これからは こどもも おとなも みんなでつくる
令和5年10月1日(日)14時から、あけぼのパーク多賀 大会議室にて、多賀町文化遺産推進事業「新しい地域の在り方創出事業」で特別講演会を開催しました。
テーマは、「地域も学校も楽しくなるために」
これからは こどもも おとなも みんなでつくる
山口裕也氏を講師に迎えお話しいただきました。
多賀町まちづくりネットワーク会長挨拶(辻利樹)
多賀まちネットが今回の案内を配布しているが、多賀町文化財保存活用地域計画を推進するための計画のひとつであり、学校も一緒になってまちづくりを考えていければと開催いたしました。
進行
多賀町立文化財センター 多賀町まちづくりネットワーク事務局 音田直記
音田:
山口裕也氏と対話形式で まず多賀町のことを説明しながら話を進めます。
独立研究者 山口裕也先生 自己紹介
東京都の杉並区教育委員会に勤務 昨年3月退職
2023年4月に一般社団法人School Transformation Networking(ScTN<スクタン>)を設立
心理学が専門 教育委員会では政策の企画立案、効果検証を中心にやって来た。
哲学者 苫野一徳氏とは15年ほどからの付き合い、長らく「学びの構造転換」について意見を交わしてきた。
一社ScTNでは、学びの構造転換に取り組む学校や自治体のサポートをしている。
現在は東京都在住だが、山梨県上野原市出身。2005年に秋山村と合併してできた市。通っていた中学は廃校になった。人口2万人だが、風景は多賀町と似ている。
音田:発掘調査をしてきたが、それだけではダメだと思い、7年ほど前から、まちづくりのことをしてきたが、うまくいかなかった・・・。
そんな中、本を読んでいて哲学・教育に辿りつき、苫野一徳先生に辿り着く。苫野先生はすごい先生で、これから出す本は翻訳されて世界の人になる。その先生が、山口先生を絶賛されていた。
ドキドキしながら山口裕也先生に連絡したが・・・。
最初、断られたが、来てもらえることになった。
行政職員・教育関係の方には聴いてほしいし、学校に通っている保護者の人にも聴いてほしい。
山口氏:杉並区の教育委員会にいたと話したが、それは大学院在学中から。研究者になろうと思った理由の一つは、自分がカウンセラーや学校の先生には向いていないと思ったこと。
特に、小中学生と関わっていると、35人学級であれば33人くらいまでは信頼してもらえるが、1人か2人、必ず自分のことを大っ嫌いという子どもが出てくる。この問題は、永遠に解決できる気がしない。
だったら、学問として心理や教育の専門性を突き詰めて、それをもって現場の教員やカウンセラーを支える仕事がしたい。そう考えたことが、研究者になろうと思った理由の一つ。
音田:先生はYouTubeにも色々でていますが、本『教育は変えられる』は、すごい、半分は地域のこと、半分が教育行政のこと。
多賀町ってどんなところ?
滋賀県概要説明
湖北・湖南・湖西・湖東と、琵琶湖を中心に地域がわかれる。
琵琶湖は、滋賀県民は海と言っている。疎水と瀬田川のみ流れ出る川。
それ以外は琵琶湖にそそぐ川。
琵琶湖一周回れる道がある。ビワイチが流行っている。自転車専用道路とサイクル拠点があり回れるようになっている。
多賀町位置図より、犬上郡は3町あり、多賀町は8割山、岐阜県と三重県の県境と隣接。
滋賀県は、50市町村から町村合併して13市6町になったが、多賀町は合併していない。
県庁所在地大津市は34万人、多賀町は約7400人、多賀町の人口の減少はなんとかくい止められている。
山口先生:
共通理解 その1 社会が近代化すると人口減少するのは普遍的な法則【人口転換理論】
18世紀以降の欧米先進国の経験から、人口動態にはある程度、普遍的な法則があることが知られている。「人口転換理論」と呼ばれる考え方で、人口転換のフェーズを3期に分ける。
第1段階 多産多死
子どもは労働力、しかし、成人になる前に亡くなってしまうことが多い。
第2段階 多産少死
経済や社会の発展に伴って健康や衛生状態が改善すると、亡くなる人が少なくなる。
第3段階 少産少死
経済や社会が更に発展して知識基盤社会といわれるような状況になると、子どもを育てることには大きな労力がいるため、少なく生んで大事に育てるように。
しかし、最近では、第4段階があるのではないという説もある。
第4段階 小産多死
日本は急速に人口が減っていく局面に入っている。どこの国もいまだ経験してないことが日本で起こっている。「ジャパンシンドローム」と呼ばれる急激な人口減少局面は、世界的にも注目されている。日本が「課題先進国」を呼ばれる理由の一つ。
Q ただし、よくよく考えてみると、果たして人口が減ることは悪いことなのか? という問いが生じる。
増えたから良い? 減ったから良くない?
