表現の原動力には最適ではないもの
何を絵にしてきたのか、そしてこれから何を描いていこうかとここ3年ほど悩んでいます。
世の中はコロナで大騒ぎになってからの3年間は、僕にとっては農業を始めた3年間であり、父親になってからの3年間であり、二科展で新人賞を受賞してからの3年間でした。
また、レザーバーニングを始めてからは1年半といったところですね。
以前から心に残り続けていたトラウマや悔しさ、怒り、子供の頃の父親の別居による家庭内の記憶、自身の性格による様々な弊害(いじめも含む)が産んだその感情達を、意識的に、また無意識に、画面に込めていました。
風景画にしてもそうでした。
アートのことだけではなく、目まぐるしく学ぶことがある毎日。
親を学び、農家を学び、ビジネスを学び…そうこうしてるうちに、囚われていた過去から心は解放されていきました。
それと同時に過去の怒りや悔しさ、トラウマが絵を描く原動力そのものであったために、3年間迷い続けていた画風に関して、いよいよ行き詰まってきてます。
ジオラマ人形に目を向けてみたり、砂に目を向けてみたり、シリコンをもう一度使おうとしたり…
二科展用に製作中シリーズ
この迷い現象。耐えきれなかったら、描けないまま辞めていくことが容易に想像できました。
トラウマを表現の題材にしてた時点では気づきませんでした。その時心は燃えているから。
今は何を表現したいのか、見つかってはいますが、だからといって情熱に燃えて描くには何かを表現したいという感覚では少し弱いのです。また解消された時にも危ない。
僕は次は「描くことを楽しみたい」と思います。実際今は焦りや不安もありますが、以前と違うのは楽しいなと思えることです。
アートを研究すること、世間の絵を見て自分の絵を見つめ直すことは楽しいです。
友人に置いてかれる焦燥感にしばしば負けたりもしますが…
みんな一緒に笑って過ごそうよってメッセージを添えて、楽しんで描くことを今は目指してます。
今、風景画と共に10年以上描き続けてきたにこにこフェイスを進化させてシリーズ化したいと思います。
というわけで、トラウマを表現の原動力にすると消化された時に危険だというお話でした