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(2)国を踏み台、足場、土台として、 次なるステップを目指せ!

2039年のシーズン戦を終えて、杜 圭吾はポルトガル南部の共同農場へやって来た。5年前にフランスのクラブで同僚だった選手と折半して、ブリュワリーを持つ葡萄農場を手に入れた。スペインのA・マドリーに所属する3人の弟達もやって来て、4人でまったりとオフを過ごすのが、毎年の恒例となっていた。イングランドとイタリアのリーグでプレーする兄弟も居るが、4クラブとも優勝を逸したシーズンとなった。         …  プレミアリーグで短期レンタルで臨んだ兄のアユムは、来季の継続契約を断り、自分がオーナーを務めるスペイン・ラ・リーガ1部のクラブが3位で終わるのを見届けると、2月から始まった、自身のクラブチームの補完組織である北朝鮮、韓国、日本のクラブチームの視察に向かった。鉄鋼会社はドイツ人社長に任せて。イタリアのクラブチームに居る兄弟達を短期レンタルして、自分のクラブで6月末まで選手として利用する狡猾さだった。
兄弟に負荷を掛けるのも良くないとして、主力級でありながら敢えて交代要員として利用して、兄弟達の負荷を軽減するのを目的にしている。レンタル提供されるクラブよりも、選手の所有権を持つクラブチームの方が優先されて然るべきで、血縁者だからといってコキ使って良い筈もない。それでも貴重な戦力となる兄弟や選手を、アジアの3チームへ配分するに当たり、1月から始まっているリーグ戦の映像を見て分析し、どのチームに誰を充てがうべきか検討してゆく。兄弟達だけでなく、所有4クラブと義理の姉達の南米の2クラブ間の移籍も含めて分析を加えていく。           
このアユムの分析を助けるツールとしてAIが使われる。決してビッククラブではない万年中堅以下だったスペインのクラブを手に入れてから、5年連続で3位以内をキープし続ける事に成功した最大の理由は、公表こそしていないが独自に作り上げたAIを活用しているからだ。 アジア企業買収のオマケの様に傘下の3クラブを手に入れたが、それぞれのクラブが片手間のようにマネージメント出来ているのも、この経営用AIのお陰とも言える。分析が終わった段階で平壌入りし、北朝鮮リーグと韓国リーグの試合をオーナーとして観戦し、補強策の分析に行っていた。      

モリ兄弟がそれぞれ調理用、部屋の清掃用途等で利用していたロボットは、夏のシーズン開始までレンタル業者が回収し、メンテナンスに入った。プレアデス社のレンタル事業部門はロボット毎に部品交換を行い、交換履歴も今までの利用状況をロボットの稼働履歴情報と参照ながら、AIに情報をフィールドバックしてゆく。集積されたデータから部品の改良や刷新が検討されてゆく。この辺は自動車や航空機、家電などのベネズエラ製品と変わらない。人型ロボットは従来の製品以上に可動領域が複雑なために、細部に至る管理情報の記録を残し、全てのロボットが安全に且つ正常に動作する為の対策が施されている。戦闘機並み、戦艦並みの過剰なまでの克明な管理が常時求められる。それ故に在庫時のメンテナンスも徹底したものとなる。とは言うものの、管理自体も、メンテナンス担当の専用ロボットが総て請負い、記録を残してゆくので人が介在するのは兵器同様、最終チェック時だけとなる。ロボットは日本製、ベネズエラ製とそれぞれ分かれて別運用となっているが、レンタル提供はベネズエラ製に限定されている。双方が異なるそれぞれが独立したAIで稼働しているのだが、例えば地震被災地等で両者が共同作業に当たっても、互いが認識しあって作業を請け負うなど、共存して利用するのも問題は無い。地球上には2種類の人型ロボット製造企業しか存在しないので、今のところは事なきを得ているが、将来的に様々なロボットが登場してくると、相互のロボットが相手を理解、認識し合う、共通の認証システムを構築する必要が出てくるかもしれない。

