ベースボールクラブの思い出 その参
青空まで届きそうだったボール
色々忘れないベースボールの記憶がある。
印象に残っている。
近畿大会の出場をかけた試合だった。
京都府はベスト4に入ればリーグ戦になっていた時代である。
僕たちもベスト4に入っていたので試合待ちの間に、その試合をみていた。
有名な会社の企業チーム同士の戦いである。
☆
プロにはプロの生き方があり、アマチュアにはアマチュアの生き方がある。
普通に働いてる人もスポーツをしている人もいるだろう。
仕事のスポーツの両立は難しいものがある。
楽しんでいる人もいれば、真剣に取り組んでいる人もいる。
本気の人もいる。
本気で生きている人はみんな偉いと思う。
☆
観ていた企業チーム同士の試合も後半にさしかかる。
大会にも、よるのだが『時間制限』というものが軟式野球に適用される場合が多い。だいたい1時間30分だろう。
時間との闘いも要求される。
試合が5イニングスすめに突入した。
同点のまま試合が進んでいたのだが、片方のチームが1点入れた。
6イニングス目に突入する。
試合が時間切れという『ルール』で終わりを審判が告げようとした時である。
負けているチームのキャプテンが「ちょっと待て」と怒りだした。
真剣に・・・・。
「審判と野球をやっとらへんのじゃあっ!」大声である。
怒りのあまりボールが地面に叩きつけられた。
僕はそれを見ていた。
見苦しいとは思えなかった。
叩き付けられたボールの先には青空があった。
眺めていたのだが滞空時間が長かった。
20年経過しても残像で記憶にのこっているほど・・・・。
負けているチームのキャプテンが審判に歩み寄る。
それをチームメイトが「落ち着け」といいながら羽交い絞めで止めにはいる。
負けているチームのキャプテンの瞳からは涙が流れていた。
悔しかったのだろう。
本気でやっていれば悔しいのは当たり前である。
気持ちが共感ができるものもある。
そうして、試合がおわった。
普通に整列の挨拶をして。
それから1年ー
負けたチームのキャプテンは監督になっていた。
対戦した事もあったので投手がメインポジションの人だった。
若かった。
20代であろう。
チームのメンバーは大半が変わっていた。
2年後ー
そのチームと対戦した。
チームのスタイルも変わっていた。
怒り狂っていたキャプテン時代の面影もない。
落ち着いて指揮をとる人になっていた。
3年後ー
そのチームは全国大会に出場するレベルになっていた。
希望がかなったのであろう。
最後に
その企業チームが今活動しているのかは知らない。
全国大会に行く代わりに得たものや失ったものもあるのだろう。
軟式野球は『草野球』とも言う人もいるが、その中にもドラマがある。
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