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『小林秀雄の恵み/橋本治著』第一章を読んで。

『小林秀雄の恵み/橋本治著』

第1章『本居宣長』の難解

・感想
私は、高校1年生の頃『ゴッホの手紙』と言う小林秀雄の著作と出会い、何とも言えぬ感激に浸り、この著作の影響で、21歳の頃、オランダのゴッホ美術館まで行ってきた。

そしてこの本を読み終えた後、『モオツァルト・無常という事』を本屋で見つけてすぐ買った。
『西行』と言う文章を読んで西行の歌集を買って読んだし、『実朝』と言う文章の中に引用された『吾妻鏡』の影響を強く受けてしまい、金槐和歌集も買って読んだ。

小林秀雄はそのぐらい、私にとって影響力の強い人である。
正直言って、この2冊以外は、買ったけれども、タイトルがどうにも面白そうになくてまだ読んでいない。

高校3年間、繰り返し繰り返し何回でも小林秀雄のこの2冊をめくってから、学校へ行っていた。

思春期真っ盛りである。
もう自殺したいとかしょっちゅうである。
そんな時、小林秀雄の本を読む。
小林秀雄は鮮やかにスカッとした文章で肯定感をくれる。
もうどっぷりと感情移入して、自分が対象になったり、小林秀雄になったつもりになってみたり、鉛筆で線を引きながら、『これは自分への自己肯定だ!』そう思い思いして読んでいた。

それから、時が経ち、年末で53歳と言う年で『小林秀雄の恵み』の第1章の1話目を読んだ。

本居宣長が何屋さんだったかも忘れたまま。

そして、読みながら、高校時代を振り返って赤面し、思わず汗ばんでしまった。

橋本治は、自分の仕事の仕方、その仕事の忘れ方、その理由を長々と書いた後にこう書いている。

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『「三島由紀夫」とはなにものだったか』の序の部分の最後に、私はこう書いている。———どうでもいい私自身の事は、いい加減に慎むべきかもしれない。中略。この私のまずなすべき事は、『豊穣の海』論を書くことである。——-がしかし、『本居宣長』論を書こうとする私は、慎まない。何故かと言えば、『本居宣長』は、読み手のあり方を問題にする本だからであり、「小林秀雄を読む」と言う事は、結局、自分を語ることなのである。
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ここを読んだ時、思わず、『そうなんだよ!』と言う思いと、小林秀雄の影響を受けていかに自分を丸裸にするか、と文章を書いていた高校時代の自分とが完全にフラッシュバックしたのだった。

ここにまず書かれているのは、まだ17、 8の好き放題に短歌を詠み始めたばかりの本居宣長の姿と、彼がどのようにして短歌の本質にたどり着くかと言うことであった。
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肝要なのは、「物のあはれ」が、ただ『人の情(ココロ)の、ことに触れて感く(ウゴク)』ということだけである。
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源氏物語から古事記と遡り、「生の声」である短歌の生み出される土壌にたどり着いた宣長の出した答えは上記の1文である。
つまり、それが「短歌」と言うものであり、宣長の歌だと言うことである。

本居宣長が行った短歌の探索、『あはれ』と言う感覚がどこでどうねじ曲がって『哀れ』と言う解釈を帯びてしまったか、これは宣長の最初の『学問』もしくは『学問をする人になるだろうと言う予感』と言う布石としての1歩だったと小林秀雄は言っている。

そこまで読んで、自分が今漫画を描いていることを思う。
保育園の頃から画家を目指して、ずっと絵を描いてきた。
小学5年生の頃、青年向け劇画雑誌『デカメロン』や『エロトピア』を読んで衝撃を受け、こんな漫画家になりたいと、あちこち脱線しながらも、漫画家を目指してきた。

上京して、すぐあすか書房にイラストの持ち込みをし、編集長からあれこれと漫画のことを教わり、劇画雑誌のクオリティーに打ちのめされ、編集長からレディースコミックに挑戦してみたらどうだろうと意見をもらった。
あの時編集長から、真摯に対応していただき、「君の熱意を買いたいところだけれど、もうちょっと修行してから来てくれないか」と、大御所の先生方の生原稿を見せてもらい、雑誌を見せてもらい、「レディースコミックで劇画タッチを勉強してからもう一度持ち込みに来たって遅くない。良い勉強になると思う」そう言ってあれこれと学ばせてもらった自分を思い出した。

江戸時代、商人の家に生まれ、商人に向かないから、医者になれ、そう言われて京都に送り出された短歌にはまっていた宣長。

師匠に怒られて、もう作品を送ってくるなと言われ、短歌の会では相手にされず、井原西鶴が『お金ほど良いものはない』と言っていた江戸時代、ただ、短歌を書くことが好きだ、日常だ、そんな宣長が源氏物語を読み古事記を読み、歪められてしまった『あはれ』の本質にたどり着いた、自分のやり方で。

