自分の人生を生きる、12のタブローに描かれた映画『女と男のいる舗道』
未熟な愛は言う、「愛してるよ、君が必要だから」と。成熟した愛は言う、「君が必要だよ、愛してるから」と。
ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者エーリヒ・フロムの言葉からはじまる本日は、ジャン=リュック・ゴダール監督作品『女と男のいる舗道』のご紹介です。
女と男のいる舗道
ジャン=リュック・ゴダール監督の長編映画第4作目。
映画の原題は『自分の人生を生きる、12のタブローに描かれた映画』。
12章からなる物語。
1.とあるビストロ – ナナはポールを棄ててしまいたい – 下にある機械
2.レコード屋 – 2,000フラン – ナナは自分の人生を生きている
3.コンシェルジュ – ポール – 裁かるゝジャンヌ – あるジャーナリスト
4.警察 – ナナの反対尋問
5.外の大通り – 最初の男 – 部屋
6.イヴェットと会う – 郊外のとあるカフェ – ラウール – 外での銃撃
7.手紙 – またラウール – シャンゼリゼ
8.午後 – 金銭 – 化粧室 – 快楽 – ホテル
9.若い男 – ルイジ – ナナは自分が幸せなのか疑問に思う
10.舗道 – あるタイプ – 幸福とは華やかなものではない
11.シャトレ広場 – 見知らぬ男 – ナナは知識をもたずに哲学する
12.また若い男 – 楕円形の肖像 – ラウールは再びナナを売る
ストーリー
感想
悲しい物語。
個人的には11章から12章にかけての哲学的なシーンが印象的です。
カメラワークやセリフ、音楽にサイレント映画『裁かれるゝジャンヌ』、エドガー・アラン・ポーの小説『楕円形の肖像』、哲学など芸術的な観点からいくらでも語らうことのできる作品です。
観た感想を書くよりも、観た感想をお互い語りたい!
ってことで、ここではあーだこーだ言わない。
アンナ・カリーナはとにかく綺麗。
手で身長を測るシーンやバーで踊るシーンはとてもキュート。
それでいて好意を寄せている若者が『楕円形の肖像』を読んでいるシーンなんかは儚く美しい表情。
うっとりしちゃいます。
フランス映画へのリスペクトで観るもよし。
アンナ・カリーナをただ楽しむために観るもよし。
芸術を語るために観るもよし。
でも漠然とした将来に不安を覚えたり、恋愛や結婚について悩んだり。
そんな時に観るのも良いかも知れない。
内容、結末ともに悲しいんだけどさ。
映画の中で「真実は誤りの中にもある」ってセリフがあるのよね。
誤りを通じて真実に到達させる。
自分の人生以外でも他人の人生や映画の中、小説の中での誤りにも真実のヒントって隠されていたりすると思うのよ。
人は話さないで生きられるだろうか
そう出来たらいいだろうね
言葉は愛と同じ
それなしでは生きられない
人生を諦めたほうがうまく話せる
話すことはもう一つの人生だ
別の生き方だ
話すことは話さずにいる人生の死を意味する
話すことには一種の苦行が必要だ
人間はゆれる
沈黙と言葉の間を
それが人生の運動そのものだ
愛は常に真実であるべきだ
純粋な愛を理解するには成熟が必要だ
ジャン=リュック・ゴダール監督の名作『女と男のいる舗道』を観て貴方がなにを思う。
どこかの機会で語り合いたいですね。
まだご覧になられていない方は是非。
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