夜、車窓から富士
京都から乗って、いつも大抵E席に座った。
改札内で買った5個入りの柿の葉寿司をさば、さけ、さば、さけ、たいの順に食べ終わってからしばらくすると、ちょうどよく名古屋に着く。
名古屋で降りる人、乗る人が互い違いになって、ドアの閉まる気の抜けた音、聞き馴染みのあるようなないような発車メロディが鳴り終わると途端にそわそわ浮き足立つ。
のぞみは新横浜まで止まらない。ので、未だそのタイミングがわからない。車窓をちら、と確認しては、スマホの検索窓に目をやる。駅と駅の間はなんと言うのだったっけ、車間、駅間。そうだ、区間。上下左右12のマスをフリックして思い出したことばを追記する。富士山、新幹線、区間。静岡駅を通過した後、新富士駅あたり。約5分間。ほしかった情報が得られたので画面から目を離し、ちら、とまた車窓を伺う。
外は夜。工業地帯のぎらついた銀の灯りとか、高速道路だか国道だかに沿って並ぶ儚げなブレーキランプとかそちらにばかり気を取られてしまう。目を凝らしても夜の黒が鏡になって、落ち着きない自分の間抜けづらが映し出されるだけだった。
見たいそれの方角には、眠っている、出張帰りだろうか。スーツを着た若い男性が力無く座席に溶けて眠っている。
白、赤、アークの橙が、ぽつ、ぽつ、点、点、と、時には、黒一色にもなる街へ何度も目を凝らす。時折思い出したように現れる通過駅が目の奥を劈いた。無数の光の線になった残像。その駅の窓とこちらの車窓が合わせ鏡になって、延々と奥に続いているように見えた。限りなく広い建物のようだった。何駅なのか、毎月毎週新幹線に乗っているわけではないから判別できない。それは知らない土地だった。
たまに明かりがゆらゆらと天地に反転して、水面を見たのだと分かる。池か河川か、それとも田んぼか、それは分からないけれど。浮かび上がる光の小波がきれいだと思った。
その次は大型モールが我こそは統治者だ、と言わんばかりに闇夜に唯一光輝く。さながら城だった。周囲はひれ伏したように静かだった。
窓を見続けて30分経った。地図アプリを開く。無機質な方眼がやがていろいろな形の線と面に変わる。青の丸が遠慮がちに動いた。たまに突拍子のないところに突き進んでいって、思い出したかのように元の位置であろう場所にひょろひょろ申し訳なさげに戻ってくる。生き物のようでおもしろく、見飽きない。
あと50分ほどで品川に着く。トンネルに入るとwifiが切れる。長いトンネルだった。トンネルが終わるとまた何度もトンネルに入った。景色はあまり変わらないけれど、ひらけた音、くぐもった音で何となく分かる。いつの間にか街灯の位置が変わっている。随分と塀の下に来たものだ、と思ったらまた広く見渡せる元の街に戻る。
地図アプリによると今は焼津らしい。焼津は暗い。20時。今は夕飯時だろうか。それともそろそろ眠るころだろうか。亡き祖母の家での消灯時間は20時だった。もっともそこは焼津よりももっとずっと自然豊かであろう、夜中、といっても21時ごろになれば星座が見えなくなるほどの星で埋め尽くされる天然プラネタリウムのようなところだった。
ともあれ目当ての景色はまだらしい。しかし気が抜けない。明るい街に静岡、という字が増えてくる。そろそろだろう。山の稜線かに見えたゆるやかな斜線は、手土産の紙袋の折り目だった。日に日に視力が落ちていく自覚がある。日中はパソコンの画面と睨み合いを続けているから余計だ。学生のころ、教習で30と50を見間違えた時よりさらに悪化しているだろうと予測するのは簡単だし、実際そうだった。5席先にある自由席の電光表示さえぼやけて滲んで形をなさない。相当な視力だ。
再びスマホで位置情報を確かめる。現在地と富士宮市、富士市の表示が均等に正三角形を描く。外の遠く、奥の先へと目を細める。外界よりも座席シートの青がずっとよく見えた。どこからか寝息が聞こえる。走行音も寝息に似ていた。2月の車内は暖かすぎるほど暖かく、眠るのにはちょうど良いかもしれない。しかし、眠るには座席も肘掛けも背もたれも固かった。阪急電車の椅子ならばきっと今ごろぐっすり夢見よく眠れていただろう。
さて、果たして一体今はどこを走っているのだろう。文字情報はない。ほのかな窓は一般家庭の明かりだろう。かすかにカーテンの陰影が見てとれた。そろそろ飽きてきてあくびをしたついでに伸びをした。どうにもせっかちで忍耐弱くていけない。電波の表示は4G。どうやらトンネルの中らしい。道理で先ほどから景色も音も変わらないわけだ。一瞬だけ音がふっ、と抜けて、また籠った。また抜けるとどこかの駅だった。その駅はやけに近かった。
地図アプリを開いた。丸は富士をとっくに抜けて静岡のくびれ、熱海にあった。結局どこだったのだろう、と考えていると男性車掌のアナウンスが小田原を定刻通りに通過したことを告げた。