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冬の心(その7)——ヴァイオリン・ソナタ、あるいは無窮動。

 防音ガラスの向こうにカミーユの姿があった。鮮やかな緋色のセーターを着ていた。あいかわらず髪を後ろにひっつめて、大きく広がっている額は緊張のせいで青白く見えた。その顔に緋色のセーターが照り生えていた。チェロとヴァイオリンのためのソナタの細かい撮り直しがあった。カミーユと私の視線が合った。最初にカルロの店で出会ったときと同じように、鋭くすばやい矢のような視線だった。
「ソナタ、三楽章行きます」エンジニアの声が響いた。スタジオ内に沈黙と緊張が流れた。ヴァイオリン・ソナタ、第三楽章、無窮動ペルペトゥウム・モビレ、アレグロ。失踪するこの至難の楽章をカミーユはどう弾くか。私は息を詰めていた。
 カミーユの弓が跳ねた。柔らかいピチカートが跳ねた。第一楽章の副主題が軽快に流れ出した。その瞬間、私はカミーユが完全にこの曲を掌握していることがわかった。不安もおびえも緊張もなかった。十六分音符の反復を軽々と越え、分散和音を火花のようにまき散らす。ヴァイオリンは猛禽のようにピアノに襲いかかる。ピアノも激しく跳ね上がり、空から襲いかかるたかに地上から逆襲しようとする。これは闘争だ。音楽などというものではない。血管が収縮し、皮膚が毛羽だった。さっきまで青白かったカミーユの顔がピンク色に染まっていた。これはラヴェルそのものだ。激しい情念と冷徹な知性と、彼にはいつも狂気じみた葛藤があった。そして、そのどちらも捨てようとしなかった。

 

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