「考えるな、見よ」
20世紀最大の哲学者、
ウィトゲンシュタイン。
彼の「考えるな、見よ」という言葉が
好きです。
この言葉を思い出すとよぎるのは、
巷でよく言われている
「行間を読め」という表現。
私はこの表現に、違和感があるんですよね。
思いますに、正しくは
「行間を読むな、見よ」ではないかなと。
でも、これでもまだしっくりこない。
この違和感は、
日本人が語っているにも関わらず、
西洋的な感性の方が
より色濃く表れているから。
もしも、日本的な感性から紡ぐとしたら。
「味わえ」あるいは「浸(ひた)れ」とか。
「行間を読むな、浸れ」とは、
言葉で汚されていない機微を
言葉で受け取ろうとする所作。
ここで、人は言葉で世界を
捉えていることを踏まえると、
機微を受け取ろうとする言葉で
また世界が汚れていく、と言えます。
とすれば、
時々、詩の感想を投稿している私は、
さながら真美の敵、汚し屋とも呼べます。
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
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