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【真の悟りとは?】

【真の “悟り” とは?】

本当の “悟り” とは、

どういうものでしょうか?

“悟り” を言葉で表わしたら、

陳腐になってしまいます。

“悟り” は、

理屈ではなくて、

直観・インスピレーション・天啓によって、

言葉を介さずに “直覚” するものです。

とは言え、

悟りについて学べば、

悟るためのヒントになります。

悟りについて、

「『悟り体験』を読む――大乗仏教で覚醒した人々」(著者 大竹晋 新潮社)

の中に、こう書いてあります。

「『悟り』という日本語は、
もともと、
大乗仏教の覚醒体験を意味することばであったのに、
近年においては、
そうではなくなってきているのです。

ことばの意味するものは時代によって変化しうる以上、
『悟り』という日本語の意味するものが曖昧になりつつあることは一概に悪いこととは言えません。

ただし、
『悟り』という日本語が本来いかなる覚醒体験を意味していたのかを、
今のうちに記録して残しておく必要があると思うようになりました。」(7頁頁)

「さらに注意を喚起しておきたいのは、
大乗仏教徒にとって悟り体験は悟り体験だけで終わるものではないという点である。

第十三章において確認したとおり、
大乗仏教は自利(自己のためになること)と利他(他者のためになること)との二つを完成して仏となることを目的としている。

悟り体験は自利を完成するための手段である。

自利を完成することに努めるのみならず、
利他を完成することにも努めないかぎり、
大乗仏教の目的は達成されない。

それゆえに、
前近代から近代にかけて、
悟り体験者たちは、
悟り体験によって自利を得るにとどまらず、
進んで利他へと向かっていったのである。

その場合、
利他として行われていたのは、
具体的には、
他者の世俗的な問題を解決することであった。

(中略)

悟り体験者は、
獲得された叡智によって、
自己の宗教的な問題を解決するのみならず、
他者の世俗的な問題をも解決するようになる。

かつて、
世俗的な問題をめぐり苦境に陥った在家者――政治家、経営者などを含む――が、
悟り体験者である出家者のもとに相談に訪れて助言を乞うていたのも、
悟り体験者である出家者が、
獲得された叡智によって、
他者の世俗的な問題を解決していたからである。

そのような出家者の最後の世代に属していた梶浦逸外(本書109頁)は次のように述べている。

禅の修行は、
実参実語で、
自ら百錬千磨して、
先ず第一に、
最初の立派な悟りの見性、
則ち宇宙の真理を悟ることが肝要である。

立派な見性が出来たら、

『禅は諸道に通ず』

で、

次に来る差別別智を手に入れて世間一般の理事に通ずることは当然で、
若しそれが不可能なれば、
それは死んだ修行で何の役にも立たぬ。

聞いたり、
書物で得たものは、
みな他人よりの借り物で、
自分のものでは断じてない。

禅宗坊主はどこまでも自力で、

『直指人心見性成仏』

でなくてはならない。」(300頁〜301頁)


