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テレビは隠すし、ネットは嘘つく。

 なんだか、ここ数日でテレビとネットの二項対立をよく見かける。テレビは国民を騙そうとしている、とか。ネットにこそ真実があるんだ、とか。

 どうやらネットを支持するのは若い人に多くて、年齢層が高くなるにつれてテレビを支持しているようだ。このままいけば、僕らの大半がネットを情報源として生活していくことになるのだろう。

 僕の周りではネットに囲まれて生活する人がほとんどなので、なんとなくネットの方が正しいように思ってしまう。しかし、果たしてそうだろうか。

 テレビが正しいと言っているわけではない。むしろ、僕はテレビが嫌いだ。でも、テレビは嘘をつかない。

 都合の悪いニュースを流さなかったり、論点をずらしたりすることは見受けられるが、起こっていないことをあたかもあるように報道することはない。テレビは隠すけど、嘘をつかないのだ。

 ネットはどうだろうか。膨大な情報量の中に、テレビが報じない真実も含まれるかもしれない。しかし、ネットは簡単に嘘をつく。

 起きていないことを捏造し、それを真実と偽る。そして何より厄介なのは、受け取る側にとってはそれらが区別できないことだ。詳細を知りもしないのに、見出しのインパクトだけがインプットされる。ネットは真実も嘘も言うのだ。

 僕は先日、ネットの怖さを思い知らされた。
「知ってる? ピアニストの〇〇って不倫してるらしいよ。よく読んでないから分からないけど」
 友達は自慢げに僕に言った。すぐに調べてみると、不倫してるなんてことはなく、スタッフの女性と写真を撮られただけだったのだ。

 隠すテレビと嘘をつくネット。どちらが優れているかと言われれば、どっちもどっちだ。自分で調べも考えもせずに、外から入ってきた情報を信じるのだから、同じことだろう。

 何が言いたいのかというと、自分の頭で考えようってこと。19世紀に活躍したドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウエルは、著書の中でこんな言葉を残している。

読書は、他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。

ショーペンハウエル『読書について』

 テレビとかネットなどのメディアについても同じようなことが言えるのではないだろうか。メディアは、他人にものを調べてもらった結果に過ぎない。僕らはそれを受け取って、自分で考えなくてはならないのだ。そして自分で考えたからには、その結果には責任が生じる。こうなって初めて、意見と呼べるのかもしれない。

 ここで問題が出てくる。僕らは全ての問題に対して考えるほど時間がない。それならどうしたらいいのか。僕は、自分に関係がなかったり、知識を持ち合わせていなかったりする問題については、「分からない」と言ってしまうことにしている。

 自分の無知をさらけ出すのは恥ずかしいことだろう。それでも、自分から論争の場から降りることで、その問題に対して謙虚になれるのかもしれない。

 テレビは隠すし、ネットは嘘つく。自分の頭は、裏切らない。

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