A 適正人口論
戦後日本の人口は、1970年代に若者人口比率が35%をピークに減少局面へ、90年代には生産年齢人口がおよそ8,700万人でピークを迎えて減少局面へ、そして、2008年には総人口がおよそ1億2,800万人でピークを迎えて減少局面に突入している。
大事なのは、適正な人口規模について考えること。
日本については、諸説あるが、
①1億人前後というのがよく聞く。しかし、②環境負荷・エコロジカルフットプリントからを考えると、5,500万人が適正という試算も。これは、地球一個分の生態系で、かつ、全ての人が同じ生活水準で暮らすという条件の下、日本に割り当てられた推計人口。厚生労働省の将来人口推計だと2060年でおよそ8,700万人だから、まだ5,500万人よりかなり多い。
・・・こうしたことは説明し出せばキリがないが、何かをみんなで考える時には、ある程度の共通知識をもっておいた方がいい。
音田:多賀町は、単位が人 年齢分布表の説明
多賀町全体地図 遺跡のど真ん中に多賀SAがある。
近江鉄道多賀駅 近江鉄道はかつて石灰岩を出す、また、キリンビール出荷の役割があった。多賀大社がある。江戸半ばに今と同じ信仰形態に。戦国前後、多賀信仰は異常なくらい広まった。
ここ20年来の調査で、青龍山あたりは縄文中期頃から重要視していたのでは?と分かって来た。敏満寺は、多賀大社より勢力を持っていたのでは?
多賀大社は、昭和の建物。
多賀大社を案内する参詣曼荼羅、昔は木の橋で、お坊さん、神職、が描かれている。敏満寺を1/3使って説明している。高宮には木の鳥居があった。
以前から多賀大社、胡宮神社、大瀧神社の三社参りがあった。信仰の対象の地で、敏満寺は中世宗教都市化している。
重源さんが鎌倉時代に東大寺を復興、多賀大社は江戸時代まで幕府に大事にされてきた。信長が滋賀県の寺院を焼いたが、多賀大社を大事にしていた。武将の文書類が多賀大社に多数残っている。
多賀信仰は多賀町にとっても重要
しかし、あまり有効活用されていない。一年中多賀大社にはたくさん人が来ている。ほかは、多賀町に人の滞在が無い。未だに100万を超える人の参拝が年間ある。
江戸時代は徳川家に大事にされていた、御代参街道も、わざわざ多賀に参る道が出来た。
中部地方に「講組織」がある、多賀大社の末社も全国にある。
山口先生:見どころ、スポットはたくさんある。
自転車や徒歩に適したスケール感。スポットを点ではなく線で結んで地理的な機微を感じながら回遊できるようにすれば、スポットの周辺のみならず、スポットをつなぐ線の周辺にも産業が生まれ、産業が雇用を生み、雇用が職住一致や職住近接を生み出して社会を厚くするという好循環が期待できる。
文化財の活用を通して経済と社会とを一体的に充実させていくことが大事。
Q 多賀町では、ある程度できている?
音田:多賀町人口7000人ちょっとに中央公民館、図書館、博物館、文化財センター、高取山ふれあい公園があったり・・・。体育施設2か所福祉関係施設もある。
30年前工業団地に大企業を誘致している。
人口が少ない。中学校は1校で203人、多賀小学校384人、大滝小学校46人。
保育園は1つで201人(0~5歳児)、認定こども園 55人、大滝 60人。
かつては、中学校が3校あった、各谷に小学校の分校があった。
人口減少、農業、林業、学校、学校の中でも、不登校・いじめ・家庭の問題もある
山口先生:今日お話しする3つの事
Ⅰ 今一番の社会の問題は何? 様々な問題に共通する根本の問題は何?
象徴的な言い方をすると
共通理解 その2 日本社会の問題
問題の核心・根にあるのは、社会の「底」が抜けていること。
とりわけ都市部において寄る辺のない孤立した個人があふれかえっている。
戦後日本の構造変化は、高度経済成長の陰で社会の底が抜けた。言い換えると、地縁や血縁に支えられた親密な関係をもたない孤立した個人があふれかえる社会になった。
何故か?
