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『メタフィクション』【ショートショート】

 本の入り口はどこだろう。一冊の文庫本を覗き込みながら、ひとりの少年が考えている。俺、つまりこの物語の作者は、少年のことを何も知らない。あるいは、全てを知っているとも言えるだろう。なにしろ、この物語の中では俺が書いたことが全てなんだから。昨日、主人公が絵画の中の世界に迷い込む映画を見たところだった。本が好きだった彼は、本の中の世界に入ろうとしている。ほら、こんな感じで。
 文庫本のちょうど真ん中のページを開いたとき、一瞬だけ姿を現した光の渦を、少年は見逃さなかった。文庫本の開いた方が自分に向くように頭の上に置くと、次の瞬間、まばゆい光が彼を包み込んだ。

 少年は、相変わらず一冊の文庫本を手にしていた。何も変わらない、いつもの風景だった。本に視線を移すと、文字でいっぱいだったページが白紙になっている。彼は慌てて、最初のページを開く。そこには、彼が知らない文章が書かれていた。「本の入り口はどこだろう」
 その文章は300字程度のところで中途半端に止まっていた。少年は、文章が次々に書き足されていることに気がつく。何か思ったり、何か行動したとき、それらの描写が正確に書き記されているようだった。
「本の中に入れたってことなのか」
 本当なら、ここで理解できるのは不自然なんだけど、あまり重要じゃないから省略させてくれ。突然、彼は全てを理解した。
「やったー! ここが本の世界か。何をしようかな」
 自分は自由意志をもっていると、彼は本気で信じている。当然、彼は何もすることができない。しかし、俺も彼と同じくらいの年齢だから気持ちは分かる。少しくらいは楽しませてあげよう。
 少年の目の前には、突然お菓子の家が現れた。ウエハースの扉を引くと、クッキーの床と板チョコの壁が目に飛び込んでくる。部屋の真ん中には、彼が欲しかった新作のゲーム。彼は幸せだった。

 山本拓也は、パソコンの前で腕を組んでいた。小学六年生にして小説家として活躍する彼が初めて物語を書いたのは、二年生の夏のこと。学校に行けばいじめられる毎日を送っていた彼は、現実逃避をするために自分だけの理想の世界を作ろうと、親のパソコンを借りたのだった。
 そして今、新しい物語を思いつくことができず、物思いに耽っている。突然、彼はアイデアを思いついた。

 少年の名前は、勝村勇人といった。頭は良くなかったがクラスで一番の人気者である彼は、サッカーを習っている。底なしにサッカーが好きなようで、お菓子の家にいるというのに、新作のサッカーゲームで遊んでいる。なんであいつの名前を付けようと思ったのか、俺には分からない。教養のなさが溢れ出る、憎たらしい顔を思い浮かべる。恐怖にも似た、今にも逃げ出したくなる感情が俺を襲う。逃げ出すってどこから? 彼がいるのは物語の中じゃないか。俺がその気になればあいつなんて——。

 指先の痛みに我慢できなくなって、山本拓也はキーボードを打つのをやめた。無意識に自分が力を入れてしまっていたことを知る。もう少しで、あいつを消すことができたのに。彼はその無意味さに気が付きながらも、自分の手で勝村を殺すことができることに喜びを感じていた。休ませるように両手をぶらぶらさせる。それから、彼は再びパソコンへと向かった。

 コンピューター相手に三点差もつけられていた勝村は、試合時間が残りわずかで逆転できないということを悟ると、ゲームの電源を切った。その瞬間、お菓子の家もゲームも、この世界に存在していたあらゆるものが消滅して、そこにあるのは果てしなく続く真っ白な地面だけだった。
 どこからか足音が聞こえてきた。見回してみても姿は見えない。
「おい、勝村」すぐ後ろから声がした。
 振り向くと、同じクラスの山本拓也が不気味に笑っている。太ももに熱を感じたとき、勝村は自分が刺されていることに初めて気がついた。痛みで足に力が入らなって膝をつく。いつもは大人しくて背も低い山本が、今はものすごく大きく見えて、恐怖心が芽生える。こんなこと初めてだ、勝村は思う。
 山本は、高らかに笑いながら勝村の方に駆け出してきた。勝村は身体が硬直して動けない。山本の右手のあたりがきらりと光っている。そう思ったとき、山本はナイフを逆手に持ち替えて振りかぶった。

 あとはとどめを刺すだけというタイミングで、山本拓也は手を止めた。身体が言うことを聞かない。金縛りみたいな感覚だった。突然、勝村勇人が現れた。
「今まで悪かった」勝村が手を差し出す。
「いいよ」山本はわけが分からなかったが、なんとなく手を出して握手する。突然、山本拓也と勝村勇人は友達になった。
 この物語の中では僕が書いたことが全て。不自然だけど、いじめがない世界をつくってみたかったんです。

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