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ラストサムライ 中島三郎助

幕末、黒船が浦賀沖に突如現われて右往左往する
幕府と江戸の町を皮肉った有名な狂歌がある

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」

上喜撰(じょうきせん)とは
宇治の銘茶で蒸気船(黒船)にひっかけ
四杯とは
黒船四隻でお茶を飲みすぎると夜も眠れない、と

この黒船に日本人として真っ先に乗りこんだのが
浦賀奉行の役人 中島三郎助

ラストサムライ 中島三郎助

米に幕府高官としか面会しないといわれ
とっさに「浦賀の副奉行」と偽った

応接をかさね艦内の大砲などの装備にも
目をこらし米から警戒されている

そのあと、海防力増強をめざす幕府の命で
長崎海軍伝習所の一期生となり
造船学、航海術などをまなび
同期には勝海舟、後輩に榎本武揚がいる

そのあと江戸の築地軍艦操練所教授となった

江戸城が開城され榎本武揚が旧幕府軍をひきいて
蝦夷地をめざす艦隊に中島三郎助親子の姿があった

二百年にわたり代々禄を受けてきた
徳川幕府への恩にむくいよう、と

長男 恒太郎 次男 英次郎      函館市中央図書館蔵

榎本軍では、箱館奉行並・砲兵頭並となり
官軍と戦った

市街地はすでに官軍の手に落ち
残るは千代ヶ岡陣屋と五稜郭となったが
陣屋の守備隊長として降伏勧告を謝絶

さらに榎本による陣屋退去もことわり
壮絶な戦闘をつづけ
長男恒太郎、次男英次郎とともに北の地に散った

5月16日 千代ケ岡陣屋 官軍との接近戦で中島は銃弾を受け壮絶な戦死 
これが箱館戦争最後の戦い


三郎助は、千代ヶ岡陣屋の戦いとなる前夜
辞世の句をのこした

「ほととぎす われも血を吐く思いかな」

その二日後、榎本は降伏し
五稜郭開城、戊辰戦争最後の箱館戦争は終わった
 
このころ、三郎助の人格識見に魅せられ
師とあおぐ長州の桂小五郎は
新政府に招聘しようと
彼の消息を探しまわっていた

五稜郭の桜が満開から散りはじめる5月
義をつらぬき49歳で散ったラストサムライ

中島三郎助最後の地 中島町                        2022

中島三郎助父子最後之地碑があり
中島にちなんで名づけられた中島町で
葉桜のころ 碑前祭がひらかれる
 
 
 

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