小林秀雄は、宣長の行った『あはれ』の本質にたどり着いた紆余曲折を、『これは、出来上がった宣長の思想を理解しようと努めるものには、格別の意味は無い告白と見えようが、もし、ここで、宣長自身によって指示されているのは、彼の思想の源泉とも呼ぶべきものではないだろうか、そういう風に読んでみるなら、彼の思想の自発性についての、1種の感触が得られるだろう』と書いている。

誰しもが通る思春期、その時夢中になったもの、たとえ認められなくても、下手の横好きと言われても、音楽に夢中になったり、絵を描くことに夢中になったり、文章を書くことに夢中になったり、ダンスをやることに夢中になったり、夢中になる事はいろいろあるけれど、その道で、お金を稼いでいる人たちは、きっとみんなこういう風に、ただただ好きで、意欲が溢れていて、とても自分では自分を止められない、評価なんか関係なく、自分自身への探求をしていくんだろう。

そんな若い知性や探究心、冒険心や、若いからこそできるのめり込み方、そんなところを通ってその道のプロになるのだろう。

宣長の短歌への没頭ぶりは、はっきり言って、親はどうしようもない息子だと思ったろうが、好きなことを仕事にしている人は、大体、みんな、こんなふうに、親の期待を裏切って、いや裏切るとかそういうことも全く気にせず、意にも止めず、突き進んでいく最初の過程で、宣長みたいに、自分自身の強烈な欲求に向けて、自分自身の研究をまずやるのではないだろうか。

宣長みたいに歴史上に名を残すような人の話を読んでいて、自分を例えに出すのは本当に気が引けるけど、漫画家になるのなら、エンターテイメントを描けなきゃだめだ!!と、父に『ビーバップハイスクール全巻』『北斗の拳全巻』を机の上にどんと積まれ、「つげ義春みたいなアングラなんか描いてみろ!ぶっ飛ばすからな!!」そんな問答をやりながら、何とか上京させてもらって、レディースコミックでは実験しすぎて打ち切り、東京中の出版社を回って、エロ雑誌で仕事を取りまくり、下積み時代が長かった自分を思う。

はっきりってめちゃめちゃ楽しかった。
夢と希望に溢れていた。
お金があるとかないとか関係なかった。
ひたすら没頭していた。
ひたすら実験していた。
いろんな会社の編集長からアドバイスをたくさんもらい、挿絵を描いたりお話を書いたり、漫画を描かせてもらったり。
鍛えられた。

宣長にとっての『もののあはれ』の本質の探求と発見は、私にとっては『稲中』に脳天カチ割られた、すごい天才がいる!!面白すぎる!!自分もやりたい!!自分なりのギャグ漫画を書いてみたい!!そんなハジケまくりの決意と情熱とギャグの試行錯誤の鍛錬だった。

宣長が学問をしていくこと。
激しい賛否両論の中、宣長は思想と言うものをどんどん打ち出していくことになる。

自分の特技や好きなことを職業にしている人たちは、誰も彼もが賛否両論の中にいる。
私自身もそうである。
バッシングされすぎて、慣れちゃったほどだ。

この本のタイトルは『小林秀雄の恵み』である。

小林秀雄を好きで読んでいる誰しもが、小林秀雄の紡ぎ出す圧倒的でダイナミックな、対象に対する愛とでも言うべき肯定感と、その、『くそ!泣かせやがって!』と、一編の話を読む中に何度も訪れる細やかであり、深くもあり、それでいて力強い筆致と切り込み方に、激しく心を持っていかれちゃってると思う。

紡ぎ出す文章からにじみ出る勇気と肯定感、そして、決して後ろ向きにはならない、希望を感じさせる文章に、パワーをもらっている人はたくさんいるだろうと思う。

高校3年間、自分と戦い、同級生に揉まれ、大人や社会と言うものと関わり、ちょっとメンタルを病んでしまい、アームカットをしたり、パニック発作みたいな症状があった私であった。

毎日一生懸命だった。
生きることと、文章を書くことに、必死だった。
孤独だった。
本音を言える友達がいなかった。
そんな中、毎朝毎朝、小林秀雄の著作をランダムにめくっては読み、大切なところは鉛筆で線を引き、大変な勇気をもらって生き延びた。

今読んでいる、『本居宣長の難解』で橋本治が末尾に締めた言葉がある。

『近代の起点が近世にまで遡ったらどうなるか?近代と近世の間にある堤防は決壊して、日本の近代は水没する———-「それでも構わない。必要とされるものは”学問する知性”と言う、これまで見逃されていた前提の確立である」と、近代知性の大家小林秀雄が言うかと思って、身が震えるほど感動したのである』

橋本治は、小林秀雄の執筆した『本居宣長』を再読した際、こんな風に自身の感動を書いている。

ここまでを読んで、また、私は勇気をもらった。

果たして、”学問する知性”とは、既成の概念を時にぶち壊してでも探求していく、自己発見の連続ではないだろうか。

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