5つ星クラス並の力量のある調理ロボットの利用により、味覚が鋭敏なまでに形成されたモリ兄弟を始めとするサッカー選手達は、シーズンオフ中の休暇に入ると、自炊を始める者や、彼女や家族に頼る者、外食に依存する者と、生活様式が様々に別れてゆく。
問題は、鋭敏になった選手たちの舌先であり、味覚だ。サッカー選手の妻になろうと躍起になって近づいてくる女性陣は何処の国にも一定数居るのだが、何故かこのシーズンオフ期間から、選手が調理の腕前を求めるようになった。
相手の選考に新たな基準が加わった事を知らない女性達は、一時は受け入れられても、直に淘汰されてしまう事例に遭遇すると、原因が分からず人知れず苦悩する事になる。
欧州リーグに所属するサッカー選手に何らかの変化が生じた。その差異に気付いて対処できた者、元々調理が得意だった者だけがミッションに勝ち残り、受け入れられてゆく。これも新技術が齎した弊害だと言って良いのか、判断に苦しむケースではあるのだが。
 ーーー 

モリが国会で演説をするのは初めてとなる。国連事務総長を2期勤め上げた際、ベネズエラを先進国入りした際に時の首相から請われたが、断ってきた経緯がある。
今回は過去の件もあって、抜き打ちのように前日に「決定事項だから」と金森鮎元首相に持ち出され、押し切られる。現役の議員たちの予定を抑えられているので、やらざるを得ない。何を話せば良いのか慌てて考えるものの、各方面の方々との面会やら会談の連続で、時間が取れずに当日に至ってしまう。ぶっつけ本番になったので、気の向くままに話すしかないと、諦めの境地で壇上を目指して階段を一段一段登ってゆく。登壇したのも投票時の数回しかない。議員としての期間も1年程度にしか過ぎず、経験した大臣も北海道・沖縄開発担当大臣を受け持っただけで、実績は後任に奪われてしまい、肩書としても、大臣としての実績も寂しいものでしかない。
一段上がるたびに、背中に浴びる拍手の音が大きくなってゆく。しかし、いつまで経っても話す材料が何も浮かんでこない。そもそも、木曜の睡眠時間は大陸間移動が伴うので時差が逆行して短いものとなり、寝不足になる。頭も重く、軽やかに動くことが出来ない。壇上に向かう動きが、「随分、歳を取ったな」と見られているかもしれない。 
登壇して、聴衆である議員に向き合うが、やはり話す内容が頭に浮かんでこない。拍手が収まるまで待ちながら、顔を引きつらせるように笑っていた。ここまで来たのに、自分自身にやる気が無いのかもしれない。
拍手が鳴り止んだので仕方なくマイクに向きあう。この場で話すのはやはり初めてだと気づく。予算会議では大臣として何度も答弁したが、本会議では若手の議員に質疑応答を任せて、議員席で聞いていた記憶しかない。 後々まで話し出すまでの記憶が明瞭なのも、直前まで話す内容が決まっていないまま、国会議員という日本の代表者達の前でスピーチを行う、理解しがたい緊張状態に囚われていたのもある。自身の挙動の一つ一つ、議会内のカーペットを踏みしめる一歩一歩が記憶に残り、空間を包む不可思議な雰囲気を心に留めておこうと、何故か必死になっていた。そこで気がつく、自分はこの国会議事堂に恐れに近い印象やら、深い感慨をもっているのだと。20年前に初めてバッチを付けて、この絨毯を歩みだした日を勝手に出発点と定めており、あの日に決意した様々な事項を走馬灯の様に思い出していた。
自分の原点、オリジンは初登庁日のあの日だった。決断した1つ1つを、お前は守り、継続しているのか?成し遂げているのか?と。新人議員でも、党の幹事長だったので、同僚となる新人議員向けの講師として資料作りや、全体の教育メニューの作成を前日まで行っており、自身の事はかまけて忙殺される日々だった・・何しろ、新党だ。何一つとして無い所からスタートしている。 自分で思いつくもの、考えついたモノを必死になって纏めていた。それ故に初登庁日は寝不足で腑抜けのようだった。蛍とバッチの付けっこをして、自分のネームプレートをあちこちで見て、議員なんだと実感が湧いてきた・・。その場の雰囲気と高揚感で自分のルールと目標を決めて、ノートに認めたっけ・・壇上に立つまで回想モードだったので、結局、何を話すか決めていなかった。それでも、マイクを前にすると習慣なのか、言葉を発しようと勝手に動き出してゆく。軽い高揚感も湧き上がって来る。これも場数を踏んできたから、なのかもしれない。           
ーーー                     

