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文フリの盛り上がりを見て商業出版に絶望しそうになった話『文学フリマ東京初参戦記(後編)』

行ってきました、文フリ東京39。
たくさん売って、いろいろ買って、ちょっと落ち込んできました。
今回はそんな話。

※参加前のことは前編⇓に書いたので、後編は成果報告となります。

■なんなのここは?本好きの聖地か!?

ピークより少し減った3時くらいの写真。それでも多い。

「12時となりましたー。文フリ東京39スタートで~す」というアナウンスがあったかどうかは覚えていないが、とにかく出だしから人が凄かった。

出店者・来場者合わせて約15000人だそうですが、みんな財布のひもがゆるい。とてもゆるい。どんどん買っていく。これだけの人数がこの勢いで本を買いあされば出版不況なんてどっかいってしまうんじゃね?と思うくらいのスピード感と熱気だった。ここは本好きの聖地であった。

私めの参加した「浜松オンライン読書会」のブース。
用意した「積読」アンソロジー本50冊は完売しました。ありがとうございます。
しかし、こう言っちゃなんですけど、ディスプレイがちょっとね……。今後の課題です。

店番タイムが終わって各ブースを回ったんですけど、売っている人と目が合ってしまったら、パンフレットをもらってしまったら、本をぱらっとめくってしまったら、買わずに立ち去るなんて非道なことはできない。と思っていたので、ちょっと視線を下げつつ歩いたのですが、文フリには悪魔が潜んでいるようです。時計を見ようと顔を上げたり、人に押されてブースの前に飛び出したりした瞬間、「パンフレットどうぞ!」「よかったら見ていって下さい!」と、一瞬の隙をとらえて切り込まれてしまいました。おまえたちは凄腕の剣客か?

狙い撃ちで買った作品と偶然の出会いで買った作品たち。一期一会もまた文フリかな。

■短歌とSFの売れっぷりに度肝を抜かれる

とりわけ盛況な一角がありました。短歌です。ニッチなジャンルだと思っていただけに、ちょっと驚きました。何か理由があるのかなと思って調べたら、文フリではむしろ短歌がブームなんですね。ある記事によると、「商業の世界でやっていくことが難しいため、特に若手の歌人が文フリを発表の場として選んでいる」とのことでした。

また、SFも文フリで売れ筋のジャンルのようです。私は先日、細谷正充賞という文学賞を頂いたのですが(⇓記事参照)、その主催団体がブースを出しておりまして、受賞者5人の作品を全部並べて売ったところ、SFジャンルの作品である饗庭淵さんの「対怪異アンドロイド開発研究室」が瞬殺だったそうです。この団体は福岡文フリにも出張してブースを構えたのですが、ここでも同様の現象が起き(私はその場にいたので目撃者です)、対怪異アンドロイドはたちまち完売しておりました。私のはたくさん売れ残ったのに……。

「文フリに来る客層に、SFは刺さりますからね」とは文フリでご一緒したある方の言です。調べると、文フリに来る年齢層でもっとも多いのは、25~34歳だそうです。若い…。

細谷賞を受賞した作品(私のをのぞく)。一番左が「対怪異アンドロイド開発研究室」です。
表紙も文フリ勢に刺さる系らしいです。

■盛り上がりの正体は感動の豊富さ?

これは私の持論ですが、「人とコミュニケーションを取る、という行為に勝るエンタメはない」と思っています。文フリにはそれが豊富だと思います。

たとえば売る側として参加した場合、仲間と一緒にわちゃわちゃしながら本を作る。お客さんとやりとりしながら本を売る。お客さんから感想をもらう。隣のブースの人と仲良くなったり、SNSでつながっているだけの人とリアルで会う。打ち上げでうまい酒を飲む。前回仲良くなった人と同窓会的に盛り上がる。これぜんぶ文フリならではの対人コミュニケーションです。

文学フリマが盛り上がるのは、楽しさや感動が結節ごとに発生する文化祭的対人コミュニケーションが狭い範囲にぎゅっと詰まっているからではないでしょうか。

商業でやってる人が文フリに進出することに批判的意見もあるようですが、この文化祭的ノリを体験できる文フリは、商業作家にとっても凄く魅力的なんです。というのも、たいていの作家は孤独に本を書いていますし、本を出版するという行為の中で会話する相手は担当編集者だけの場合がほとんどあり、書店とも読者とも交流することなく本を売って終わりのパターンが一般的ですから。

私はネットの小説投稿サイトにおける読者との交流が面白かったことがきっかけで商業を目指した口ですが、いざデビューしてみると、孤独孤独孤独……。アマチュア時代に感じたあの楽しさを感じる機会はどこにもありませんでした。

■何読んでるの?と聞くと純文学か翻訳小説か哲学しか挙がってこない

「ふだん何読んでます?」
と尋ねると、純文や翻訳小説、哲学系の本しか出てこない。これは文フリ中に話を聞くことができた範囲の結果にすぎませんが、日本のエンタメ小説なんてひとつもあがってこなかった。エンタメ作家の端くれとしては、肩を落とさざるを得ない結果でもありました。

「歴史小説ですか? どうやって読めばいいかわからないです」
「歴史は……ちょっと」

私が「こういう本を書いてます」と説明すると、上記の反応を頂くことはかなり多いです。今回もバッチリ頂戴しました。

私の作品です。クリックすると集英社のサイトに飛びます。

歴史小説は、物語の背景知識がないと楽しめない。
戦国時代の物語なら戦国時代について、第二次大戦中の物語なら第二次大戦について、あらかじめ知っておかないと読めない。

と思っている人はかなり多いです。読書に敷居の高さを感じてしまうということですが、彼ら彼女らにとって、歴史はカテゴリーエラーとして手に取る前に弾かれる対象なのです。

しかし私にとって、歴史はただの設定です。物語の舞台装置にすぎません。ですから私は、予備知識がなくても読めるように工夫して物語を作っているつもりです。読んでほしいのは設定じゃなくて本編で語られる人間ドラマのほうなのですから。でも「歴史」と認定された瞬間にカテエラされてしまう。私はそれがくやしい。

歴史小説なんて興味なーい。
おまえの作品に需要なんてなーい。

文フリに参加して、そういうアウェイ感を肌で感じました。自分の立ち位置を改めて噛みしめてしまいました。文フリ参加者の年齢層を考えると致し方ない部分もあるのでしょうけど、文フリと歴史はめちゃくちゃかみ合わせが悪い。今回は読書会のメンバーと作ったアンソロジーに短編を寄稿したにすぎないので、お客さんに「やっぱりいいです」と本を戻されても自分が否定されたと感じることはなかったわけですが、もしも自分でブースを構えて自作を手売りしていたら……。

文フリは楽しかった。まるで文化祭だった。この感動体験は商業出版の世界にはなかった。だからこそ私は、商業出版の明日に一抹の不安を覚えてしまったのでした。


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野上大樹@作家(旧名:霧島兵庫)
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