【自己紹介】私の「うつ」はどこから?
どうも太刀風です。
ポエムじみたものを転載したら、いろいろ振り切れたようで引き続き私とメンタルについて書こうと思います。自己紹介と、いつからうつ病であると判断すればよかったかを書きました。
自己紹介
改めて自己紹介を。
名前は太刀風です。このHNは本名のアナグラムのようなもので、ちょっと気に入ってます。なんでネット上の本名のように丁寧に使っていきたいと考えてます。人と関わり自分を表現するのは、まだちょっと怖いです。(汗)
noteに書いていく内容は本とガジェットとメンタル関連。増えるかもしれない。どうぞお付き合いください。
Z世代だとかミレニアム世代とか言われている世代の1人です。
若輩者ですが割と経験は豊富な方だと思っています。イラナイ経験がね。
人生HardModeでしか使わないスキルを取らざる得なかったため、人生NormalModeの内容もHardModeに変貌していました。たすけて。
趣味は先にまとめて書いたので、詳しくはそちらで。
趣味の中でも人生を支えていたのは読書です。
病める時も健やかなる時も(あったか?)本は常に自分の味方でした。
仕事やうつで本が読めなくなったことは、間違いなく病状の悪化に関係している、そう言い切れるほど本や創作は私自身を形作るものです。
もちろん紙の本が好きです。ページを捲る度に、紙の香りを感じないことには読書をした気がしません。
こうしてnoteを書けているのも読書のおかげですね。代わりに生け贄となったものは対人スキルです……
お荷物となっている精神疾患はADHDと双極Ⅱ型です。障害等級は2級です。
ADHDについては長くなるんで別で書きました。
双極Ⅱ型の方は、実質うつ病と言っていいほど躁が出てきません。なぜ躁鬱と分かったかというと、統合失調症や躁鬱の治療に使われるビプレッソ徐放錠の服薬がクリーンヒットしたからです。おそらく躁と鬱が同時にまざっているタイプだったんだと思います。
薬が効くことではっきりと自分が病人だと分かるのは複雑な思いです。
あっ肩書きは無職です。以前は正社員でした。理由はお察しの通りです。
自己紹介はこのくらいで。普段は趣味と年齢しか喋れないから、全てをつまびらかにした自己紹介は初めてかもしれない。どうぞよしなに。
どこからがうつ病か?
ではそろそろ本題へ。今回は私の過去を振り返り、うつ病と判断するべきだったかのボーダーラインを考えてみました。
うつ病か判断するライン①:幸福かどうか
いきなり哲学です。幸福をどうやって定義するんだよって話ですよね。幸福で無いからうつ病であるというのは暴論だと思います。ではどうやって定義をするか。
私の元担当医の考えは「幸福である者がうつ病なわけがない」でした。
確かにこれなら筋は通ります。私も同じ考えでした。うつ病は幸せホルモンであるセロトニンの不足が関係しています。科学的にみても前提として間違いなさそうです。
加えて先生はこう話していました。
「幸福である者は幸福が何かを考えない」
つまりは
「四六時中幸福について考えている人は幸福ではない」と。
……私は四六時中考えている人でした。ですからこの考え方は全面的に支持します。これで幸福である者とそうで無い者の定義が出来ました。
私は日本に生まれ衣食住に困ったことはありません。文句があるとすれば虐待親をシベリア送りにしてやりたい。
幸福にも日本に生まれ不幸にも虐待親の元で育ってしまった、ってとこですかね。
日本は比較的アタリの国です。社会福祉、インフラ、民間サービス、文化、国防どれをとってもバランスが良く優れています。
ですが、日本に生まれたからそれだけでハッピーとなる人は少ないはず。
幸福とは、環境つまりは自分と周囲との差で決まると私は考えています。
考えたくも無いですが虐待が一般的であれば、自分と他人との能力や価値観の違いに悩むことはないでしょう。
また周囲が裕福で自分は中流の暮らしで不自由はない、でもいい思いはしなさそうです。
つまりは、幸福は相対的な尺度で決まってしまうということです。みんなが幸福ore不幸なら思い悩むことはない、というのが私の考えです。よく「周囲と比べるな不幸になるだけだ」っといった考えを見かけますが、俗物で欲深い自分にはムリな話です。
……気づいたら幸福について語り出していましたね。
いやマジで悩んでたッス。
私が幸福について真剣に悩み考え始めたのは、中学校卒業後な気がします。
この時からうつ病とは言い切れないかもしれないですが、少なくともメンタルへの負担はあったと思います。今でも幸福の中身については答えが出せていません。がんばります。
皆さんは周囲との差に気づき始めたのは何時からですか?
