幸せは自分次第? んなわけねえだろ。
幸せかどうかは、あなた次第なんです。そんな本が書店に並んでいた。本という文化的なものにすら、資本主義の魔の手が迫っていたとは。
集団主義的だと言われてきた日本においても、近年は個人の幸せを追求しようという傾向にあるように感じる。それに伴って、自己啓発本とかスピリチュアル的な本とかが飛ぶように売れているらしい。
そこでよく目にするのが、現状の自分で満足することができれば幸せになりますよ、という言葉だ。たしかに一理あるかもしれない。見栄を張るために消費をしたりだとか、世間の価値観に合わせようと自分を閉じ込めてしまうだとか。そういうことで不幸を感じている人はたくさんいるはずだ。
しかしながら、とんでもなく怖い一面も持ち合わせている。一言でいえば、自己責任論だ。
自分が幸せだと思えば幸せだということは、言い換えると、自分が不幸だと思っているならそれは自分のせいだ、となる。客観的に見て、経済的にも貧しくて、人間関係も希薄な場合、本当に心の持ちようで幸せだと思えるだろうか。
これは、スピリチュアル的な自己啓発のも同じことが言える。願えば叶うという、いわゆる「引き寄せの法則」というやつだ。あれも結局は個人の責任に帰着してしまう。悪いことが起こったのは、あなたがそう望んだからです。
幸せはあなた次第。この考えが広まったのには、明確な理由がある。根底にあるのは、個人主義と自己責任論。これらは、新自由主義と非常に相性が良いのだ。
新自由主義というのは、簡単に言うと、市場の原理を用いればあらゆるものが上手くいく、ということだ。現代では、この新自由主義が広まって、本来は資本主義の外に置くべきの、教育や医療、福祉などの分野にも市場の原理が用いられている。その結果、誰もが金儲けばかり気にする社会になってしまった。
幸せについて語るとき、新自由主義的な考え方、つまり個人主義とか自己責任論とかで考えてしまうと、絶対的に苦しんでいる人が見えなくなってしまう。「幸せじゃないとか言うけど、それ君が悪いんだよね」
じゃあ、どうしようか。自分の尺度で幸せを感じることは大切だ。それに加えて、最低限の生活レベルが保障される必要がある。そして、その最低限を引き上げていくことが期待される。
幸せは自分次第。そう思うのは、もうやめよう。あなたが幸福じゃないのなら、それはあなたのせいじゃない。環境のせいだ。社会のせいだ。必要なものなら、もっと求めよう。あれも欲しい、これも欲しい。もっと欲しい、もっともっと欲しい。