共通理解 その3 戦後日本の構造の変化
以下、社会学者 宮台真司先生の理論に準拠した説明。
1 戦後~1960年代まで 地域の空洞化 つながりが薄れる
(1)団地化
(2)専業主婦化
農村部にいた人が、都市部に移転 → 農村部の人口減少
都市部→工場で働く夫を専業主婦が支える。→核家族が増える
生活に必要な物資を調達するのは専業主婦。ポイントは、家族全体と地域のかかわりが、奥さん以外になくなる。
もとあった土地が集合住宅団地となり、地域のつながり地理的つながりの分断。団地は更に拡大するとニュータウンになり、大規模な土地の開発を必要とする。これが更なる地理的な分断につながることも。地域の連続性や平野の交流、つながりが薄れていく。
2 1980年代まで 地域の空洞化の更なる進展と、家族の空洞化
(1)新住民化
(2)システム化(市場(依存)化と行政(依存)化)
新住民化とは、地縁のある旧来住民の割合よりも新しく入った新興住民の割合の方が多くなること。
Q 困ったことがあるとどうなる?
A 自分たち、つまり地域で解決できない。お役所に頼るようになる。これが行政(依存)化の一つ。
Q 市場(依存)化は?
A 宅配のイメージ。宅配で頼むようになると専業主婦ですら地域との関わりが薄れる。ちなみに1980年代は地元商店街が衰退局面に入った時期。モータリゼーションの進展や郊外やロードサイドへの出店が進んだことで、市場依存と同時に地元から離れていく。
行政化の他の例としては、防災。自分たちで、というよりはお役所仕事になった。
市場化の他の例としては、コンビニが出来たこと。経済の成長に伴い家に個室が増えてテレビや電話も一人一台に、お茶の間での家族団欒がなくなる。昼間は部屋に閉じこもって、夜一人でコンビニに食べモノを買いに行く、なんていう生活もこの頃から。家族が空洞化していく。
3 1990年以降 個人の孤立化
(1)インターネット化
(2)資本移動自由化
インターネット化にとっての大きな出来事は、94年発売のwindows94とそれに伴うPCの普及、その後の2007年のiPhoneを皮切りとしたスマホの普及が一番大きい。
資本移動自由化はインターネット化を背景としたいわゆるグローバル化のことで、人、お金、物、事、情報の全てが24時間ずっと場所を超えて移動し続ける。
60年代地域の空洞化、80年代家族の空洞化を経た90年代インターネット化・資本移動自由化で、いよいよ個人は孤立していく。インターネット空間をさまようように。
ただ、物事には両面ある。
地縁血縁を頼らないと生きられない時代から、個人で自由に生きられる時代になったことも確か。インターネット空間をさまようことも、「ネットサーフィン」という言葉に象徴されるように、当初は肯定的なイメージで語られた。同じ興味や関心をもつ人たちが時間や場所を超えてつながれるというよさがあった。
しかし、ここでバブルが崩壊、経済が停滞した。孤立した個人が経済的に自助不可能になる と、地縁による共助は薄れ、血縁を頼ることも難しいから、公助、つまり生活保護をはじめ行政を頼るしかなくなった。デジタル空間もまた、フィルターバブルやエコーチェンバーに代表されるように、今では人々をむしろ分断する空間になっている。
これが、孤立した個人を生み出した戦後日本の社会の構造の変化。そして、社会と経済との関係の概要。
Q 孤立した個人があふれると何故問題になる?
Q 日本では民主主義が正常に機能している? していない?
