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二本木神社と龍造寺隆信公供養塔

悪天候から一転、青天となった11月の三連休の中日なかび
島原方面へ行く用事があったので、かねてからお参りしたかった沖田畷古戦場跡にある二本木神社へ行ってみました。


ところで【沖田畷合戦とは?】

沖田畷の戦い(おきたなわてのたたかい)は、安土桃山時代天正12年3月24日1584年5月4日)に肥前島原半島長崎県)で勃発した戦い。九州戦国大名である龍造寺隆信有馬晴信島津家久の合戦である。「畷」とは田のあいだの道。たんぼ道。あぜ道である。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋引用)


二本木神社、場所は島原鉄道の三会駅と島原駅のちょうど中間あたりの、海岸近くになります。


二本木神社


拝殿の左側にたくさんの小祠があります。


二本木神社については、現地にあった説明板より以下引用します。

・・二本木神社は隆信公を失った家臣のうち住みついた人達が戦死をいたみ、その霊を慰めようと小祠を建て霊を祀り、二本木様と仰ぎ病除けの神としてたたえて来たのが始まりです。この附近一帯を沖田*なわて(*金偏に「又」4つ)といい、戦闘はこの一帯で行われました。ここから国道を諫早方面へ一五〇メートル行った右の奥には供養の碑が祀ってあります。

(島原市教育委員会作成説明板、後半部)



今回お参りした切っ掛けは、説明板の末尾に記載のある「国道を諫早方面へ150m行った右の奥の供養の碑」が、今年7月頃にこの二本木神社に移転されたとSNS等で知ったことでした。

以前は国道脇の私有地にあった供養塔。2021年7月撮影。


小祠と一緒に神社の境内にお祀りしてありました。



神社にお参りした後供養塔にもお参りしましたが、天気の良い日にもかかわらず風がざわざわし、木の陰で少しヒンヤリとした空気が漂う中、たくさんの小祠がいかにも「古戦場」という感じで、厳粛な気持ちになりました。
真面目な気持ちで手を合わせてきました。

この地が沖田畷合戦戦没者の安住の地となりますよう心から願いたいと思います。

二本木神社の脇、線路沿いには数台停められる駐車場もありますので、ご興味ある方はお参りいただければと思います。

では、今回もお読みいただきましてありがとうございました。


*沖田畷合戦に関する過去記事はこちら。



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ひとみ
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