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#1378 「障害者」と「障がい者」、単に表記を変えるだけの問題ではなかった。

いまだに表記の混在が気になるので、備忘録的に。

気になる表記の混在は「障害者」と「障がい者」。

極単純に考えれば「害」という感じがマイナス(=差別的)イメージだから「がい」に言い換えているのだと思っていた。

確かに、少しググってみると宝塚市のWebサイト(PDF)にはこう書いてある。

書き換えたい用語
障害を持つ(障害は本来個性、持たされるものでない)→障がいのある

https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/021/755/sassi19.pdf より

ところが、そう話は単純では無い。

このことは、伊藤亜紗さん著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』に記されている。

一部引用する

象徴的な話があります。それは、「障害者」という言葉の表記についてです。「障害者」という表記に含まれる「害」の字がよろしくないということで、最近は「障碍者」「障がい者」など別の表記が好まれるようになってきました。 〈中略〉 けれども、それが差別のない中立的な表現という意味での「ポリティカル・コレクトネス」に抵触しないがための単なる「武装」であるのだとしたら、むしろそれは逆効果でしょう。障害の定義を考慮に入れるなら、むしろ「障害者」という表記の方が正しい可能性もある。

伊藤 亜紗. 目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書) . 光文社. Kindle 版.

つまり、健常者からすると「目の不自由な人」「耳の聞こえない人」「知的障害」「発達障害」「精神障害」がある人は「害」ではないというということの表れとして(害という字がかわいそう、、、)「がい」と表記したに過ぎないと。

これは健常者から見た勝手な言い分に過ぎない。

むしろ、障害者からしたら健常者に合わせた生活を強いられる社会のほうが「害」なのである。目の不自由な人にとっては段差をはじめ様々なバリアが存在する、そのバリア=障害なのである、と。

単に表記を変えるという問題では無い。障害を持った方から見た世界が障害だらけということ。

そう考えると、自分がまともだと思っている方のご都合主義で作られた用語の多いことに気付かされる。視点を変えるってマジ大事。

そして、ご都合主義で表記を変えるのも単純すぎやしないか?とも思うわけである。

こういった差別的に感じるから単純に言い換えられる言葉たち。誰にとって差別的なのかをもう少し整理した方が良いのかもしれない。


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