『狂い咲く、フーコー 京都大学人文科学研究所 人文研アカデミー『フーコー研究』出版記念シンポジウム全記録+(プラス)』読書人新書、レビュー

『フーコー研究』を読んだ重田園江氏によるフーコーの全領域に及ぶ考察と問題点の析出、裏を取ることの重要性を説く手堅い研究姿勢の開闢に対し、アクティヴィスト系の論者は当為と理念の先行を説く。さらに実存的生き様や美学の観点を導入する者、古代倫理学を導入する者、まさに『狂い咲く、フーコー』は百花繚乱の饗宴。
後半はパレーシアが中心の話題となっていく。包み隠さず告白する事。こちらと牧人司祭制の告解、権力論の対比、ドゥルーズとフーコーの差異、ラカン派との違い、カント論から読み解くフーコーが論じられ、晩年のフーコーの新自由主義の評価の検証が行われる。
フーコーは制度としては新自由主義に一定の評価、格差はなくすべきという立場だったようだが(重田園江『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』参照)、今日では過度の新自由主義が経済格差を拡大させるというのが通説。時代の制約と、本題として語られたわけではなかった事を勘定に入れないといけない。
これは私見だが、フーコーは吉本隆明『世界認識の方法』で、いかにマルクス主義を始末するかという話をしており、新哲学派ベルナール・アンリ・レヴィ『人間の顔をした野蛮』を黙示録的文体と評価したので、最晩年「マルクスの偉大さ」を書こうとし、新哲学派を知のマーケティングと批判したドゥルーズとは違い、新自由主義に甘いのではないか。
興味深かった事は『監獄の誕生』以降、フーコーが、GIP=監獄監視グループに関与していた事はディディエ・エリボンの伝記等で知っていたが、GIS=健康情報グループの中絶解放運動にも関わっていた事である。とはいえ、カトリーヌ・マラブー『抹消された快楽』は、フーコー『性の歴史』にクリトリスが出て来ない点を批判していた。

https://dokushojin.stores.jp/items/60f13a76640dfc1a93bd7650/reviews 投稿原稿の再録(https://twitter.com/harapion/status/1434331333665251330に加筆)

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