富山・五箇山集落の一角で遅咲の梅と桃が、共演するかの様に咲き誇っている。この地に昨年半年滞在し、慣れしたんだ蒼と翠が、ゴザを敷いて花見なるモノを従兄弟たち、兄弟たちに教えていた。ロボットのアンナ達に持ってきて貰った飲み物とお菓子を並べて、満開の花を見ながら、ママゴト遊びに興じていた。一成とキャスバルは、不条理な時間だとママゴトに渋々興じていたが、女性陣3人は、花びらが時折降り注ぐ環境でのママゴトに、最大級の評価を下していた。何と言っても、ひな祭りと重なっている。子供たちの祖先の代から引き継がれてきた、雛人形が3日を過ぎても飾られたままだった。「明日、ひいおばあちゃんが来るから、まだ仕舞わないんだよ」蒼がセイラにそう説明していた。

五箇山にはアユミと、昨日フィリピンからサチとアユミの子と共にやって来た、ヴェロニカが居た。国会で演説をするモリの映像を探して見ていたのだが、どこの局も音声を流さないので、首を傾げる。 

「あれ? こういうのって、音声を出さないものなの?日本の国会って、音声を公開しちゃいけないの?」  

「そんな事ないよ、アメリカの大統領とか、話してるの見たことあるもの・・あれ?ネットも何をスピーチしたのか書いてないね・・どうしたんだろう?」 

アユミとヴェロニカが一緒になって首を傾けている間に、別のニュースが始まった。一体、パパは何を話したんだろうと思いながら、2人は軍事の機密とか、何かしらタブーに触れるような話でもしたのではないかと、勘ぐっていた。…                      「皆さん、こんにちは。元衆院議員のモリです。私には日本の議員としてのキャリアが1年程度しかありません。議会にも出ずに、海外に出かけておりましたので、議員席や議員会館の自室に居た時間が、殆ど無いのです。
当時は新党の幹事長職をやっておりましたので、日本に滞在中は、大抵、党の幹事長室におりました。帰国の度に山のような書類が積み重なっていました。議員になる前は日本の政治家っていうのは、年寄りでも、無能だろうが務まる職業なんだと思っていたのですが、とんでもない。大きく誤解していました。平成までの政治家は、周囲に秘書を何人も抱えて、酷いのは官僚まで抱えて、仕事を放り投げていただけだったのです。後を継いだ連立与党は、彼ら政治家と共に失策を続けた官僚を排除する方向に舵を切っておりましたので、頼るわけにも行かず、秘書など居ない我々新党は、議員間で仕事を割り振って、何とかこなして行きました。有能な人材を集ったのが、吉と出ます。新人議員にとっては良いトレーニングになったと、前向きに捉えつつも、幹事長としては失格でした。議員には労働時間の制限は無いとは言え、毎日が残業で休みのないブラック労働の日々を新人議員に強要していたようなものですから、心苦しく思っていました。当時、頭によく浮かんだのがドラえOんです。 党のシンボルカラーにドラOもんブルーを採用していたからかもしれません。後にプルシアンブルー社の社名の由来にも繋がりますが、どこでもドアや四次元ポケット、自分の分身となるコピーロボットが欲しいと、事あるごとに考えていたのを覚えています。あの時の想いが、議員の皆さんが秘書として使っているエリカを生み、ベネズエラではアンナが生れました。  
でありますので、皆さんの方が日本の政治家としてのキャリアが断然長く、議員の先輩方の前で語る資格など、私には無いのです。当時は野党の議員の議席が衆院では¼, 参院では野党の方が多数を占めていた時代です。 海外を飛び回って議会に出席しない私は、野党から懲罰対象にすべきだとよく罵られたものです。内閣の意向を受けて海外で動いておりましたので、仕方がなかったのですが。     

