ストリーミングではなく、CDですが)。

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