A 日本では正常に機能している。
共通理解 その4
民主制、民主主義は、インプット(国民の意思)に対して
正しくアウトプット(政策や施策)を返すという制度の特徴がある。
国民の意思が良ければ政策や施策も良くなる。逆も然り。
孤立した個人は、当然のことながら他者への配慮に欠けるところがある。そういう人がたくさんいる国になったとき、民主制はどのような帰結をもたらすか? 当たり前だが、みんなのためになる良い政策が充分に返ってこなくなる。
例えば、格差や貧困の問題。ジニ係数は先進国でも高い方だし、相対的貧困率はG7中で最も高い。子ども家庭庁が出来たので変わってくるとは思うが・・・。
富の偏在・・・ジニ係数(ジニ係数とは所得格差を示す指標であり、完全な所得分配ができている場合は0、1つの世帯が所得を独占している場合は1となり、この0と1の間でその所得格差の度合いを示します。 ジニ係数は所得について算出されることがほとんどで、当初所得ジニ係数と再分配所得ジニ係数が存在します。Wikipedia引用)
こうした格差や貧困の問題に、十分に手を付けてこなかった。
他にも、選択的夫婦別姓はなぜダメ? 私には娘が一人、家系は途絶える? LGBT理解促進法 「不当な差別」はおかしな言葉。「差別」とは「不当な区別」に他ならないから、同義反復。言葉の意味上、「正当な差別」など存在し得ない。そんなことも分からなくなった政治家が増えた? と考えるのか、それとも、そんな政治家はつまり国民全員の代表であり象徴である と考えるのか。
少なくとも民主制下で起きている問題については、国民全員が当事者であり、自分たちの選択と決定の結果として起きているということを理解しなければならない。入管法改正なども然り。
だからこそ、もう一度人々がつながりを取り戻すことが大事。
旧来的な血縁とか地縁とは形が違うかもしれないが、もう一度人々がつながりを取り戻す必要がある。学校での学びや生活も同じで、もっと違いを認め合って共に学んだり生活したりできるような日常にする必要がある。そうしなければ、我々の期待するような社会政策は民主制下の中では出てこない。
こうした状況の下で文化財の価値を考えてみると、他者への配慮を回復する大事な契機、また媒介になるという大事な側面が見えてくる。
そういうことも踏まえて、学校での学びがどうあればいいのかについて話せると良い。
5分 休憩
文化財と地域
社会の問題
社会の底が抜けてしまって、寄る辺のない孤人が溢れかえっている。
寄る辺のない孤人は人とのつながりを失っているのでなかなか他者に配慮が出来ない。
↓
Q 文化財はこの課題にどんな貢献ができるのか?
A 文化財は、日本において、他者への配慮をもう一度再生したり、新生したりしていくための媒介や材料にもなると思っている。
ちなみに、他者への配慮は、倫理的な規範の支えともなる宗教に支えられている側面がある。宗教には、4種ある。一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)、二神教(ゾロアスター教・マニ教)、多神教(仏教・ヒンズー教)、そして、アニミズム。
日本は無宗教と言われているが、古来よりアニミズム、つまり自然信仰がある。アニミズムとは「人間を以外の生物を含む万物に魂が宿っている」とする信仰。未開宗教においてもっとも古くもっとも基本になっている。そして、アニミズムは、どこで何をしていても常に何かに「見られている」という感覚をもたらす。これが倫理の支えになる。誰にも見られてなくても、悪いことをしてはいけないという気持ちになる。
ただ、アニミズムは、自然と共に生活する日常が失われると、衰退していく。かつては、コミュニティーの中に脈々と受け継がれたアニミズムが日本人の倫理を支えていた。倫理には当然のごとく他者への配慮を含むわけだが、もはやアニミズムにそれを期待することは現代の日本では難しい。
社会の底が抜け、アニミズムも失われつつある今、日本人が、もう一度、倫理、とりわけ他者への配慮を育み直すには、どうしたらいいか?
・・・という問題意識から、文化財というものの意味や価値を考えてみる。
Ⅱ 文化財の価値
文化財には、二つの特徴がある
1 有形無形問わず、「人の一生」という時間のスケールを超えて存在するものが多くある
自分が壊してしまったら、自分の一生かけても取り戻すことができない。そういう性質がある。普通に考えれば大事にする。扱いに慎重になる。身近な他者だけではなく、遠く見知らぬ他者であったり、過去、未来への子どもたちも含めた他者への配慮についても考える契機になる。
2 お金で買っていない、人の手から人の手へ譲られ受け継がれている
どうやら人には、自分のお金で買ったものよりも、譲られたものを大切にする本性があるらしい。
※当日は時間の関係で話していないが、以下、事例を加筆
第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展、日本館展示(2019-2021)
これは、日本で耐用年数が過ぎた木造住宅が、海を渡って最終的にはノルウェーのオスロで公民館になる話。
この事例、そもそもの問題意識は、建築廃棄物が全廃棄物のおよそ20%を占める、ということにある。耐用年数が過ぎた木造住宅は、さきほど60年代の団地化でも説明したとおり、とりわけ郊外に溢れている。これを有効利用しようと、イタリアのヴェネチアにバラバラにして持っていて、いろいろなものにした。
しかし、展示後、展示物を現地で廃材にしたら、本末転倒だと気付く。
そこでいろいろ友人のつてをたどってオスロに行き着き、最終的には公民館として再生されたという話。この事例からは、私有財が人から人へとわたっていく過程で公共性を獲得していくことが分かる。その原因の一つは、この展示を手掛けた建築家の門脇さんによると、「誰の物か曖昧になっていくからでは」ということ。
・・・というわけで、
文化財は、社会の底が抜けて宗教生活や信仰に乏しいで、倫理的な規範を支える媒介にもなるのではないか?