昨日、ベネズエラからやって来て、官房長官から明日 国会でなんか喋れと突然言われまして、この場にノコノコと出て来ました。急に演説しろと言われて、しかも鬼蓄政府が私のスケジュールを分刻みにして、アチコチ連れ回そうとするものですから、これは原稿を作っている時間なんて無いぞと直ぐに察しまして、内閣府のライターの方に原稿を書いて欲しいのですが、と官房長官に依頼したんです。するとですよ、「なんでベネズエラ大統領の原稿を、我々が作成しなければならないの?」と官房長官が真顔になって言うんです。急に国家間の立場に態度を豹変させたので、この時ばかりは明確に官房長官に殺意を抱きました。この国会の場で「殺意」なんて言葉を使ったのは、恐らく戦後の憲政史上では初めてではないかと思います。
ついさっきまで、2人の間は夫婦の会話でしかなかったものが、突然、大国が弱者に対して高圧な態度を仄めかしたのですから、こちらがカチンと来るのも当然です。官房長官の陰湿なまでの発言を受けて、私は動揺しました。日本政府は来訪者をコキ使うだけでなく、鬼蓄の所業と言わんばかりに非人道的なスケジュールを他国の首長に強いるのか?と、俄に怒りすら感じました。しかし、私も長年政治に携わって参りましたので、この時ばかりはぐっと堪えました。私が官房長官殿に何か失礼な事を申し上げたので、急に自助努力を持ち出したのだろうか?と思い留まり、その場は押し黙りました。
官邸に到着して、内閣の皆さんにご挨拶をした後です。官房長官の顔色を窺っていた私は、機嫌が好転した
と判断して、再度スピーチライターの要請をしました。しかし、なんと再び梨の礫です。聞く耳持たんというスタンスで態度を硬化させたのです。
「即時、首相官邸へ攻撃を開始しろ!」と、北朝鮮に駐留している我が軍に命じようと、一瞬考えたのですが、怒りに震えながらも何とか思い留まりました。結果的に、原稿も何も無いまま、こうして壇上に上がっております。この経緯をどうしても明かして置きたかった理由ですが、日本の閣僚の一人に明確な殺意を抱いた他国の首長が居て、我が祖国に対して中南米軍が宣戦布告していたかもしれない、そんな瞬間が実在したという話なんです・・。
皆さん、笑っている場合ではありません。貴国の官房長官の私に対する冷徹なまでの対応が、貴国と我が国の間の友好関係を僅かな時間とは言えども損ない、軍事侵攻という一触即発の危うい状況下に陥った、という事実を伝えたかったのです。・・繰り返します、日本の議員の皆さん、どうか笑わないでください。ここは神聖なる議会の場です。たとえ相手が私の家内であっても、これは夫婦間の会話ではなく、日本とベネズエラ間の公式な外交上の遣り取りだったと捉えて頂きたいのです。危機は地震雷火事オヤジの様になんの前触れも無しに、突然やって来ます。今回、一寸先は闇だと改めて痛感した次第です。
私からの提案なのですが、外交上の余計な衝突を避けるためにも、来日した国を敬い、非礼に当たらない人道的なスケジュールを組んでいただき、訪日中はゆったりと過ごせる・・相手国の首長や大臣に滞在中は極力満足してもらえるように、最低限度のもてなしは、やはり必要ではないでしょうか。
高給取りの議員の先生方の貴重なお時間を頂いておりながら、冒頭から物騒な話をさせていただきましたのも、日本の官房長官の性格の悪さをこの場で晒して、その性悪な態度に憤慨した某国の首長が殺意を抱いたばかりか、一瞬であっても軍事侵攻を想像した事実を明かす事で、国会での記録にも残せなければ、マスコミも流石にこれはマズイと忖度して報道しないと考えたからです。何と言っても、文章間の細かなニュアンスは残らずに、過激な言葉だけが公式文書にはっきりと残りますからね。後世のあわてんぼうの歴史家や政治家が、殺意や官邸襲撃という言葉だけを捉えて、ベネズエラと日本は実は争っていたと短絡に考えるかもしれません。であれば、対外的に公表せず、平成の政府のように記録に残すにしても危うい箇所を黒塗りにするか、記録内容を改竄する等の対応をするしかないでしょう。もしくはベネズエラ大統領は日本の議会に登壇なんかしなかった事にするとか・・ここで公式記録に残せぬように、捨て台詞となる暴言を一発 吐いておきましょう、ざまあみろ、お前の母ちゃんでぇべそ・・と。     

