【紀行文】茶の湯をテーマに京都を巡る 楽家の至宝に感動
そうだ! 京都に行こう。
なにかのコマーシャルではないが、そう思い立った時があった。
GWよりもかなり前で、コロナも収まりかけていた頃であり、宿も安い場所が存分に選べた。家族の了承も得ていたが、いろいろあり、予約をしそびれていた。直前割というお得な制度を実施している宿もあると聞き、それを当てにしていた。
世の中はそんなに甘くない。
GW直前に探してみると、希望の滋賀県の草津周辺には空きがなく、京都市内にいくつか見当たる程度。仕方なく京都駅前のビジネスホテルを予約したが、このホテルがよかった。
駅近、駐車場は近くにあった。京都駅前の駐車場は意外と多く、また上限料金が設定されておりリーズナブル。
次回、京都方面に車で来るなら、京都市内ホテル泊ありだと思った。
今回の旅行の目的は茶の湯
娘が茶道を本格的に始めたこともあり、一度茶道の本元である京都の関連スポットを回ってみようと思った。
「楽美術館」と「宇治地区」を中心に行程を組み立てた。
初日は、朝6時半に家を出発し、名古屋で渋滞に巻き込まれながらも、午後2時に京都市内に入ることが出来た。まずは楽美術館を目指すことにした。
楽家は、堀川通沿い、晴明神社や一条戻橋の至近にある。同志社大学と京都御所の近くの地下鉄出口から、美術館を目指した。
楽美術館は、その名の通り「楽家」の美術館である。「楽家」は、茶道の稽古には欠かせない楽茶碗の作陶を家業とするところで、千利休の時代から数えて現在は第16代樂 吉左衞門が継承している。
途中に、武者小路千家の官休庵があった。表千家と裏千家はもう少し北にあり、武者小路千家は路地の奥まった場所にある。一時断絶していたこともあるのかもしれない。
元は利休の居所が晴明神社付近にあったということなので、いずれにせよその近くにあるということになる。
次なる目的地は、楽美術館だが・・・
さて、楽美術館に近づいた。私はここで一つ勘違いしていたことに気づく。
楽美術館を知ったのは、当代の樂 吉左衞門が見事な茶室を建て、その前衛的な美しさに惹かれていきたいと思ったのだが、どうも外観からして、その雰囲気がない。入ってみると三階建てではあるが、そこまで広い屋敷ではなかった。
美術館内でパンフレットを探してみると「佐川美術館」という琵琶湖にある美術館のものが目に留まった。どうやら私が行きたかった茶室はそちらにあるらしい。
これは全く私が事前調査をしなかったからではあるが、まあ別の機会に行こう、そんなきっかけというか目標ができたことで良しとした。
楽美術館である。
初代長次郎から第16代まで続く作陶の代表作が並べられていた。楽茶碗は黒、もしくは赤楽と言われる、朱というよりも橙のような色が特徴である。そう思っていたが、白楽という茶碗もあり、それはそれで美しかった。翌日に訪れた宇治の茶室で提供された楽茶碗も偶然ではあるが、白楽だった。
歴代の楽茶碗の中でもっとも魅かれたのは、「稲妻」という表千家が使う茶碗である。黒い肌に火の粉が飛び散ったような赤い景色が誘惑的である。
日本画の名作 速水御舟の炎舞を思い起こさせる。
しばし見入った。写しとあったが、十分に妖しく、一人狭い茶室で黄昏時に飲んでみたいものだった。
楽美術館を出ると16時を過ぎており、近くの茶道資料館などにも間に合いそうもなかった。
利休ゆかりの晴明神社へ、そして白峰神宮へ
辺りはまだ明るく歩けそうだった。
折角なので、近くの名所を訪ねることとした。
一条戻橋を渡るとそこは、晴明神社だった。陰陽師としての安倍晴明はそれこそ漫画や小説でなんども主人公となっている。当然、私も何冊か読んでおり、そして憧れた。いや、学生の頃だが(照)
今回は、一応利休ゆかりの地としての晴明神社来訪である。
相変わらず晴明神社は混みあっており、若い女性が多かったような気がする。そしてグッズ売り場は大変な賑わいだった。
人気スポットの晴明神社をさらりと見終わり、さらに白峰神宮へと足を延ばした。白峰神宮には18時少し前に着であったが、十分にみることができた。私個人、この崇徳上皇には縁があるので、しばし境内にたたずみ感慨深く逍遥した。
白峰神宮は今やサッカーの神様として有名らしく、至る所にJリーグ関係者の名前が見られ、サッカーボールも奉納されていた。
時代ともに、そのご利益や信仰対象、内容が変容していくのが面白いと感じた。茶の湯テーマの旅だが、こうした思わぬ収穫もあり、京都は誠に旅するに面白い場所であると思った。