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重伝建地区「塩田津」訪問        @佐賀県嬉野市(2024/9)

今回は町並みについての投稿です。
先日のことですが、佐賀県嬉野市にある重要伝統的建造物群保存地区「塩田津」を訪問したのでレポートします。
佐賀県の南西部に位置する嬉野市。塩田津はその有明海寄りに位置する河川港のあった街です。


2005年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された塩田津。
江戸時代は長崎街道の宿場町として、河川港として栄えました。
先ごろご紹介した嬉野忍者の1人、蓮池藩の「細作さいさく」をつとめた田原安右衛門良重は、この塩田の頭人(=長官)にまで至ったということです。

「(前略)・・安左衛門ハ才学有リ。官塩田頭人ニ至リ、嘗テ蓮葉隠一部ヲ著シ後世ニ伝フ。」

(『蓮池藩日誌』,ふるさと社,1981.4. 国立国会図書館デジタルコレクションより引用)


さて、私は車で出発。嬉野Ⅰ.Cを降りて15分ほど鹿島市方面へ走ると白壁の町屋が見えてきました。旧塩田川の川沿いにある無料駐車場に車を停めて通りを歩くと、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感じがします。


塩田の街並み。中央は車道です。


観光休憩所の「まちなみてらす」と江口家(右)。「まちなみてらす」に観光マップやリーフレットがあります。江口家は江戸時代後期に蓮池藩の上納米を取り扱う米商人宅だったそうです。


このうち「西岡家住宅」は国指定重要文化財に指定されています。

西岡家住宅。安政2年(1855)建築の二階建ての大型居蔵造りの町屋。廻船業を営む西岡家は塩田屈指の豪商でした。土日祝の10時~15時に内部を公開。


西岡家住宅。


古い山門を見つけました。門の左右にはユニークな石造りの仁王像が立っていました。

本應寺(ほんのうじ)。天正14年(1586)開基の浄土宗の寺。
かつては本陣として利用されたそうです。


嬉野市指定文化財の本應寺の仁王像。寛延2年(1749)寄進。



更に歩くと「塩田津」と書いた大きな暖簾が見えました。


旧下村家と旧検量所(左)。旧下村家は屋根がコの字型(クド造り)の草ぶきの町屋。旧検量所は昭和24年、天草石(陶石)の集荷施設として建てられ、肥前陶土工業協同組合の事務所として利用されていました。



・・ここで「クド造り」とは?

(略)・・日本民家形式の1つで、屋根大棟が「コ」の字状をしている。くど造りとも表記する。佐賀県福岡県熊本県有明海周辺、特に佐賀県と福岡県にまたがる筑紫平野に多く分布する。

(フリー百科事典「Wikipedia」より一部抜粋引用)

・・「天草石(陶石)」とは?

天草陶石(あまくさとうせき)は、天草下島で採掘される粘土鉱石陶石)である。陶磁器の原料として広く利用されており、日本で産出される陶石(磁器原料)の8割を占める。天草陶土天草石とも呼ばれる。

(フリー百科事典「Wikipedia」の「天草陶石」より一部抜粋引用)


「塩田津町並みマップ」によると、天草陶石は熊本県天草から船で運ばれ、塩田川流域の水車で陶土に粉砕されて有田や波佐見など焼き物の産地へ運ばれたそうです。肥前(佐賀・長崎)は古くから陶磁器の生産が盛んで、有田焼や波佐見焼、嬉野には肥前吉田焼という窯元があります。

そして、これらの重厚な建物の合間には、本應寺の仁王像と同じく塩田石で作られた可愛らしい恵比須像(佐賀は恵比須像が多い)があちこちにあります。

街のいたるところにある恵比須像。





九州北部に住みながら、このような場所があったことを知らなかった私ですが、作り物ではない、本物の街並みが残る貴重な場所だと思いました。
「日本三大美肌の湯」といわれる嬉野温泉を堪能された後、少し足を伸ばして訪ねられてはいかがでしょうか。お勧めします。

では、今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。


*塩田津については「塩田津町並みマップ」「西岡家住宅リーフレット」等を参照しました。


*佐賀県公式観光サイト「あそぼーさが」はこちら。


*嬉野温泉観光協会HPはこちら。


*肥前吉田焼についてはこちら。


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ひとみ
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