さて、何も考えないまま壇上に上がりましたので、話はアチコチに脱線しまくるのですが・・20年前に話は遡ります。立ち上げたばかりの新党の代表の一人となり、幹事長職を担いました。連立与党内から内閣の要職に付けと言われましたが、1年生議員が国の要職に就くのはいかがなものかと主張、北前新党は党首以外は役職を敬遠させて欲しいとお願いしましたが、最大与党なのでそうも行かず、何名かの新人議員に大臣職、副大臣職を担って頂きました。私には外相や官房長官といった職務を勧められたのですが、党の幹事長と両立は出来ないと拒み、ご理解いただきました。官房長官や外相なんていう役職は、自分は未来永劫受けるべきではないと考えていました。十分な準備も無いまま人前で話せば、デベソや鼻毛野郎といった小学生以下の話しか出来ない男なのです。・・繰り返します、笑う場面ではありません。一同静粛にお願い致します。
ええっと何でしたっけね・・そうそう、私は強い後ろ盾を必要とする、極めて脆弱な人間です。中南米諸国の強い経済と軍事力、この2つがあるからこそ外交や交渉の場で強気な態度で挑めるのです。国連の事務総長時代は、新生日本とニュー自衛隊という後ろ盾を最大限利用させて頂きました。私の未熟な思考であり、拙い発想なのですが、この国際社会では残念ながら、力のある者が発言権を持つ傾向にあると考えております。それ故に私は、発言権を心の底から手に入れたかった。どうしても発言力が欲しかったからこそ、内閣に提言して、遮二無二に外に向かっていったのです。

20年前の日本の政治は、危機的な状況にありました。財政と経済は悪化の一途を辿り、税収は最高益を更新していましたが、単に物価高の消費税収益に依存していただけの話でした。その一方で法人税は安く抑えられ、うだつの上がらない国内企業は微々たる営業利益を上げていれば、高い税を払う必要が無いので、年々最高益を更新します。しかし、海外企業との国際競争力は年々落ちてゆきます。それも当然です。利益を従業員の給与に還元せず、大して先行投資もしないで、内部留保金として溜め込んでいたからです。    
国民の取得は先進国で最低を更新し続け、個人あたりの収入平均が韓国以下となり、既に先進国とは呼べない国になっていました。国防は米軍頼みで、自衛隊はアメリカ製の兵器を押し付けられるだけで、防衛コンセプト自体が支離滅裂な状態です・・。       
この何一つとして誇るものが無い状態で、政府が国の内外に対して胸を張って発言するなど、出来ないと考えたのです。平成の歴代の官房長官を思い出して下さい。日々の発表で何かまともな内容の報告があったでしょうか?国がマイナス成長を続けているので、悪い材料しかないのですが、事実に反して粉飾した物言いをし続けます。「状況を静観したいと思います」「暫く様子を見て、判断したいと考えています」と、さも動いているかのように発言しますが、実態は放置していただけ、何もしていませんでした。
出て来る策は言い訳めいた内容で、実に抽象的で、対策費の財源は、毎度お馴染みチリ紙交換、借金を増やす一方の国債依存です。
アホノミクスを正式採用するような奇特な連中の集団です。経済成長の方法論を知らない官僚ばかりが揃っているので、貯蓄額だけは世界一!の国民から金を毟り取る事ばかり考えます。
集中放火を回避する為に、国債発行して借金ばかりを増やしている訳にも行きませんので、諸制度も改悪、撤廃します。高額医療制度を撤廃して、当時は新種のコロナも5種に下げて国民の医療負担額を一気に増やします。一方で年金を下げて、国民所得を月額30円しか上げないで、輸入に頼る食料品高騰に何ら対策を講じず、憲法改正と防衛費増額をセットにして、消費税率を19%に上げると言い出します。そもそも、憲法違反のカルト宗教分離の出来ていない癒着政党同士が連立与党として長年牛耳ってきた恥ずべき国ですから、国民無視どころか、国民はカルトの生贄に晒されます。コロナの実験体として差し出されるに至ると、国民は生命と財産を脅かされ続ける存在に成り果てます。おまけに財政悪化、憲法改悪・・と政治と行政がメチャクチャになるのも当然です。後を引き継いだ新しい与党が忙しくなる原因は、仕事を放棄して何一つとして何遂げたものがない政府が、のほほんと平成まで続いたからに他なりません。
実力も人気も無い爺さん婆さんが、票の欲しさに特定のカルト宗教と密に連携し、憲法改正案まで関与する非常識さ・・国民を無視し、外交はアメリカ依存に徹するだけ、国内向けの議案は、明確で具体的で期日が定められたものは一つも無く、国家戦略に至っては机上の空論ばかりで、実現に至るまでの綿密なステップの検証や議論は皆無でした。  