音田さん、どう考えますか?
音田:
文化財の見方
守ること、守る見かた 教育的観点など、子ども達、地域が文化財と関わる価値
地域の人が繋がる時、外部(文化庁)では評価されるが、内部(多賀町内)では全く評価が得られない。文化財に対する考え方を、どうしていけばいいか?関係者にどうかかわってもらえるか?話せるようにしていく方法はないか?考えた。
文化財は人との関係で生まれたもの、地域と関係は切り離せない、地域を守っていくにはこれからどうすればいいか?話せる環境、場所が作れるのがいいのではと考えた。
苫野先生、山口先生の本に答えは書いてあった。
地域を育てるには、学び、学校、みんなが当事者意識を持って、生活のなかでどうとらえられるか?今後のことを考えると、多賀町では孤立していった?あたりまえのものが すごく大事というのが分かりづらい。と言うのが分かって来た。そこをどうするのか?学校を中心にしたコミュニティーのつくり方、地域のつくり方、生涯学習をどうとらえるのか、変わっていかないといけないところが、変わってこれなかった。
山口先生:
子どもたちが、文化財を題材に社会科や総合的な学習の時間で探究活動を行い、それを、社会教育法が定める「地域学校協働活動*」で地域の大人や関係者が支える。そうした中で、子どもたちが、自分なりの歴史観や時代観を作る。みたいなことはこれまでしてこなかったのか?
(*「地域学校協働活動」とは、地域の高齢者、成人、学生、保護者、PTA、NPO、民間企業、団体・機関等の幅広い地域住民等の参画を得て、地域全体で子供たちの学びや成長を支えるとともに、「学校を核とした地域づくり」を目指して、地域と学校が相互にパートナーとして連携・協働して行う様々な活動です。
子供の成長を軸として、地域と学校がパートナーとして連携・協働し、意見を出し合い学び合う中で、地域の将来を担う人材の育成を図るとともに、地域住民のつながりを深め、自立した地域社会の基盤の構築・活性化を図る「学校を核とした地域づくり」を推進し、地域の創生につながっていくことが期待されます。例えば、子供たちが地域に出て行って郷土学習を行ったり、地域住民と共に地域課題を解決したり、地域の行事に参画して共に地域づくりに関わるといった活動が挙げられます。文部科学省HPより)
Q 総合的学習の時間に地域のこどもが文化財を調べる探求学習のサポートは?
A 音田:何回かやっているが、学校自体の目的と違うかも。こちらもそういう目的で学校に行っていないし、求められていない。
山口先生:
文化財は、社会教育法で定められている地域学校協働活動はもちろん、さらに地方教育行政の組織及び運営に関する法律が定めている学校運営協議会と掛け合わせると、いい方向に行く。
学校で、文化財を通し、地域の大人と先生とが一緒に子どもたちの学びを支えていく。大人もまた、子どもたちの学びを支えることを通して学び成長していく。大人どうしにもつながりができて、孤立を解消、又は防いでいくことができる。
こうした活動は、中学校1校と小学校2校なら、とてもやりやすいと思う。
多賀町で文化財を題材にした9年間のカリキュラムを立てて、生活科と理科と社会科と総合的な学習の時間の中で、独自の多賀町のカリキュラムを作ってみる、そういうことをやってみたら良いと思う。
音田:それは、大滝小学校でそのままあてはめられそう。
地域を見直すことになるし、帰ってきてもらえるメリットにもなる。
基本、組織が機能するのを嫌がっている? カタチはあるが機能していない。
山口先生:もったいないですよね・・。
音田:そもそも、屁理屈といわれる。そういうことに対して話が出来る環境にない。どうして行ったらいいか?その辺(教育)から皆さんと考えられるようになって、そこから文化財の話がしたい。
山口先生:
芸術の話は、文化財にもそのまま当てはまる
1 原理の芸術 美しいという感覚に訴える芸術(文化財)の側面
2 文脈の芸術 日常生活では気づかない無自覚の自明性を破る側面
芸術作品には、日常生活では気づかない無自覚の自明性を破るという、側面がある。