うつ病か判断するライン②:趣味が楽しめなくなる
これはわかりやすいですね。そのまんまです。
私は本を読む時はかなり没頭します。文庫本なら4時間くらいで読めます。しかし、社会人になってから「没頭できる4時間」を捻出することが出来ませんでした。
いつも頭には仕事や家事といったタスクで埋め尽くされ、没頭することが出来ません。当然、内容も頭に入ってきません。少なくとも月1冊は読んでいた学生時代から、年間で0~3冊ほどに激減しました。
私はこれを社会人なのだから仕方が無いと割り切っていました。
しかし、いつからかどの趣味が出来なくなり、休日はひたすらYouTubeを見続けるようになっていました。とにかく頭がボーッとして何も考えられない、そんな状態でした。
この時からうつ病であると認めていれば、状況は変わっていたかもしれません。ですが、まだ自分がうつ病だと気づけていないです。
時間が無いから趣味に取り組めない、その実気づけないままうつ病へと足を踏み入れていた。自覚しづらいのがうつ病の怖いところです。
うつ病か判断するライン③:風呂に入れなくなる
これは本当です。うつ病は遂行能力を減退させ、風呂に入るまでに行うルーチンが出来なくなります。休日は基本入っていませんでした。体調不良で欠勤すればその日も入れません。
加えて、不潔であってもどうでもいいといったように自己への関心の低下も影響している気がします。
風呂に入れない日は退職後も続きました。
だいぶ改善してきた今でも入れない日はあります。
十分ダメな生活になっていますが、これでも自分がうつ病だと思いもしませんでした。判断力が相当失われているのがわかります。
うつ病か判断するライン④:睡眠時間が長い&熟睡が出来ない
10時間寝ても寝た気がしません。寝起きはいつもフラフラで頭が回りません。寝起き直後なら問題無いですが、これが1時間以上続きます。
更にうつ病が進行すると短時間の睡眠で1度起き、また寝るといった日が出始めました。睡眠自体が非常に浅くなっていきます。
産業医に睡眠時無呼吸症候群を疑われましたが、簡易検査では問題ありません。そりゃそう。産業医しっかりしてくれ。
寝られないから心療内科に行くという発想はなかなか難しいと思います。多くは睡眠障害を疑い内科に行くと思います。判断力が低下していればなおさら気づけません。
流石にこのあたりからメンタルが問題か?と思い始めましたが、ただの寝不足だから大丈夫だと判断しました。大丈夫じゃないんだよ。
うつ病か判断するライン⑤:食事が雑になる&過食
1人暮らしなら多少は雑になる人もいるでしょう。
ですが、この時の私はレベルが違います。
カップ麺では足りないからと、冷凍パスタ(大盛り)を2食分一気に食べる。Uber Eatsで注文しまくる。スーパーのおつとめ品を買いまくる。
などなど
明らかに体に毒な食生活です。当然、定期検診にも引っかかりました。
しかし、止めることが出来ません。
エンゲル係数はとんでもない状態です。
食費が月6万円になることもありました。ちなみに家賃も6万円です。ガチャへの重課金か食費への重課金、どちらが健全なんでしょうね???
人によっては拒食になるそうです。食べられなくなるのもつらいですね。
うつ病か判断するライン⑥:明らかにダメな身体症状が出る
完全にアウトのラインです。私は起床直後に過呼吸を起こしました。他の事例として、しびれや吐き気といった症状が出るそうです。持病といったものを抱えていない健康体ならば、こういった症状が出るはずがありません。
ここでようやく心療内科へ行き、適応障害と診断されました。
人から指摘されないと気づけない
正直、早期に対応できるパターンはこれしか無いと思っています。
皆、限界へ突入してから病院に行くことがほとんどでしょう。
私自身、とっくの昔に足をすくわれていました。しかし、最後までそれに気づけず病院には行けませんでした。心療内科や精神科がどういったものか知らず、行くことに抵抗があったことも理由の1つです。
実家暮らしであれば救いの可能性はあります。しかし、1人暮らしでは職場で指摘されない限り気づくのは難しいと考えています。
加えて、指摘する側も精神疾患に対して一定以上の知識が求められます。
社内研修といったものに疾患へのケアが含まれて無ければ、あとは運まかせになります。
JRが来年4月に精神障害者保健福祉手帳の所持者に対して割引を行うなど、昔よりかは理解と配慮が得られる環境になってきてはいます。
しかし、精神疾患はケースバイケースで複雑です。どの環境にいても適切なケアが得られるかと言われれば、それはまだまだ先の話な気がします。
誰もが発症しえる病気です。例外なんてありません。
もっと精神疾患に対して知識と理解が得られる環境が、生まれてくることを切に願うばかりです。
汝、隣人をもっと気にかけよ
うつ病、躁鬱病は死に至る病です。それは最悪の形で急に訪れます。
人はものの簡単にあっさりと死にます。
そして、死んでいく人は何も言いません。
私は友人を1人亡くしました。
前日、昼食を食べている時の様子に変わりはありませんでした。
しかし、事は起きました。現場は学校の最寄り駅です。
彼が何を抱え、何を考えていたかはもう知るすべがありません。
救いたくとも「助けて」と言われず逝かれては為すすべもありません。
救う方法があるとするならば、常に気にかけることだと思います。
「大丈夫?」と声をかけても「大丈夫」と返ってくるので、あてにしないように。表情に乏しくなっているのは要注意です。
あれから障害者となったことで、より知人友人の顔を見るようになりました。病気であることを自分では気づけなかったからです。
私自身にも危ない覚えがあります。彼よりかは運が良かったようです。
ですが、自分にも「決死の覚悟」があれば彼と同じことをしたでしょう。
知らせを聞いたとき、考えが確信に変わりました。
もう一度言います。
人はものの簡単にあっさりと死にます。
そして、死んでいく人は何も言いません。
障害への理解が進まないのなら、せめてこの事実が広まればと思います。