議員となった私は、国民に秘匿され続けていた悲惨極まりない国の実態を知り、日本を刷新する使命を自然と受け入れて居ました。新しい政府と与党が、胸を張って物が言える国にしたい。同時に、国民一人ひとりが何一つとして脅かされる事もなく、当たり前に最低限度の生活が出来る様にしたいと、漠然としたイメージが脳裏に浮かんでいました。
新党の幹事長として議員の皆さんにお願いをしたのは、こんな例え話でした。 
「ちゃぶ台を囲んで、家族中が集って笑顔で朝晩の食事を摂れる、もう一度だけ、そんな国にしよう」だったかと思います。イメージは正に戦後復興時に重ねていたのです。議員の皆さんも記憶にあるかと思いますが、20年前の日本は正に瀬戸際、大病が幾つも重なった合併症に苦しんでいました。      
最大与党の幹事長ですから、とにかく率先して動かねばなりません。国内の課題解消を議員の皆さんにお任せして、国外の諸問題の足枷から、何とか脱する糸口を見いだしましょうと内閣に提案し続けて、了承を得る事に成功します。
さて、ここから先はまだ公に出来ない話をお話したいので、記録も録音も止めて頂きたいのですが宜しいでしょうか?マスコミの方々も申し訳ありませんがご退出願います」 
ここでモリは水をゆっくりと飲んだ。    

「私は、密命を抱えて秘かに北京に向かいました。20年前は軍事的にも強大で、最も刺激してはならない、そんな隣国でした。肩書は与党の幹事長ですから、相応の役職の人が出てきます。政権の上層部と話せるだけの材料をバラ撒きました。その一つが情報リークです。審議中の次年度予算の内情を教えました。数年間の防衛費を削減して、経済復興に当てるつもりだと伝えて、日本は中国の抵抗勢力にならない、将来的には米国の属国からの脱却を最終目標に据えていると伝えて、新たな関係を築きたいと申し入れました。    
外相でも、副外相でもない連合与党の幹事長に過ぎない新人議員が、中国政府に受け入れられる為には奇策しかありません。当時の奇策と呼べるものは、中国の利益となり、アメリカには不利益となるものを指します。勿論、アメリカに知れたら、猛反発される内容ばかりです。それ故に、知名度の無い新人議員を暗躍させて、内々で協力関係を築いていったのです。この時の縁が残って、後年になって北京政府にヘッドハントされる事に繋がっていきます。私は前職は教師で素人ですので、プロの活動内容まで分かりませんが、尾行される事も無く、ノーマークのまま暗躍する事が出来ました。もし、CIAにマークされていたら、横槍が即座に入っていたと思うのですが、そういった事もなく一つのプロジェクトが動き出します。私は、新党の資金総額を中国側に見せて、ロシアの協力者を紹介して欲しいと要請し、イラン国民への援助策を提案してゆきます。日本が中ロと組んで、第三国で活動する・・アメリカは中露が動きだした背景に、北前社会党の資金が関わっていたのは、この時点では気づかなかったと後年になって訪米してから知ります。この人道的なプロジェクトを成功させて、日中露による国際貢献体制を打ち出し、イランでの成果を掲げて、今度はアメリカの理解を得て、北朝鮮の援助に展開してゆきます。この2つの援助活動は、日本に取っては施策以外の何物でもありませんでした。中露との間で関係を構築するのが主目的でしたが、想定以上の成果を生み続けて行きます。以降はこの好循環の芽が次々と生まれていったのは、皆さんもご存知の通りです。

