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【命より大切なものとは?】

【命より大切なものとは?】

この世の自分の命よりも大切なものとは何でしょうか?

これについて、

『いのちより大切なもの』(著者 星野富弘 いのちのことば社 フォレストブックス)

の中に、こう書いてあります。

「いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが
苦しかった

いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

(中略)

私は以前、

『いのちより大切なものとは?』

と聞かれた時には、

こう答えていました。

『その答えはこうですよ、
と言うことは簡単だけど、
きっとそれは意味のないことです。

自分で苦しみながら見つけた時に、
あなたにとって意味があるのです』

と。

見つけたと思っても、
もしかしたらまた違ってくるかもしれない。

一生探し続けて、
死を迎える前日に、
ようやく自分なりの答えが見つかるかもしれない。

肝心なのは自分で見つけるということです。」(24頁〜27頁)

「その一つから 花が咲き
その一つから 葉が出る
一つに総てが含まれ
一つに総てが現わされる

それがなくなったら
私もなくなってしまうような
ただ一つがある」(39頁)

「毎日見ていた
空が変わった
涙を流し友が祈ってくれた
あの頃
恐る恐る開いた
マタイの福音書
あの時から
空が変った
空が私を
見つめるようになった」(42頁)

「あなたに逢ってから
私は道の真ん中を
歩かなくなった
真ん中はあなた
私は少し横を歩きます」(45頁)

「どんな時にも
神さまに愛されている
そう思っている

手を伸ばせば届くところ
呼べば聞こえるところ
眠れない夜は枕の中に
あなたがいる」

「手と足が
不自由になって
歩けなくなりました
土を掘ることも
スキーをすることも
出来なくなりました
でも神様ありがとう
あなたが持たせてくれた
たった十グラムの筆ですが
それで私は花を咲かせたり
雪を降らせたり出来るのです
神様ほんとにありがとう」(49頁)

「けがをしたのは六月十七日。

二十四歳の梅雨の頃でした。

梅雨の時期になると今でもその時のことを思い出し、
暗く重い気持ちになります。

九年という長い入院期間、

『あれがなかったら俺の人生は違っていた』

と何度も思いました。

あの日、
生徒たちの前で宙返りをしなければよかった、
いや器械体操などしなければよかったのだ、
大学の入試に落ちていればよかった、
むしろ病弱だあればよかった・・・。

限りなく過去を遡っては後悔をくり返していました。

いっそのこと生まれなければよかった・・・・。

来る日も来る日も病室の天井を見ながら思いました。

そして、いつもそこに行き着いてしまうのです。

それはあまりにもみじめなことでした。

人間にとっていちばんの苦しみは、
『今が苦しい』ということよりも、
この苦しみがいつまでも続くのではないかと不安になることです。

けがをする前には、
これといって大きな夢や希望に燃えていたわけでもなかったのに、
私は、あの日を境に夢も希望もすべてなくしてしまったかのような気持ちになりました。

私が大けがをしたと聞いて、
ある日、
大学時代の先輩が駆けつけて来てくれました。

そして後で、

『ぼくにできることは、これしかありません』

と聖書を届けてくれたのです。

しばらくそのままにしていた聖書を、
ある日思い切って母に開いてもらうと、
このことばに出会いました。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます』(新約聖書/マタイの福音書11章28節)

(中略)

けがをする前の私は、
自分の努力で何でもできると信じ、
宗教は弱い人が頼るものだと思っていたのですが、

『これは、俺の考えている宗教とは全然違う』

と思うようになりました。

その時の私は、
先行きが見えない日々に心が疲れきっていたのです。

最新の医療でも治せなかった自分の身体。

助けてくれる人なんているわけがない。

それが正直な気持ちでした。

しかし、
聖書を読み返しているうちに、
重い心の中に、
温かい何かが湧いてくるような気がしました。

それまで生きてきて、
初めて味わう感覚でした。

教会が一つもない村で、
高校生だった私が、
この聖書のことばに出会えたのは不思議なことだと思います。

私が神さまをまったく知らない時から、
いずれ大きな苦しみに遭う私のために、
このことばを用意してくださっていたのだと、
深い感動を覚えました。

あの時から、
空が変わりました。

私は独りではなく、
空が、
神さまが見ていてくれると思うようになったのです。

満たされた日々の中で、
人はなかなか神を感じることはできません。

信仰をもった後でさえ、
なぜこんなことが起こるのだ、
と思うことがたくさんありました。

でも最近、
ほんの少しわかってきたような気がします。

神さまが私たちに贈ってくださる幸せのほとんどは、
最初からいい顔をして近づいてこない。

むしろ私たちにとって、
拒みたくなるような姿でやってくるのだと。

私はたまたまこんな大けがをしましたが、
だからといって私だけが特に大変というわけではなく、
人は皆それぞれ他人にはわからない苦しみや悲しみを抱えています。

大切なのは、
それをどう受け止めていくかということではないでしょうか。

確かに、
けがをして大変な思いをしました。

人にもずいぶん迷惑をかけました。

でも、
何も起きずに順調に生きている自分を想像すると恐ろしくなります。

教師としても、
人間としても、
何も知ってはいなかったからです。

死の淵をさまよい、
障害ゆえにできなくなったこともたくさんあります。

でも、
いのちより大切なものに気づくことができた。

けがをしたおかげで、
この人生ほんの少し得をしたかな・・・・。

そう思っています。

(中略)

けがをして、
もう一生首から下を動かすことはできないのだとわかってきた時に、

『俺はもう生きている価値がない』

と思いました。

夜は、

『次の朝には死んでいたらいいのに』

と思いながら寝るのですが、
いつもどおりの朝が来て、
看護師さんが脈や血圧を測ると正常値なのです。

食事を抜けば死ねるかと思って幾日か抜いてみたのですが、
腹が減って減って・・・・次の食事を腹いっぱい食べてしまいました。

あの時のご飯、
うまかったなあ。

その時、

『いのちというものは、俺とは別にあるんだ。
俺がいくら生きることをあきらめても、
いのちは一生懸命生きようとしているのだ』

と思いました。

私の努力でいのちがあるのではなく、

『いのちが一生懸命俺を生かしてくれている』

と気づいたのです。

『自分は今、やさしくて大きなものに生かされているんだ、死にたいなんて、いのちに申し訳ない』、

そう思いました。」(55頁〜64頁)

「苦しみによって苦しみから救われ、
悲しみの穴をほじくっていたら
喜びが出てきた。
生きているって、おもしろいと思う。」(80頁)

「『そればかりではなく患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出す・・・・』(聖書)

私のうす暗い明日に、
かすかな光がさし込んでくるような気がした。

今のこの苦しみは、
苦しみだけに終わるのでなく、
豊かな人間性や希望につながっているというのである。」(84頁)

「こうして生かされていることを、
感謝せずにはいられません。
生かされているということは、
たとえようもない不思議な恵みです。」(86頁)


自分の命より大切なものについて考えてみる。

私たちは何のために生きているのか?

何をするためにこの世に生まれてきたのか?

生きる意味とは何か?

といった根源的な問いに答えを出す。

答えは人から与えられるものではない。

生涯を通して探究し、

己の生き様によって示す。

人にはそれぞれ与えられた使命がある。

天命がある。

己の天命は何か?

胸に手を当て訊いてみる。

内なる声を聞く。

天性を活かし、

天職に就き、

天命を全うする。

世のため人のため天のために最善を尽くす。

『私が知りたいのは神の考えだ。
それ以外はすべて些細なことでしかない』(アルベルト・アインシュタイン)

(日本図書館協会選定図書)
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高原茂
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