父と娘と祭りとイタリア
中学生の頃にハマった椎名誠の代表作に『岳物語』という作品がある。椎名誠と、息子の岳の日常を描いたエッセイで、たしか読書感想文の課題になったこともあったと思う。父と息子の関係を描いた印象深い作品というと、まずは『岳物語』を思い出す。二十歳の頃、バックパッカーとしてバンコクをうろうろしていた時にスタバだかどこだかで読んでいたのも、たしか『岳物語』だった。二十代最後の年、パリに留学していたときにサンラザールのやはりスタバで読んでいたのも、『岳物語』だったと思う。
父と息子というと椎名誠を思い出すのだが、それでは父と娘と言われるとピンとくるものがない。最初に思い出されるのは、内田樹と娘のるんさんの対話集か。あとは、ちょっと無理をして『アナイス・ニンの日記』とか。二十代の頃のアナイス・ニンのパリでの日々を描いた作品。ヘンリー・ミラーとか、アントナン・アルトーとか、二十世紀の文学界における歴史的な巨匠たちを翻弄するアナイスの内面が赤裸々に吐露されている。その根底には常に父の姿があった。
吉本ばななと吉本隆明とか、幸田文と幸田露伴とか、文学界における有名な娘と父というのは探せばいくつか見つかる気もするのだが、その方面はあまり詳しくない。泣きじゃくる娘を抱っこしながらあやした生誕三日目の一日。ふと、そんなことを考えた。
ふところの深い父親像というと、なぜだかイタロ・カルヴィーノが思い起こされる。二十世紀のイタリアを代表する作家のひとり。『まっぷたつの子爵』や『冬の夜ひとりの旅人が』など、実験的であり、かつ掴みどころのない作品たちを読んでいると、その背後から非常に常識的で控えめな生活をしつつも、しかし同時に骨太で腹が座っている父親の姿が現れてくる。実際にカルヴィーノに娘がいたかどうかまでは分からず、このあたりは完全な妄想になるのだが、おそらく彼はローマあたりの、無駄に広くはないが利便性の良いアパルトマンに住んでいて、冬は厚手のセーターを着ている。そんな人物が出てくる映画を見たことがあるような気がする。
東京はこの一年くらいでずいぶんと子育て支援が進んだ。使えるものはしっかりと使ったほうが良いので、丁寧に情報を集め、整理し、To Do に落とし込んでいる。このあたりについては、仕事で培った能力がいきている。
子育てはチーム戦だということをしみじみと感じるここ数日。だって、授乳と寝かしつけとおむつ替えを人生初めての経験としてゼロから学びつつ、加えて身辺整理と役所の手続きと職場への申請と自分の体の回復その他もろもろをワンオペあるいは二人だけでやるなんてありえない。行政のサポートはできるだけ使う。そのうえで、親族だったり職場のメンバーだったり、仲間にできる人たちはできるだけ仲間にしてしまい、頼れそうなところはできるだけ頼る。ビジネスもそうだが、ひとり、あるいは少数の仲間内だけで仕事を抱え込むとろくなことにならない。フェデリコ・フェリーニの映画の中でマルチェロ・マルトロヤンニが「人生は祭りだ、共に踊ろう」とつぶやく。共に踊る仲間をどれだけ増やせるか、というあたりに人間としての器があらわれる。
というわけで、抱っこをするときは肘から上腕二頭筋にかけてのあたりを枕とし、もう片方の手は軽くそえる程度、ということを今日は学んだ。それから、新生児は胎内にいたときにずっと腕と足を曲げていたわけで、だからたとえ俗世に出てきたとしても、やはり落ち着くのはギュッと包まれているような感覚。体をバスタオルなどでくるんであげた上で、腕と胸の辺りを使って体を包み込んであげる。そして、これもやはり胎内にいた時と同様に、適度な振動を与えてあげると徐々に落ち着いてくる。泣きわめく我が子を落ち着かせるために実際にこれを十分以上やると、さすがに腕のあたりがちょっと疲れる。いい機会なので、体を少し鍛えようかとも思う。中高時代の柔道部副部長の血が、ちょっとだけ騒いでくる。
結局、これも、内田樹がどこかで行っていたような気がするのだが、なんでも食べられて、どこでも寝られて、誰とでも仲良くなれるやつがいちばん強い。腹は座っている必要はあるが、余計なプライドは本当にいらない。中二病じゃないんだから。
ということで、昨日も書いたとおり、人生の新たなフェーズに足を踏み入れているここ数日。おそらく数十年後にどこでかは分からないが自分の人生を振り返ったとき、「私の人生の5大ニュース」を挙げるとするならば「私が生まれた」「私が死んだ」「子供が産まれた」「親が死んだ」「結婚した」あたりになるのだろう。その中のひとつがいま起きているわけで、これはなかなかに貴重な出来事。いま、何をするべきかの優先順位を間違えないようにしよう。
そういえば、アメリカのエンタテイメントでは父と娘の関係がよく描かれていますね。「大草原の小さな家」とか。家族を愛する強い父親像は、アメリカの理想の一つなのかもしれない。いずれにしても、非常に現実的で具体的なことがらを一つ一つクリアしていかなければならない。あんまり気を張り詰めすぎずに、何が起きても楽しむくらいのスタンスでいたほうがいい。たしかに「人生は祭り」であり、だからこそ同じアホなら踊らにゃ損なのだ。