私の1年足らずの行動が認められたのか、行動を危険視されて日本政府から離してしまおうと考えたのか、それは情報が開示されてからでないと分かりませんが、私は議員を辞して、国連に転じて行きます。日本政府と議会の支援があったからこそ、2期全う出来たのだと受け止めておりまして、その節の皆さんのご支援には深く感謝している次第です。そして北京経由カラカス行きで、今があります。             
皆さん、一人の新人議員にこの国の未来を託した度量が、20年前の連立与党にはあったのです。それだけ閉塞した状況に日本が追い込まれていたにせよ、教師上がりの新人議員の話に耳を傾け、この男に賭けてみようと判断した幹部、OBが実在する政党に皆さんは属されているのです。今の与党の幹部にも、当時の度量や判断力は色濃く残っています。    
個人名を上げて申し訳ありませんが、ベネズエラから北朝鮮に転じた、越山、櫻田両名と、旧満州で新知事に就任した芦北、前田の両名と言った、次なる世代が着実に育ちながら、確実に成果を積み上げています。
皆さんも日本の議員になったから、それで人生完了だと夢にも思わないでください。情けない、あまりにも小さ過ぎる目標です。ベネズエラと北朝鮮の大臣や議員は、今後、多国籍化して競争原理を導入します。令和の日本が2重国籍を認めるようになった理由の一つが、他国や海外企業で雇用されるのを促すために他なりません。
北朝鮮では今年初の選挙が行われます。日本の元議員で立候補を計画している人達が居らっしゃいます。欧州やアジアの議員になろうと画策し、その国で大臣を目指そうと考えている人も居ると耳にします。政治家が経済人、学者と同じように海外で活躍すれば、日本は更なる成長を手に入れる・・かもしれません。

日本の一億人の国内市場は限られたものでしかありません。60億人の世界市場へ、際限なき宇宙へと対象を拡げて、島国気質から脱し、先ずは地球ありきの発想で物事を捉えてゆくのは如何でしょうか。日本の大学や研究所の留学生も海外の研究者も増加傾向にあります。 
社会党は、そういった外国籍の方々を、党の候補者に据えてゆくとも伺っております。仮に、日本の技術が海外へ漏洩したとしても、もはや恐れる必要がなくなった・・のかもしれません。
日本人が、日本人ありきの発想から脱して、海外の優秀な人材に日本を託すという方向に舵を切り、この本格的な宇宙時代に転ずるタイミングに合わせて、国の新たなコンセプトを見出す力を持った人材や組織の数多くの誕生に、私は期待しています。
視点とフィールドを、ちっぽけな日本列島から周囲に転じるだけで、世界観、宇宙観は無限に拡がってゆくでしょう。さて、白状しておきますが、私は自他共に認めるオールドタイプです。社会科の教師は自然と史実に忠実になってしまうので、どうしても柔軟性に欠けるのです。政策を作っていても、どうしてもまどろっこしいものになってしまうので、細部は皆に修正して貰う日々なのです。

ニュータイプとなりうるセンスと、ドラスティックな発想を合わせ持つ議員が、数多く議席を占める日を心待ちにしています。
ポンコツになってゆくジジイが、地球の裏側からこの国を暖かい視線を注いでいるだけで済む。そんな憂いなく過ごせる余生を、カリブ海や南太平洋・沖縄やアジアのリゾートをグルグル移動して過ごせたらいいなと・・今は、そんな老後を夢見ている次第です。