有名なのは、現代アートの父、マルセル・デュシャンの作品。便器にサインしただけの『泉』という作品がある。こんなふうに、文脈の芸術は、ふとした瞬間に忘れていた・自明視していたものに傷をつけることで気付かせる側面がある。そもそも芸術作品って何? 何であれば芸術作品? という問いを喚起するということ。
このことは、文化財にも共通するはず。寄る辺がなく孤立した個人が溢れ、それゆえ利己主義(自分さえよければいい)・刹那主義(今さえよければいい)・物質主義(形ある物での見返りや利益ばかりを大事にする)が蔓延する日本の社会。そういった価値観を自明視しつつある中、それでほんといいの? という問いを喚起する媒介や材料に文化財はなり得るのではないかということ。
かつては多賀大社で林間学校があったとのこと。そういう文脈で復活させられないかと勝手に思ってしまった。
学校での学びと生活
学校と地域の関係
学校と地域の関係、その中で、文化財をどう活用していくのか? 最後に考えなければならないのは、やはり、
子どもたちの学びの在り方や、それを支える教員をはじめとした大人の関わり方の具体。
現在、学校では、暴力行為、いじめや不登校、学級の荒れが増加傾向にある。特別な支援も然り。
ただ、物事には両面ある。いじめの認知件数の増加や特別支援学級の増加は、より繊細で細やかな配慮が行き届くようになった結果でもある。
しかしながら、先生たちは、こうした多様な子どもたちに応じていくための十分な人数もおらず、長時間労働も常態化していて過酷な労働環境にいる。
多様な子どもたちに応じること、学校における働き方改革を実現すること。この二つの問題を同時に解決しなければならない。
Ⅲ 問題の根っこは、何なのか?
ウィトゲンシュタイン哲学者(ドイツ人) 難問は根っこから引き抜かないと解決しない。問題の表層を対症的に刈っても、根が残っていれば何度でも形を変えて生え替わってくるから。
共通の根っことは何?
参加者:
私たちの頃は、昔は、特殊学級ってなかった。出来ん子は出来んなりに、また身体障がい者もいた、義足で体育は必ず見学、周りも身体障がい者差別じゃなく受け入れて学んでいた。クラスには障がいのある子と共に学ぶことの方が情操的には良いんではないか?発達障害は自分の子が引きずられるという風潮が起こり始めてから社会がおかしくなってきた?
昔、小学校の講堂で勧善懲悪の映画があった。また、吉本新喜劇が来るとか、狂言が小学校に講堂で披露されていた。池田小学校事件のことがあって以来、学校に入れない、門が締まっている。今は各小学校とも二宮金次郎がいなくなっている。
今の学校とこれから
山口先生:
2022年に、国連障害者権利委員会からインクルーシブ教育について勧告があった。障害児を分離した特別支援教育を中止し、普通学級への就学を認めるようにとの内容。
障害のあるなしにかかわらず、みんなが地域の一員として共に学べる環境を作らなければならない、ということ。
他者への配慮を再生・新生するためには、学校での学びや生活において一人ひとりに違いがあることを当たり前にし、そのことで、ひいては世の中は色んな人がいるということを実感させるようなものになることが望ましい。
今の学校教育制度は、学年学級制が基本。子どもたちは、同じ学年・年齢の人しかいない世界で生きている。けれど、現実の社会はそんなことにはなっていない。
例えば、苫野さんの例。就学前からドイツ人の子どもたちと遊んでいた経験。幼少期にこういう経験をするのは、外見上の特徴はもちろん、言語や文化の違いを超えた他者の理解や配慮、寛容を育む上で間違いなく良い。
さらに言えば、こうした経験はオンラインでの交流だけでは不十分。京都大学の名誉教授 山極壽一先生は、ゴリラの研究を通して、信頼に関する興味深い発言をされている。信頼を形成するのに大事なものは、視覚とか聴覚といった他者と共有しやすい情報だけでなくて、味覚とか嗅覚触覚といった他者と共有しにくい感覚を通した共通体験。例えば、一緒に食事をして、同じものを食べて、感想を言い合う体験。あるいは、人の匂いを感じること。いろいろな人と小さいころから生活と学びを共にすることが、すごく大事な、他者への配慮を失った底の抜けた社会にもう一度、蓋をすることにつながる。
Q 性別も学年も障がいも、言語も文化も異なるひとが一緒に学ぶ。しかし、いまの学校の授業のままだとどうなる?