『直指人心見性成仏』とは、

「教説や修行によることなく、
座禅によってただちに自分の心の本性を見極め、
悟りを開いて仏となること」

です。

実は、

真の “悟り” に至るには、

四つのステージがあります。

すなわち、

① 超越意識

② 宇宙意識

③ 神性意識

④ 統一意識

です。

統一意識が最終的なゴール(オメガポイント)です。

これについて、

『ゆだねるということ(下)』 (著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

の中に、こう書いてあります。

「意識の第一ステージは熟睡状態です。

熟睡している瞬間も、
人間は何かしら知覚を働かせていて、
音、明るい光、接触のような刺激には必ず反応します。

しかし、
たいてい、感覚は鈍くなり、
認識したり、知覚したりすることはほとんどありません。

意識の第二ステージは、
夢を見ている状態です。

夢を見ている間は、
熟睡中より眠りが浅くなり、
身体も敏感になっています。

夢を見ている最中は、
この世界のほうが現実で、
重要であり、
何かおかしいなどとはまったく思いません。

しかし現実だと思っているのは夢を見ている間だけのことです。

目を覚ませば、
夢での出来事が奇妙だと気づきます。

意識の第三ステージが覚醒状態です。

大多数の人がもっとも多くの時間を過ごしているのがこの段階です。

目を覚ましているときの脳の活動は、
熟睡中や夢を見ているときとはかなり異なっています。

意識の第四ステージは、魂の姿を垣間見る瞬間に訪れます。

日常の意識を超越したとき、
ほんの一瞬、
穏やかで静寂な状態が訪れ、
内面に住む観察者(スピリット)に気づきます。

瞑想中に訪れるのがこの意識ステージです。

瞑想しているとき、
思考と思考の間に、
わたしたちはこの静寂な瞬間を体験します。

定期的に瞑想している人は、
瞑想するたびにこのような状態を体験し、
自己の意識ステージを拡大しています。

この段階に入ると、
生理にも影響が現れてきます。

コルチゾールやアドレナリンが減少し、
ストレスが減っていきます。

血圧は下がり、
免疫機能も向上します。

思考と思考の間を体験したときの脳の活動は、
起きている間の敏感な状態とはかなり異なっていることが証明されています。

魂の姿を垣間見ることで、
脳と身体のどちらにも生理的な変化が起こるからです。

シンクロニシティの気配も感じとれるようになります。

意識の第五ステージは宇宙意識と呼ばれています。

この状態になると、
あなたのスピリットが自分の身体を観察できるようになります。

あなたは無限のスピリットとなり、
自らの状況に気づき、
敏感になります。

眠っているときでも、
まるで体外離脱を体験しているように、
スピリットは熟睡中の身体を眺めているのです。

スピリットと一体になると、
熟睡中や夢を見ている時間だけでなく、
目覚めている状況でも、
知覚が鋭くなります。

このステージに入ると、
目覚めているときにも体外離脱と似たような現象が起きてきます。

あなたの身体はテニスをしたり、
電話で話したり、
テレビを見たりしているかもしれませんが、
その間ずっとスピリットがあなたの身体と精神を観察しているのです。

五つ目のステージが宇宙意識を呼ばれているのは、
あなたの意識がここにいながら、
『すべて』である領域にもつながれているからです。

このステージで、
『すべて』である知性との結びつきを肌で感じたとき、
実際にシンクロニシティが発生します。

この状況で、
あなたは自分を意識しながら、
同時に自分以外のあらゆるものとのつながりを感じています。

あなたは存在するあらゆるものとの一体感を十二分に満喫します。

直感が鋭くなり、
創造力や洞察力も増していきます。

このような体験が味わえる宇宙意識の状態に到達したときには、
たとえサッカーをしていても、
脳波は瞑想しているときと同じ状態になっています。

意識の第六ステージは神の意識と呼ばれています。

この状態に入ると第五の意識状態のときよりはるかに意識は覚醒していきます。

神の意識になると、
自分だけでなく、
ほかのすべての存在のなかにもスピリットを感じられるようになるのです。

植物ばかりでなく、
岩のなかにさえもスピリットが見えてきます。

宇宙に存在するあらゆるもの、
観察者も観察される者も、
見る者も見られる者のどちらにも、
生命力が表現されていることに気づくのです。

この神の意識をもつようになれば、
あらゆるものの内面に宿る神の姿が見えてきます。

動物や植物と意思を通じることさえできるようになるのです。

このような意識状態を持続できる人はほんのわずかしかいません。

しかし、
キリスト、
ブッダ、
多くのヨギや聖者など預言者や先見者はすべて、
この神の意識のなかで生きています。

究極の目的である、
意識の第七ステージは、
統一意識と呼ばれています。

これがいわゆる悟りの境地です。

統一意識のなかで、
見る者と見られる者のスピリットは融合し、
一体化します。

世界全体が自分の拡大された身体のように思えてきます。

あなたは個人の意識と一体化するだけでなく、
全世界が自分自身の姿を映し出す鏡であることがわかるのです。

ここで、
個人的な自己は宇宙的な自己に完全に変化します。

この段階では、
奇跡はごく当たり前のことになり、
無限の可能性の領域をつねに利用できるようになるので、
奇跡を起こす必要すらなくなります。

あなたは生と死を超越した存在になります。

過去、
現在、
そして未来永劫、
あなたはスピリットであり続けるのです。」(131頁〜135頁)



ほとんどの人は、

エゴに囚われ、

超越意識にすら到達できず、

人生の終焉を迎えます。

まずは、

内なる自己(ハイヤーセルフ)に目覚める超越意識を目指しましょう。

究極的には、

統一意識です。

悟りとは、

宇宙意識と完全に融合し、

一つになることです。

すなわち、

悟りとは、

『神(ブラフマン)との完全なる一体化』

です。

『言うは易く行うは難し』

で、

悟りを得るのは簡単ではありません。

慈愛の精神(慈悲の心)と宇宙の叡智(先哲の智慧)を実生活の中で実践し、

悟りへの道を歩みましょう❗️

行こう

行こう

覚者の国へ

悟りを開いて

皆んなで一緒に行こう

悟りあれ

幸いあれ

(参考図書)
「『悟り体験』を読む――大乗仏教で覚醒した人々」
(著者 大竹晋 新潮社)

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(推薦図書)
『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

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