理
ムスリムでも仏徒でもない
むろんクリスチャンでも
空と大地があり海がある
そこに信仰の対象をみる
適当な名などあるわけもないし
そもそも名を付ける必要もない
呼びかけることもないし
祈りを捧げることもない
マルキストでもアナキストでもない
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
主義と云うほど大仰でもないし
自らの衝動に従うのみでいい
名を呼ばれなくてもいいし
認知すらされなくてもいい
月と星があり草木と石があり
そしてなにより水がある
そこに信仰の対象をみる
民と総べる者があり
国家があればそれでいい
そこに理というものが全うに
機能してさえいれば