現在の学校の授業は、先生が主導で、子どもたちみなが同じ内容を同じペース・同じ方法で学ぶことが基本。ある意味、落ちこぼれや吹きこぼれが出てくるのは当たり前。そうしたことから生じるフラストレーションが、子どもによっては暴力行為という形で表現されたり、また別のある子にとっては不登校や不適応という形で表現されたり。いじめで誰かを攻撃することで、イライラを解消することもあるかもしれない。
どうすれば、違いを当たり前にしつつみなが共に学び成長できる学校にすることができるか? ただし、学年学級制を廃止する、とか、教員の数を倍にするとか、少なくとも短期的には実現が難しそうな法制度の改革はここでは禁じ手とする。
Q 先生が、1人でも、1時間からでもできること
という前提で考えてみる。
林先生:
A 教師が教えるのでなく、生徒同士が学びあう関係の構図になればいいのではないか?
山口先生:
まったくそのとおりで、本質的な回答だと思う。一人ひとりに異なる個性をもった子どもたち35~40人を相手に、先生が一人で落ちこぼれも吹きこぼれも出さずに教え切るという方法には、どう考えても無理がある。
ただ、誤解しないでほしいことがある。近代の学校教育制度はどこの国でもおよそ150年前に始まっている。当時は、一国として独立・発展するために、国民を形成し単純労働者を育成することが目標だった。疾病や貧困で学校に通えない子も多く、教えることができる人(人材)も乏しく、国民の共通教養も豊かではなくて、さらには一人で独学するための環境や道具もほとんどなかった。だから、当時(150年前)は、限られた教員が子どもたちを一所に集めて一斉一律に教えていくことがもっとも効率的で効果的だった。
けれど、今は、状況は真逆になったと。にもかかわらず、150年前と同じことを現在も続けている。疾病や貧困で学校に通えない子は、とても少なくなった。国民の共通教養も豊かになり、自分で学ぶための環境や道具もとりわけスマホの普及によって豊かになった。
では、どうすればいいのか?
教員主体で一斉一律の教授、という構造を、まったく裏返しにすると、学習者主体の個別多様な探究、ということになる。そして、このことが、障害のある子を含む一人ひとりに異なる個性をもった子どもたちが共に学び成長する学校を作る上での基本的な方法になる。
Q では、どうしたら、学習者主体で個別多様な探究を実現出来るか?
A キーワードは「自己選択」と「自己決定」の二つ
もちろん実現は難しいが、まず、大事なことは、子どもたち一人一人が自分で選べる機会をなるべく多くしてあげること。自分の得意を生かし苦手を補えるような学び方を一人ひとりが選択できる授業であれば、異なる個性をもつ子どもたちが同じ場所で学べるようになる。
例えば、ひとりで学ぶのが得意な子。例えば、みんなで協力して学ぶのが得意な子。そういった多様な子がいる。
現在の授業は、問題解決学習が基本。まず、課題を把握し、解決の見通しをもち。現状だと、まずは一人で解決する時間があって、その後、誰かと協力して解決する時間があって、さらにその後、学級全体で解決する時間があって、と、方法や時間、ペースが全て教員の指示の下で固定されている。
けれど、もし、一人で解決する時間・誰かと協力して解決する時間を一まとめにして、20~30分程度、学び方をひとりひとりの選択に委ねてあげたなら。
このことによって、全てではないけれど、いまの学校が抱えている問題の多くは解決に向かう。しかもこのやり方が、出来る ということが先行事例で証明出来ている。もちろん、先生一人で、一時間からでもできることの事例にもなっている。
参加者:
クラスや学校と言う大きい単位になると、個人が消されている。人格否定されることがある。
150年前のやり方がまだ続いている前年度踏襲している。1年生、保育園から滑らかな連携が変わっていない。遊びも学びも分断されている。
山口先生:
幼児教育と初等教育の接続は、とても重要な課題。ただし、「小1プロブレム」が典型だが、小学校の規律的な生活に適応できない子が増えている、だから幼児期から規律を・・・というのは発想が真逆。大事なのは、就学前の遊びの中で既に芽生えていることを、大きく学校で開花させてあげましょうということ。遊びの中では、自分で選び決める、誰かと関わったり協力したりする、ということが自然に起きている。1年生を見くびってはいけない。ちゃんと、自分で・自分たちで、自分なり・自分たちなりに学んだり生活したりする芽生えが幼児期の段階に既にあるのだから、これを小学校の学びや生活の中で十分に生かしてやることが大事。手はお膝、お口にチャック、ではなく。
ただ、先生たちは本当に忙しい。そもそも教育は何のためにあるのかということを考える暇すらない。しかも、失敗できない恐怖の中、おっかなびっくりで・・・。
そして、こうした余裕がない先生の状況は、我々が短期的な成果を先生に期待しすぎるからでもある。
※学びの構造転換に取り組む先生の授業映像
(小学校第3学年算数科「わり算」)の視聴
感想を含めた質疑に対する応答(主な話題のみ掲載)
・教科本質知派と汎用的学び方派の対立
・「算数」は苦手だが『算数の時間』は大好きな児童
・児童を信頼して・委ねて・待ち、後から追うように支える教員の葛藤と忍耐
・外国語科や国語科での実践事例
等
保護者も地域の関係者も、今、学校が転換期にあることは、分かっているはず。
大事なことは、先生を応援すること。
挑戦を後押しすること。
安心して挑戦できるようにしてあげること。
そのために、みんなで対話をしよう。
子供を真ん中にして、先生が果たす役割、保護者や地域が果たす役割、行政が果たす役割を考え直す。
そうした対話を通して、お互いのことを知り、分かっていく。
それが、底の抜けた社会において、学校を媒介に子どもたちの学びを支えることを通して自分自身が社会に包摂されていくきっかけにもなる。
もちろん、子どもたちの未来を拓くことにもつながる。
教員が安心して新しい時代の学びに挑戦できるよう、学びの構造転換の取組みを長い目で見守ってあげてほしい!
実践できる
文化財を守るために 地域を守るために 必要な事 広がるコトができる
参加者:
情操教育に鞍馬天狗とか、皆で見た原風景、共同の楽しい体験が、子ども主導で出来るといいのでは?
「寄る辺のない個人」になるのは子供も一緒
山口先生:
子供を信頼して任せてあげること、子供たちは自分でやっていける。一番大人として勇気がいるところですが。
参加者の声:
神道学者 真弓常忠先生は、他者への見えないところでの配慮を、「おばあちゃんから、「お天道様が見てはる」と幼少期から常々諭された」とおっしゃっていました。暗黙の了解で、共通の根っこが幼少期から育まれていたこと、とリンクして腑に落ちました。
参加者の声:
私は耳が遠いのですが、当日補聴器を忘れていき、講師の話す内容が聞き取れませんでした。スマホで質問したりしたかったのですが、バッテリーが残り少なく、それも出来ませんでした。最初に挨拶とマイクに近づけて話してくださいと送ったのは私です。
トーク形式は良いのですが、持って行き方がまずかったと思います。
Slido コメント
・山口先生が前半最後にお話しされかけていた、学校で人とのつながりを学んで・・のところお聞きしたいです。 中学校が楽しいところでなかったため不登校になった子どもの話も聞き、本日の講演に関心を持ち参加させていただいています。
・多賀中で、コロナ前には夏休みに地域学習されてたのよかったと思います。
・私の子供時代は多賀大社で林間学校がありました。懐かしい思い出です。
・現在46歳ですが、私の小学生時代にも夏休みに林間学校ありました。
・昔は、特別支援学級はありませんでした。クラスで多種多様な子供たちが一緒に学ぶことで、様々な学びに触れるのでは?
・様々なもの、人、環境に、感謝する気持ちが大切なのでは?
・山口先生、ありがとうございました。今回、教育委員会が主催でも後援でもない講演会で、どのようなお話が伺えるのか楽しみにしておりました。元保護者の立場として多賀の学校教育に思うことがあり、一律の学習に困難さを持つ子への先生方の関わり方について今日のお話を一緒に聞いていただきたいと思いました。
Zoom・sli-do PC操作アシスタント
安田佳代子さん、滋賀県立大学 橘啓輔さん
ありがとうございました。
次回10月21日「かわりゆく じだいと ともにある まなび」
工藤勇一先生のお話をオンラインで聴きます。
こちらから講演内容ご覧いただけます