【紀行文】信州と遠州の歴史の交点 青崩峠にて「道」の意味を考えた
天竜川沿いの古代の遺跡を巡り、塩の道・秋葉街道を北上する旅。
旧水窪町の山城、高根城に登り、かつて戦いに巻き込まれてしまった山村の来し方を思った。前回の記録はこちら。
塩の道の難所 青崩峠へ
前回までの紀行文でも触れたが、古代にあっては塩の道、そして秋葉信仰が盛んな時期には、秋葉街道と呼ばれた道は、この信州と遠州、今でいえば浜松の旧水窪町と飯田市が接する青崩峠を通る。
青崩の名は、その名の通り脆弱な地盤と露頭する石が青みがかっていることから自然と名付けられたとか。日本の中央構造線の露頭箇所になり、実際かなり脆弱な地盤が広範囲に続くことから、いまだにここを通る道路が開通していない。
その難路で知られる国道152号線を北上した。山間の道はいよいよ狭くなり、両脇からの固い草や木の枝が車体をビシビシと叩く。エンジンもうなり声をあげる。
どこかで道が通れなくなるのではとの不安を感じつつひたすら登っていった。長くうねる山中に、いくつかの神社や史跡があった。どれも、歴史やいわれが面白そうなので、それぞれ止まって確認していった。
足の痛みを治してくれる足神神社
一つは足神神社。難所として知られるこの塩の道の青崩峠を歩く人たちの足の痛みを和らげることができる神様だ。わらじなどが奉納されていた。
おそらくはこの辺りで旅人が足を休め、くたびれたその足を近くの冷たい水に浸して、癒したのだろうと思う。
今でも、この足神神社の近くには、著効の名水があるらしく、そうした水を求めてきたと思われる家族に遭遇した。
磐田の伝説の犬 悉平(しっぺい)太郎の墓
磐田市のキャラクターとしても知られるしっぺいは、この地域に伝わる伝説、悉平太郎から来ている。
磐田市からは離れたこの旧水窪の山の中に、その悉平太郎の墓がひっそりとあった。
悉平太郎は磐田市の伝説であり、なぜこんなところに浜松の水窪の山奥に墓があるのであろうと疑問に思ったが、看板を見てみると、この悉平太郎は信州の飯田の犬であり、この飯田の犬を磐田の人が借りに来たということである。悉平太郎は怪物を退治し、傷ついた体で信州の寺に戻る途中、このあたりで力尽きたと言うことだ。
何か切ない話である。
この道には、こうした数々の伝説や伝承が色濃く残り、そして大事に今に伝えられているようだ。それだけ多くの人々がこの道を通り、いくつもの物語が現れては消えていったのだと思う。
いよいよ青崩峠へ
いくつかゲートがあったが、いずれも開いていたので登れるところまで車で登ってみることにした。そしてたどり着いたのが、トップ画像の石柱だ。大きく塩の道とある。
降りてみると、かすれた木製の道標があり、青崩峠へ徒歩20分と書いてあった。青崩峠には、ここから徒歩で行くしかないようだ。
帰りの時間が気になったが、ここまで来たからには、ぜひとも重層的な歴史が積み重なったこの道を歩いてみたい、そして青崩峠の頂上を踏んでみたいと思い、急ぎ足で登ることにした。
道は意外と歩きやすい。よく踏まれた道に朽葉が積み重なりほどよい柔らかさになっていた。途中から石段があり、登山靴を用意していなかったため、スニーカーではやや滑ったが、それでも歩くことに不自由はなかった。
このルートはかつて三河地方を攻めた武田信玄の軍が通った道と言われている。かなり険しい山道であるが、本当にこんなところを馬が通ったのであろうか。史実と言われるが、実際はどうだったのであろう。
歩くこと約15分程度で青崩峠に着いた。
峠は、やや開けており簡易的なベンチや静岡県と長野県それぞれの史跡としての解説看板などがあった。
一息ついて、来し方遠州を方角を見る。眺望は効かないが、深い山々の姿が続いている。浜松から車で二時間以上かかるこの場所。歩いて通った人々の苦労が改めて感じられる。
塩の道、そして秋葉街道と言われるこの歴史の道の中に、女工の哀しい歴史もある。信州から養蚕と製糸の技術を学ぶため、この道を歩いていったが、劣悪な工場労働者としてこき使われ、体を壊し、生家にたどり着けず、この峠の半ばで命を落としたものもいたそうだ。
ここは静岡県の指定史跡にもなっている。
旅のゴールであることやなかなか来ることのできない貴重な史跡であることで高揚した気分になったが、改めて落ち着いてこの史跡の意味について、この場にある石碑や解説看板を読み考えると、次第に興奮は消えていった。
古来、信州と遠州の人々の生活をつなぐ大事な道として長く使われてきたこの重層的な歴史を持つこの道。そこには、本当に人が生きるために必要な物資の往来もあったであろうし、逆に死につながるようなものが運び込まれたそういうこともある。
道とはそういうものだ。
道が開かれ、つながることにより便利になる一方で、危険なものまで招き入れてしまうこともある。昔の人はそういうことも分かり、道の境には道祖神や結界を張ったのだろう。
今では高速で走る道が網の目にように張り巡らされ、つながっていることが当たり前であるが、古来道は、もっと人々の生死にかかわる重要なファクターだった。
そうしたことを、この青崩峠で改めて思った。
今回の信州と遠州をつなぐ塩の道、秋葉街道をたどる旅の終着点で、道が私たちの生活、人生にいかにかかわってきたか、もっと大きく言えば道とは、人間の生き方を変えうる大きな力を持った神そのものであるような、そんな感慨を持ったのである。
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