さて、最後にオールドタイプから一言だけ宜しいでしょうか? 「出る杭」の数は多ければ多いほど、叩けなくなるものです。ニュータイプの素質がある皆さんは、この日本を土俵にして、出過ぎた杭の一つとして、どうぞ成り上がって行って下さい。
日本、北朝鮮、そしてベネズエラの各政府の重鎮は、ネチネチと小言を言うかもしれませんが、在任中はこの私めが皆さんの足枷を開放し、連中にあなた方の御足をひっぱらせません。どうぞ、安心して無双をかまし続けて下さい! 
皆さん、本日は貴重なお時間を賜り、深謝申し上げます。またご清聴頂き、どうも有難うございました!」

モリはお辞儀をすると、時計を見て次の予定に向けて走り出し、と議場を後にする。
本当に分刻みなんだなと、立ち上がって拍手している議員達は笑いながらモリを見送った。「走らないで!」と衛兵に叱られながらも、詫びながら走り去っていった。

ーーー                    
義母の金森鮎と前首相の柳井純子とプルシアンブルー社社長のサチと、筑波の寮からやって来た1爺2婆の孫娘達と共に、横田の政府専用ホバークラフトで南砺市五箇山のヘリポートへ向かっていた。先行して到着しているアユミと赤子達に合流する。フィリピンからアユミとサチの上の子供を柳井とモリの嫁子にあたるヴェロニカ母子が連れてきて貰い、週末をのんびりと過ごす。
 鮎とサチは毎週末、五箇山に遊びに来て、稲刈りの終わる秋まで子供たちと過ごす・・そんな予定だった。

社長業の為に、我が子を義妹のアユミに託しているのが申し訳ないと詫びつつも、兄弟達と過ごす時間の方が本人達も嬉しいだろうし、教育上の効率も良いと分かっているのでサチの顔も穏やかだ。父親も週末にしか顔を出さないのだから、一緒だと笑う。       
何しろ、1時間で移動できるようになったからこそ、可能な配置だった。大気圏外飛行が出来ないままであれば、ベネズエラでの養育に特化してしただろう。

鮎は生家に里帰りでご機嫌な所へ、孫の茜と遙が左右に居るのではしゃいでいるし、柳井純子は孫のフラウとビールを飲んで語らっている。残ったサチとモリが隣り合って座り、サチの経営者としての悩みや愚痴を聞いていた。      

南アルプスを左に、八ヶ岳を右に見ながら、諏訪湖上空を過ぎると白馬三山が視界に入ってくる。ワザとヘリが飛ぶ高度を管制から認めてもらっていた。北アルプス上空に入ると、富山・立山連峰の主峰、剱岳が見えてくる。まだ3月なので岩の殿堂も摩白く光り輝いている。
遠回りした機体が左に大きく旋回しながら、北アルプスを縦走すると、五箇山の聖山、白山が視界に入ってくる。晴天に恵まれ、日本の屋根を堪能することが出来た。唯一神として崇めている山の神様に感謝しながら、合掌造りの小集落の廃校のグラウンドにホバリングしながらゆっくりと降りてゆく。ヘリポートにはフィリピンからやってきた機体が停まっていた。
ジャム工房になっている旧校舎から、一成を先頭にして、蒼と翠、そしてセイラとキャスバルの5幼児が出てくる。1週間ぶりとは言え、母親に会えない寂しさから、一成は毎度のお約束のようにサチにしがみ付く。 父親など我関せず、どうでも良いという姿勢を見せるので、やや寂しい思いに捕われながらも、その寂しさの隙間を蒼と翠が埋めてくれるのも恒例となった。セイラとキャスバルは歳の離れた姉のフラウと祖母の純子と再会を祝して、ハグしあっている。

アユミとヴェロニカが赤子を抱いて出てくると、鮎とサチが小走りで迎えに行く。一番下の孫と、赤子の愛娘には誰も敵わないのだ・・。    

しかし、世界中の何処よりも空気が美味いと実感する。ゆっくりと深呼吸して、新鮮な空気を肺いっぱいに注ぎ込む。この贅沢なまでの空気は、日本でなければ味わえない。
北半球の季節が様変わりし、休日を過ごす拠点も複数となった事を実感し、喜んでいた。   

(つづく)


2022 台湾海峡危機時の米海軍シフト
ウクライナの苦悩は続く
追悼


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